或る薬師の哀愁。
※クーア族長の息子、ヴォルフ・クーア・リュッカー視点となります。
薬研で碾いた生薬を、紙に移す。
すると隣に控えていたロルフが手を伸ばす。指先で紙の端をトントンと叩いて、粉を中央に寄せてから、手際よく包む。
普段のクソガキっぷりからは考えられない丁寧な仕事に感心しながらも、薬研車を置く。凝り固まり、鈍い痛みを訴える肩を回して、手をぶらぶらと振った。
「あー……、肩凝った」
野太い声で唸ると、薬包を別の机に並べていたロルフは呆れたような視線を寄越した。
「おっさんか」
「おっさんよ」
今更何をと、鼻で嗤った。
もう三十路目前だというのに、何を取り繕う事がある。十代の若者相手ならば尚更だ。
オレの言葉を聞いたロルフは軽く目を瞠ってから、顔を顰める。不愉快というよりは不機嫌。拗ねた子供みたいな顔で、ロルフは呟いた。
「……ヴォルフ様がおっさんなら、アイツの旦那もおっさんって事になるな」
なるほどと心の中で頷く。
つい先日、正式に婚約が決まった我が主のお相手は、確かにオレと同年代の男だった。とはいえ、似ているのは年齢だけ。
地位も家柄も、比べるのがおこがましい程にかけ離れている。その上であの容姿。張り合う気も起こらない。
あちらは『おっさん』なんて言葉からかけ離れた色男だ。
「マリーに聞かれたら怒られるわよ」
マリーが近衛騎士団長と一緒にいる場面を何度か見かけたが、かなり惚れ込んでいる様子だった。聞くところによると、かなり昔から一途に追いかけていたらしい。
自分の事には無頓着で、『ブス』なんて暴言を吐かれても許容しているマリーだが、たぶん惚れた男を貶されたらそうはいかないだろう。
「本気で嫌われたくないなら、止めておきなさい」
「…………」
ロルフはむっつりと黙り込んでいるが、たぶん分かってはいるはず。
クソガキな言動が多いロルフだが、頭の回転は速いし、空気が読めない訳ではない。マリー以外には失礼な口を利かないし、『ブス』と憎まれ口を叩くのも、どこまで許されるかを計っている部分がある。同年代の子供同士ではなく、王女と部下という立場に変化しても本質は変わらないのか確かめて、安堵している。当人は気付いているのかは定かでないが。
「同じ年代なら……」
「ん?」
「ヴォルフ様にすりゃ良かったのに」
「…………」
予想外の言葉に、今度はオレが無言になった。
数度瞬いてから、ロルフをまじまじと見つめる。居心地悪そうに視線を逸らすが、発言を撤回するつもりはないらしい。
「年齢以外、似ても似つかないじゃない」
「何が」
「何もかもがよ。大国の近衛騎士団長で、名門伯爵家の嫡男。しかもあの綺麗な顔、見た?」
「ヴォルフ様だって、クーア族の長の息子だ。田舎の一部族とはいえ、医学の分野では他の追随を許さない。これから先に価値が跳ね上がる事を考えれば、婿として縛り付けておくのもそう悪い案じゃない。確かに顔は強面だけど、整ってる。城の侍女が見惚れている場面を結構見かけるし」
どうやらロルフは意外にも、オレを高く買ってくれているようだ。
「まさかアンタがそんな風に思ってくれているとはね。……確かにクーア族の価値は高いし、私自身もそれなりに良い男だって自負はあるわ」
ロルフの頭に手を置いて、宥めるようにポンポンと叩く。
「でも、一番大事なものが足りないわ。分かるでしょう?」
マリーがもし国の為に望まない結婚をするつもりなら、オレも考えた。完全な政略結婚で、相手がろくでもない男ならば、自分の持てる全てを使ってでも邪魔しただろう。
でも違う。
マリーは……あの子は、自分の力で望む相手との結婚を勝ち取った。
割り込む隙間のない相思相愛な二人が、幸せな結婚をするというのに、いったいオレに何が出来る?
それに嫁入りすると思っていたマリーが、公爵家当主になるというだけで、オレには十分だった。
王女であるマリーならば問題なくとも、伯爵夫人ではクーア族の主人という立場が重荷となる恐れがある。別の主人を持つという考えは端から無かったが、迷惑をかけるのは本意でなかった。
「私はマリーが主人になってくれるだけで、十分満足なのよ」
「……」
無言の抗議を受けて、オレは苦笑した。
「アンタもその排他的な性格、そろそろどうにかなさい。リリーを見習ってみたらどう?」
気を許した人間だけで周りを固めたい気持ちは、分からないでもない。大切な人が結婚という形で離れていくのが嫌だというのも、理解できる。
今までは……一族の人間だけで完結していた世界ならば、それでいい。でもオレ達は、外と関わると決めた。なら変化は受け入れなくては。
村にいた頃は、ロルフよりリリーの方が人見知りで頑固に思えていたけれど違った。
リリーはちゃんと、一族以外の人間とも積極的に交流している。人見知りの名残はあって、初対面の人間には緊張しているようだが、それでも頑張っているようだ。主人であるマリーの役に立つ為に努力している姿は、とても健気だと思う。
それに、もう一つ。リリーには微笑ましい変化があった。
窓の外に視線を移すと、薬草畑が丁度見える。
薬草の世話をするリリーの傍らには、目立つ白のローブを纏う青年がいた。
ミハイル・フォン・ディーボルト。
治癒と植物の成長促進という稀有な力を持つ、地属性の魔導師。彼は薬師であるオレ達とはとても相性が良く、交流が深い。
性格は穏やかで人当りが良く、控え目。
一族以外の男とは距離を取るリリーが、彼とは親しくしているようだ。
性格が合うのか、話が合うのか。よく楽しそうにしている場面を目撃する。
二人の話題は、マリーである事が多い。
リリーは知っていたが、ミハイルもマリーを崇拝している節がある。こないだも二人は、マリーの婚約の話で大層盛り上がっていた。
意識し合っている異性というよりも、同好の士のように色気のない関係のリリーとミハイルだが、もし将来的に夫婦となってくれたら、とても喜ばしい事だ。
そう考えながらリリー達を見守っていると、同じ方向を見ているロルフに気付く。彼の表情に悪感情はなかったが、つい興味本位で口を開いた。
「……リリーが取られちゃったみたいで寂しい?」
噛み付かれる覚悟をしていたけれど、ロルフは呆れたように溜息を吐く。
「ガキじゃねえんだから」
強がりではないと、二人を見る温かな眼差しが証明していた。
リリーとロルフは幼馴染という関係以上に近い。近過ぎて、お互いを異性として見るのは無理だろう。
ロルフの顔は、姉の幸せを喜ぶ弟のソレだった。
「オレが排他的なのは確かだよ。でも幸せそうな人間の邪魔をする程、性根が腐ってはいないつもり」
「アンタ……じゃあ、さっきのは何なのよ」
「それは身内贔屓ってやつ」
じとりと軽く睨むと、ロルフは肩を竦めた。
飄々とした様子で、口角を少し上げる。
意味が分からないと首を傾げるオレを真っ直ぐに見るロルフは、大人びた顔で苦笑した。
「アイツが幸せなのが一番だって分かってる。でも、ついでにヴォルフ様も幸せになれるなら更に良いだろ?」
虚を衝かれ、言葉を失くす。
まさか気付かれているとは思わなかった。
敢えて自分でも、見ない振りをしていたのに。
一回り以上年下の女の子に心酔して、更に気持ちを育てるのは流石にマズいと蓋をした。育つ前に水を断ち、枯れるのを待っていた。
ただ残念ながらしぶとくて、たまにふと芽吹きそうになるのを必死に潰している。
これが恋かと問われたら、分からないとしか答えられない。
分からないままにしておきたい。
婚約という止めを刺されたので、たぶん名前のないまま、ゆっくり息絶えるはずだ。
「……ありがとね」
ロルフの頭を、ぐしゃぐしゃと乱暴に撫でる。
嫌そうな顔をしながらも、手を振り払わない辺り、優しい子だと思う。
「私は幸せ者だわ」
少しだけ痛む胸には気付かないふりで笑った。




