氷魔導師の決意。
※氷属性の魔導師、ルッツ・アイレンベルク視点となります。
温室の隅。
背の高い木の裏側で、オレは膝を抱えて項垂れた。
「……さいあく」
力なく呟いた言葉はもちろん、相棒に向けたものではない。
癇癪を起こして当たり散らし、更に逃げてきた自分に対してだ。
何も悪くないテオに心無い言葉をぶつけ、しかも心配してくれた最愛の人の手を振り払って。オレはいったい、何がしたいのか。
膝にごつりと己の頭をぶつけて、髪を掻き毟る。
恥ずかしくて、情けなくて、消えてしまいたかった。
「かっこわる……」
こんなつもりではなかった。
もっと冷静に、ちゃんと話し合う気だった。
でも、キラキラと目を輝かせて未来へと進んでいく二人を見たら、気持ちが抑えきれなかった。
変化を畏れたオレが立ち止まっている間に、二人がどんどん先へ行ってしまう。
三人で一緒にいられる今を惜しんでいるのがオレ一人みたいで、勝手に置いてきぼりにされたような孤独を感じた。
どうにか引き留められないかなんて、一瞬でも考えた自分に吐き気がする。
「……っ」
せり上がってきた吐き気を無理やり飲み下し、目を閉じて息を細く逃がす。
針山みたいな感情をどうにか宥めようと呼吸を繰り返していると、背後から小さな音がした。石材の床に落ちた砂粒を、靴底が踏み締める音だ。
テオだろう。
オレが落ち込むとここに逃げ込むのを知っているテオは、少し頭が冷えた頃を見計らって迎えに来る。
面倒見の良い、出来た男だ。
オレと違って、と胸中で付け加えて、勝手に落ち込む。
小さな足音はゆっくり近づいてきて、オレの背後で立ち止まる。
木を挟んで反対側。花壇の縁のレンガに腰を下ろしたのだろうと、衣擦れの音で察した。
けれど特に言葉をかけられる事もなく、穏やかな沈黙が流れた。
空気の入れ換えの為に細く開いた窓から、微風が流れ込む。聞こえてくるのは、心地良い葉擦れと鳥の囀りだけ。
ささくれ立つオレの心の棘がぽろぽろと抜け落ちる。
深呼吸をすると、肩の力が自然と抜けた。
責めるのではなく、宥めるのでもなく。
ただ黙って待ってくれる友がいる事の幸福を、噛み締めた。
思い返せば、ずっとそうだった。
小さい頃のオレは今よりも更にガキで、世界で一番不幸なのは自分だと思っていた。傷付けられまいと虚勢を張って、周りに牙を剥いて。
ツンケンするオレに根気強く話しかけてくれたのは、テオと姫だけだった。
今思うと恥ずかしくて転げまわりたくなるくらい、あの頃のオレは感じが悪かった。よく見捨てずに付き合ってくれたものだと思う。
二人はオレと違って、人間が出来ているから許してくれたけれど、それに甘えてはいけない。許されるから何をしてもいいと勘違いした時点で、その関係は破綻する。
「……テオ、ごめん」
吐き出した声が、情けなく掠れた。
「取り乱して、お前にも姫にも酷い事いっぱい言った。あれは本気じゃない……は卑怯だな。言ったのは撤回出来ないから、忘れてなんて都合の良い事は言わない。でもあんなの、癇癪起こしたガキが足引っ張る為に言った戯言だから、まともに取り合わないで」
早口で捲し立ててから、自分が凄く恥ずかしくなって、誤魔化すように前髪をぐしゃりと掻き混ぜる。
「……本当は、お前が正しいって分かってる」
返事を聞くのが怖くて、そのまま言葉を続ける。
「魔導師として敷かれた道を当然のように進むんじゃなくて、自分の頭で考えて進路を決めたお前は凄い。それに応えて、能力を活かす方法を一緒に考えてくれる姫も、めちゃくちゃ立派だ」
元々、テオは穏やかな気質だ。
魔力持ちという特殊な生まれの為に魔導師を目指していたけれど、選べるならば別の生き方をしていたんだろうなと思う。
だから医療に関わる仕事がしたいという話を聞いた時、感情とは裏腹に頭では納得していた。
「医療に貢献する仕事は、魔導師よりお前に向いてると思う」
言い訳をさせてもらえるなら、『今』でなければ、もうちょっとだけマシな反応が出来たはずだ。
姫の婚約が決まって、致命傷を負っていた今でなければ、たぶん。
「……分かってたのに、八つ当たりした。姫の婚約に動揺していて、受け止め切れなかったってのは、ただの言い訳だね」
はは、と零した笑いは酷く乾いていて、強がりが空回ったみたいになった。
本当に恰好悪いなと、溜息が洩れる。立てた膝の上で組んだ手に額を押し付けた。
「オレにとって姫の存在って物凄く大きいから、いなくなるのが滅茶苦茶怖い」
「……」
息を呑むような、小さな音がした。
けれど何も言わないから、それを免罪符にして弱音を垂れ流す。
「だってオレ、姫に会う前って半分死んでたようなものだった。楽しいとか嬉しいとか、そういうのも知らなかったし、なんだったら呼吸の仕方さえ姫に教わった気がする」
年下の女の子が手を引いて、明るいところまで引っ張り上げてくれた。
そこでようやく息が出来て、オレの人生は始まったんだと思う。
「そんな人が離れていくって聞いて、取り繕えないくらい動揺した。足元の床が崩れ落ちたみたい……ううん、足りないな。……明日から太陽は昇らなくなりますって言われたみたいな、衝撃と根源的な恐怖があって、自分がどう息をしていたのかも分からなくなりかけた」
世界一、大切な女の子。
オレの光、オレの太陽。
奪われたら、どうやって生きていけばいいのかすら分からない。
「本当、しょうもない。……結局オレは、なんも出来ないガキのまま。手を引いてもらわなきゃ歩けないなんて、お前にも姫にも愛想を尽かされて当然だ」
自分で自分に嫌気が差す。けれど自分を奮い立たせる気力さえ、今は足りない。
ゆっくりと圧し潰してくる罪悪感と絶望に負けそうだ。
重力に任せて、膝に頭を埋めたまま目を閉じようとした、その時。
凛とした声が、静かに響いた。
「そんな事ない」
「……っ!?」
予想外の声に、オレは目を見開く。
背後に誰かいる気配はずっとあったけれど、テオだと信じ込んでいた。しかし聞こえてきたのは、世界一大切な女の子のもの。
酷く混乱して、声も出ない。顔を上げたいのに凍り付いたみたいに、動けない。
メチャクチャ情けない弱音を好きな子に聞かせていたとか、恥ずかしくて死ねる。今すぐ穴を掘って埋まって、そのまま人生をそこで終えたいくらいだ。
全身から嫌な汗がぶわっと出てきた。
顔はたぶん強張って、赤くなったり蒼くなったりと、酷い有り様になっている。
今、姫に覗き込まれたらオレは死ぬ。寧ろ誰か殺してくれ。
そんな切実且つ馬鹿馬鹿しい願いが通じたのか、姫はオレの前には回らなかった。
木を挟んで背中合わせのまま、話しかけてくれた。
「ルッツが何も出来ないなんて、そんな訳ないし、しょうもなくもない」
あのクソくだらない愚痴を聞いていたにも関わらず、姫はオレを笑わない。
静かな口調ながら、きっぱりと言い切る。
その場凌ぎの慰めではなく、心の底からそう思ってくれていると伝わる、真っ直ぐで曇りない声だった。
「まず、ルッツは頭が良い」
「え……?」
「分厚い専門書だってすぐに読み終わっちゃうし、しかも内容もきちんと理解しているの。記憶力も良いからずっと忘れないし」
「ひめ?」
「それに運動神経も良いのよ。魔導師なのに魔法なしで騎士と同等に渡り合えるし、体術なら勝てるってイリーネ様が仰っていたわ」
「それは」
「それに、とっても優しい。言葉にするのは苦手みたいだけど、私やテオの事を凄く大切にしてくれているの」
「う、ぇ……」
正に誉め殺しされ、どんな顔をしていいか分からない。
間抜けな声が洩れたのを、気にする余裕もなかった。
「魔力を持って生まれた事でたくさん苦労をしてきたのに、……私の我儘を聞いて、一緒にアイスクリームを作ってくれた」
くだらないって、跳ね除けないでくれたの。そう言った姫の声が、僅かに閊える。
恐る恐る振り返った先、小さな手が何かを堪えるみたいにぎゅっと強く握りしめられた。
「私が貴方の手を引いてきたっていうけれど、私だって貴方とテオに支えられてきたの。そんな一方的な形じゃない。……私の大切な友達の事を、しょうもないなんて言わないで」
辛そうな声に、胸が詰まる。
オレのせいだと思うと、罪悪感を覚える。けれどそれ以上に嬉しい。オレの為に怒ってくれるのか。
「姫……っ!」
衝動的に立ち上がって、背後から細い体を抱き締めた。
「っ!? る、」
驚きに固まった体が、離れようとしているのか身動ぐ。
それを留めるように、腕に力を込めた。
「ごめん、すぐに離れるから。ちょっとだけこのままで……お願い」
わざと姫が突き放せなくなる言葉を選んだ。
こんな言い方は狡いと頭の隅で己を責めながらも、腕の中に収まる温もりに歓喜した。
好き、好きだ。
大好きすぎて、心臓が痛い。
柔らかな温度と感触、花のような香りも、全て。一生覚えていようと思った。
「……ルッツ?」
戸惑いながらも、気遣うような、そんな声。
優しさに付け込まれているのに、と心配しそうになって、オレが言っちゃ駄目かと苦笑する。
「……色々とごめん。迷惑も心配も、たくさんかけた。でも見捨てないでくれて、ありがとう」
ほんの数秒、けれど一生分の幸せな時間を噛み締めるみたいに、最後に少しだけ力を込めて。
名残を振り切って、手を離した。
ほっと安堵した様子の姫をちょっと恨めしく思いながらも、しょうがないかと息を吐く。
姫が近衛騎士団長を一途に慕っているのを知っていたし、それでも好きでい続けたのはオレの勝手だ。
振り返った姫に、笑いかける。
「いじけてないで、オレも自分の将来について真剣に考えてみる。……で、行き詰ったら相談してもいい?」
「! もちろん!」
ぱっと姫は顔を輝かせる。
「医療施設と研究所についても教えて。テオがどういう仕事をするとか、オレにも出来る事があるのかとか、そういうのも。全部聞いて、調べて、何がしたいかは最終的に自分で決める」
「うん、うん。……良かった」
嬉しそうに頷いてから、小さくぽつりと呟く。
優しくて健気で、しかも可愛らしいとか最強だな。
こんなのを独り占めするとか、許されざる大罪では? と一人勝ちした男前の顔を思い浮かべながら、こっそり呪う。足の小指を強打しろと念じるオレは、たぶん器が小さい。でもそれくらい許してほしい。
「話、終わりました?」
暫く経ってから近付いてきた相棒は、憑き物が落ちたようなオレの顔を見て、安心したように表情を緩める。
「いつものふてぶてしい顔に戻って何よりだ」
「煩いよ」
わざとらしい嫌味に、憎まれ口を返す。そんなオレ達を、姫は楽しそうに笑いながら見ている。
この時間がとても大切だけれど、永遠に留めるのは不可能。
でも、努力次第では繋がりを保てる。それならオレがするべきは、膝を抱えて蹲っている事ではない。
テオのように、姫の下で研究に携わるのもいい。
もしくは師匠の後継となり、姫を助けられる権力を得るのもアリだ。
オレの未来には可能性がある。
オレが諦めて投げ出さない限り、無限大の可能性が。
お茶の続きをしようと休憩室を目指す姫の後を、二人並んで歩く。
隣のテオは、呆れたような目をオレに向けた。
「ルーッツ。悪い顔してんぞー」
「いや。別に無理やり、諦める必要ないんじゃね、と思ってさ」
年の差って結構、でかいよね。
男の方が平均寿命短いって聞くし。
「姫って、おばあちゃんになっても可愛いと思わない?」
「お前……」
軽く目を瞠った後、テオは呆気にとられた声で呟く。
「夢を見るのは勝手だよねって」
悪巧みするガキみたいに笑うと、テオも口角を吊り上げる。
「流石オレの相棒」
おもむろに持ち上げられた拳に、己の拳をゴツリとぶつけた。




