転生王女の訪れ。
花音ちゃんが地球に帰ってしまった。
また会えると約束したのだから、哀しむ事なんてない。そうは分かっていても、寂しく感じているのも事実な訳で。
楽しかった時間を反芻するように、お菓子を作ってみた。
白玉粉は使い切ってしまったので、今回は普通に焼き菓子。
マドレーヌは上手に焼き上がったけれど、一人で食べると余計に寂しくなりそう。
誰かと一緒に食べたいと考えて、真っ先にレオンハルト様の顔が思い浮かんだ。
とても忙しそうなので、邪魔するべきではないと分かっていても、会いたい。たった十日、されど十日。お顔さえ見られない日々は、地味に私のメンタルを削った。
一言、二言お話し出来るだけでも……ううん、この際、遠目にお姿を見るだけでもいい。
そろそろ、レオンハルト様欠乏症になりそう。
「……でも、迷惑よね」
自室にて。
ソファーに腰かけてぼんやりしていた私は、溜息と共に独り言を吐き出す。
「どなたに対してのお言葉でしょう?」
「えっ」
虚を衝かれて声が洩れる。
顔を上げると、クラウスと目が合った。
「何でも……」
「差し出がましいとは存じますが」
なんでもないと誤魔化そうとした私の声に、クラウスは言葉を被せる。
「そちらは、団長への差し入れではありませんか?」
『そちら』と視線で示したのは、私の膝の上にあるバスケット。中身はもちろん、手作りのマドレーヌだ。
咄嗟に否定しようとして言葉に詰まる。
お菓子作り自体は私の気晴らしだったけれど、途中からレオンハルト様の顔を思い浮かべていたのは確かだ。それに自分で食べるでもなく、せっせとバスケットに詰めている時点で言い訳出来ない。
矛盾した自分の行動が、なんだか恥ずかしくなって、バスケットを隠すように両手でそっと抱き込んだ。
「……お仕事の邪魔をするつもりはないの」
言い訳めいた言葉を、ぽそぽそと小声で呟く。
俯いた私の頭上で、「ぐっ」と呻くような声が響いた。
顔を上げると、何故かクラウスは心臓の辺りを押さえていた。具合が悪いのかと声をかける前に、ごほんと誤魔化すように咳払いをする。
頬を赤らめていた彼は一転、真面目な顔で私の前に跪く。
「邪魔なんて思う筈がないでしょう」
妙に力強く言い切るクラウスに気圧され、思わず姿勢を正す。
「断言致します。団長が貴方様を厭う事は絶対にございません」
「クラウス……」
「もし欠片でも粗雑に扱う素振りを見せたら、その場で斬り捨ててご覧にいれます」
「クラウス?」
一気に不穏になった空気に真顔になる。
ちょっと感動していたのに、浸る暇もない。
私の心を和らげる為の冗談だとしても、もう少し気兼ねなく笑える類のものにしてほしい。……冗談だよね?
なんか誇らしげに胸を張っているけど、冗談だよね、ねぇ。
胡乱な目つきをしているだろう私に、クラウスはにこりと笑いかけた。
「ですので、どうかお心のままに」
したいようにすればいい、とクラウスは背中を押す。
相変わらず、うちの護衛は全肯定マンだ。
媚び諂うイエスマンではなく、私の考えを理解し、それに伴う問題を把握した上で、全肯定する。忠臣というより、孫馬鹿なお爺ちゃんの方が近い。
それでいいのかと思わないでもないが、今はその肯定が有難かった。
「……ありがとう、クラウス」
よし、と自分に気合いを入れてから腰を上げる。
倣って立ち上がったクラウスは、行動を問うように私を見た。
「せっかく作ったのだから、差し入れだけでもお渡ししてくるわ」
「かしこまりました」と頷いたクラウスを連れ、レオンハルト様の執務室を目指した。
近づくにつれ、緊張が大きくなる。
執務室の扉が見える頃には、既に逃げ出したい気持ちになっていた。
クラウスが扉をノックする前に、扉が中から開く。
現れたのはレオンハルト様ではなかった。クラウスと同じ服装なので、近衛騎士団に所属する人だろう。
年の頃はおそらくレオンハルト様より少し上。
外見に目立つ特徴はないものの、穏やかな人柄が滲み出るような優しい顔に見覚えがある。レオンハルト様の副官の方だったはず。
確か、お名前はマルクスさん。
多忙さを表すように顔色の悪い彼は、扉の外にいたクラウスに一瞬、驚いたようだった。
「珍しいな。団長になにか御用……」
顔立ちと同じく柔らかな声で問うマルクスさんは、途中で私の存在に気付く。
ぎょっと目を剥いた彼は私を二度見した。
「ご無礼を」
慌てた様子をすぐに取り繕い、胸に手を当て、頭を下げる。
それを手で制し、『楽にして』と示した。
「無礼は、前触れもなく訪問した私の方です。お仕事の邪魔は致しませんので、少しだけ宜しいかしら」
「かしこまりました。すぐに団長に……」
「待って」
踵を返して室内へと戻ろうとしたマルクスさんを止める。
「お手間はとらせたくないの。差し入れだけ、お渡ししていただける?」
マルクスさんのくたびれ具合を見てからでは、とてもじゃないが、仕事の邪魔をする気にはなれなかった。
私の我儘で、時間をとらせたくない。私に使う時間を仮眠に当ててほしかった。
「天使か……」
目頭を押さえたマルクスさんが独り言を呟く。
見えないものが見えているようで、本格的に心配になってきた。
「たくさん焼いたので、宜しかったら皆さんも召し上がってくださいね」
バスケットを手渡して、「では」と去ろうとすると、慌てて引き留められた。
「お待ちください。どうか差し入れは直接、団長にお渡し願えますか」
「え?」
「その方が喜びます」
一度渡したバスケットが、手元に戻ってくる。
「でも、お忙しいのでは?」
戸惑う私に、マルクスさんは頭を振る。
「確かに仕事量は増えています。とはいえ普段の団長でしたら全く問題のない量なんですが……」
そこで言葉を区切り、彼は苦笑した。
「ここ数日、何に気を取られているのか、かなり効率が落ちているんです」
言葉をぼかしつつも原因が分かっているような口ぶりだ。
レオンハルト様を理解している事に頼もしさを感じると共に、少しだけ、狡いなと思ってしまった。我ながら心が狭い。
「貴方様にお声をかけていただけたら、きっと元気になるでしょう。さぁ、どうぞ」
柔らかな口調でありながらも、断る選択肢が用意されていない。謎の強引さで執務室の中へと追いやられる。
その背後でクラウスにまで見送られ、パタンと扉が無情にも閉まった。
えっ……ちょ、ま、心の準備が出来てないんだけど……!?
「マルクス」
戸口の辺りで固まっている私の方へ、声がかかる。
聞き間違える筈もない、大好きな人の声だ。
書類の山に埋もれた彼は、視線を上げないままに言葉を続ける。
「悪いが、茶を貰えるか。頭が働かないから、濃いヤツを頼む」
お茶なら喜んで淹れるけど、そうじゃないよね。
というか、マルクスさんへの言葉を私が返していいものか。
だらだらと冷や汗を流しながら沈黙していると、それを疑問に思ったらしい彼が顔を上げた。疲れているのか、酷く緩慢な動作で。
「マルク……」
途中で声が消える。
切れ長な目が一瞬の間を空けて、大きく見開かれた。




