転生王女の決心。
両親である国王夫妻立ち合いの下、レオンハルト様と私の婚約式が執り行われた。
国民にも正式に発表され、沢山の人達にお祝いしてもらって幸せの真っ只中……となるまでに、実は一悶着あった。
あれは花音ちゃんが地球へと帰って、半月ほど過ぎた頃。
父様にレオンハルト様と二人揃って、呼び出しを受けた。
婚約に関するあれこれを決めるのだろうと浮かれ切った私は、レオンハルト様が心配そうに顔を曇らせていた事に、その時は気付けなかった。
後から思うと、レオンハルト様は先に話を聞いていたのだろう。そうでなければ、各方面に根回し済みだった事への説明がつかない。
呑気な私が異変に気付いたのは、父様の部屋に入ってから。
待っていたのは父様だけではなかった。何故か同席している兄様とヨハンの姿を見て、『おや?』と内心で首を傾げた。
家族なのだからおかしい事ではない、と言われればそれまで。でも、それなら兄様とヨハンよりも、母様がいるべきだろう。
大切な兄と可愛い弟の姿を見て感じたのは、いつものような安心感ではない。ざわりと胸が騒ぐような、落ち着かない感覚。
有り体に言うならば、嫌な予感がした。
思わず立ち止まった私の背を、レオンハルト様が促すようにやんわりと押す。
斜め上にある端整な顔を見上げると、弱ったように眉を下げる。それでも背を押す手は外されない。もしや孤立無援の状態なのでは、と気付いた時には既に逃げるという選択肢は潰されていた。
「座れ」
父様は視線でソファを示す。
往生際悪く棒立ちしていた私だったが、渋々とその言葉に従った。拳一つ分空けた隣にレオンハルト様が腰を下ろす。
居心地の悪さを感じつつも父様を見ると、普段通りの無表情が僅かに崩れる。父様は、片眉を軽く上げ、呆れのようなものを滲ませた。
「そう警戒するな」
「無理です」
反射的に返した。
だって、何この圧迫面接みたいな空気。
兄様とヨハンは真剣な様子だし、レオンハルト様の表情も固い。
ここからどう転んでも、『家族に婚約を祝われ、旦那様と喜びを分かち合う』なんて微笑ましい未来が待ち受けているとは思えない。いくら私が頭お花畑だって、それくらいは分かる。
「姉様。怖い事なんてないから、大丈夫ですよ」
にっこりとヨハンが、お手本のような笑みを浮かべる。
怖い。
腹に一物ありそうな弟の笑顔に、私の警戒心はぐっと上がった。
小動物みたいにプルプルと震える私を見て、兄様は困ったように形の良い眉を下げる。
「ローゼ。落ち着いて聞いてほしい」
良くない話がある時の切り出し方に、私は既に泣きそうだ。
勇気付けるように、そっと握ってくれたレオンハルト様の手を握り返す。
「い、今更、婚約は駄目なんてお話は絶対に聞きませんからっ!」
涙目できっと睨むと兄様は目を丸くして、父様は大きな溜息を吐いた。ヨハンは目を眇め、私とレオンハルト様が繋いだ手の辺りを睨んでいる。
「誰もそんな話をするつもりはない。落ち着けと言っているだろう」
父様の呆れ混じりの声の陰で、ヨハンが「反対していいならしますけど」とぼそりと呟く。聞こえているからねと突っ込みたかったけれど、藪蛇になりそうなので止めた。
「寧ろ逆だ。お前達の婚約を整えるに当たり、障害となり得る問題を解決する為の話し合いをする」
「え」
驚きに数度瞬く。それから窺うようにレオンハルト様を見ると、彼は口元だけで微笑んで頷いた。
それを見て、ようやく落ち着いた私は、居住まいを正す。
レオンハルト様と結婚できるなら、障害の一つや二つ超えてみせる。
転生してから今まで、ずっとそうして来た。
「障害とは、どのようなものでしょう」
顔付きの変わった私を見て、父様はつまらなそうにフンと鼻を鳴らす。
「その男の為なら、何でもやるという顔だな」
「はい」
実際そうですし、と照れもなく肯定する。すると繋いでいた手がビクリと跳ねた。見るとレオンハルト様は、赤くなったのを隠すように顔を背ける。
釣られて赤くなるけれど、ヨハンの咳払いで我に返った。
父様はそんな私達を眺めた後、「よし」と重々しく頷く。
「ならば女公爵となれ」
「…………」
長い沈黙が落ちた。
無言で父様の顔を見つめながら、告げられた言葉を咀嚼する。
公爵とは、五つあるうちの爵位の第一位。王家に連なる血筋……例えば兄様が王位を継承し、王弟となったヨハンが臣籍降下して賜る地位だ。
女公爵というのだから、ここにいる唯一の女性として私が対象となるだろう。実際、王家の一員なのだから、その点のみ資格がある。
なるほど。私が公爵となると。
え、なんで??
「……は?」
呆気にとられた声が出た。
ぽかんと口を半開きにしたまま固まる私を、兄様とヨハン、それからレオンハルト様が気遣う目で見ている。
背中にじんわりと汗が滲む。
憐れむような皆の眼差しが、余計に逃れようのない現実を突きつけた。
「な、何故そうなるのです? 私がオルセイン伯爵家に降嫁するのでは、いけないのですか?」
焦りと不安に吃りながら問う私を、父様は無言でじっと見つめる。
見かねたように口を挟んだのは、ヨハンだった。
「そこが一つ目の問題です。王女の降嫁先として、伯爵家では釣り合いが取れません」
歴史的にも世界的にも、王女が伯爵家に降嫁した例はいくつもある。それにオルセイン家は由緒正しい家柄で、王家の信頼も厚い。優秀な騎士を多く輩出する名家だ。
そう必死に訴えるが、そんな事はここにいる誰もが知っている。つまり説得材料にはなり得なかった。
「お前の降嫁がなくとも、レオンハルトの功績でオルセイン家は近々、侯爵への陞爵が決まっている。だが、それでもまだ足りない」
「足りない?」
父様の言葉を聞いて、私は憮然とした。
ならばどうしろと、と言いかけて、すぐに思い当たる。そこから『女公爵となれ』という発言に繋がるのかと思うと、眩暈がした。
「侯爵程度が娶るには、影響力が大き過ぎる」
一度言葉を区切る。薄青の瞳が、私を捉えた。
「お前は功績を挙げ過ぎた」
「!?」
私からすると暴言とも取れる言葉に目を見開く。
今なんて言った!? この親父、なんて言った!?
レオンハルト様と結婚したければ功績を挙げろって言ったの、アンタじゃないか!!
「父様が功績を挙げろと仰ったんでしょう!?」
「やり過ぎだと言っている。加減を知れ」
馬鹿め、と付け加えそうな顔で告げる父様に、私は拳を握り締めた。
この、くそ親父ぃいいいい!!
ギリギリと歯を食いしばって怒り狂う私の背を、レオンハルト様が擦る。ぽんぽんと宥めるように柔らかく叩かれて、我に返った。
「姫君。まず、一通りお話を伺いましょう?」
「は、はい」
いかん、いかん。結婚する前にこんな鬼婆みたいな顔を見せたら、婚約破棄されちゃう。
深呼吸してから表情を取り繕うと、身内からの視線が痛い。兄様の寂しそうな目はともかくとして、他二つは黙殺したい。
「陛下の言い方に問題はあるが、実際にローゼの功績は大きい」
「そうですね。ヴィント王国では流行り病の収束に貢献した姉様を、女神と崇める人も多いです。自国の貴族よりもよほど知名度が高いですし、下手をしたら王家の影響力に並ぶかもしれません」
兄様の言葉をヨハンが引き継ぐ。
「それに、『海のしずく』でしたっけ? あの画期的な商品の開発者として、船乗りや商人からの人気も高いです」
「えっ。な、なんで……」
なんでそれバレてるの。
最後まで言えなかった疑問をきっちり拾ったらしい兄様は、困ったように微笑んだ。
「噂話として始まって、既に周知の事実となっている」
マジですか……。
確かに、商品名が『ローゼマリー』の別名である『海のしずく』な時点で、隠す気あるのかってレベルだったけど……。
「何よりお前はクーア族の主であり、医療施設計画の要だ。他家に嫁に出せば、いらぬ争いが起こる」
「…………」
ぐうの音も出なかった。
無言の抗議として、じっとりした目を父様に向ける。
確かに今後、建設される病院の事を考えると、私が一貴族のお嫁さんになるのはまずい。
学び舎を併設した医療施設の案が実現されれば、確実に医療レベルは押し上げられ、医者を志す若者が世界中から集う。
それに伴い、医療器具などの商品開発や物流も盛んになり、病院建設地は世界有数の大都市になるはず。
建設予定地は王家の所領だろうし、そのまま病院の管轄も国になるだろうけど、クーア族の主人である私は無関係でいられない。
良いものも悪いものも、私の懐に流れ込む。
そうなった時、オルセイン家は絶大な権力を手に入れる。
他家とのバランスが狂い、大きな軋轢を生むだろう。
それを見越した諸侯らから陳情もあり、特例的に『女公爵』が認められたようだ。
権力の一極集中を見過ごすよりはと、高位貴族の支持もある、と。
なるほど、うん。つまり、用意は整っているのね。
ついていけていないのは、私の頭と心だけってわけだ。
緊張に冷えた私の指先を、レオンハルト様は両手で温めるように包み込んだ。
恐る恐る視線を合わせると、柔らかな眼差しが言葉を促す。
「……レオンハルト様」
「はい」
「オルセイン家の後継は、その……」
「幸い我が家にはあと二人、男子がおります。特に下の弟は、数年前から父に付いて仕事を教わっていますので、跡取りには困っていません」
「そう、ですか」
でも、と言いかけて言葉に詰まる。
私が女公爵となるのなら、レオンハルト様は配偶者となる。当主ではなく、お婿さん。
彼が権力や地位に拘る人ではないと分かっていても、私のせいで、実力や功績に見合うだけのものを得られないのかと思うと、申し訳なくなった。
「ローゼマリー様」
俯きかけていた私は、呼ばれて、おずおずと顔を上げる。
「オレが欲しいのは、地位でも名誉でもなく貴方です」
「は……」
「貴方の伴侶となれるならば、どんな苦労も厭いません。何があっても、一生お傍で貴方を支え続けると誓います」
私に出来るのかな、と、大きな不安があった。
政治も領地経営も、たぶん甘ちゃんな私に向いていない。清濁併せ呑む器がなければ、人の上に立つのは難しい。
それでも、最愛の人がここまで言ってくれているのに、逃げ出すという選択肢なんてあるはずもなかった。
それに、私は一人じゃない。レオンハルト様がいてくれるし、他にも支えてくれる人が沢山いる。苦手な事は頼って、一緒に悩んでもらえばいい。
「……大変な道でしょうけれど、共に歩んでいただけますか?」
下手くそな笑顔を向けると、レオンハルト様は目を瞠る。
「はい。喜んで」
嬉しそうに眦を緩める彼を見た私は改めて、この人を好きになって良かったと心から思った。




