魔導師達の帰還。
※引き続き、テオ・アイレンベルク視点です。
「……疲れたなぁ」
「…………」
カポカポと長閑な足音を鳴らし進む馬の背で、青空を仰ぎながら告げた言葉に返事は無かった。
隣を並んで進む馬の背に乗るルッツは、死んだ魚のように虚ろな目で、前を見つめるのみだ。どうやら喋る元気も無いらしい。
馬車の荷台に転がされての強行軍に、使い慣れて無い魔法の乱発。ずっと緊張状態にあった事も加算され、疲労感が凄い。
指一本動かすのも怠く、気を抜けばすぐに瞼がくっ付きそうになる。
兎に角今は少しでも早く、眠りたかった。
スケルツ王国、国王直轄部隊は、一先ず隣国ヴィントが身柄を預かる事となった。これより先は国同士の問題なので、オレ達の役目はここまでだ。
本来ならばオレ達も、不可抗力とはいえヴィント王国に不法入国してしまった事になるが、その辺りは二人の殿下が何とかしてくれたのだろう。
取り調べも殆ど受ける事なく、オレ達は帰途につけた。
迎えに寄越された騎士団は、辺境の砦に泊まるよう王子殿下に指示されていると言ったが、固辞した。
どうせなら帰ってから、ゆっくり休みたい。
命令に忠実な騎士は渋ったが、『首輪の無い状態で意識を失うのは初めてなので、仮に暴発……いえ、何かあったとしても不問ですかね』と笑顔でルッツが呟いて以降は、何も言わなくなった。
オレよりも余程ぐったりとしている筈のルッツも、同意見だったらしい。
あまり脅かし過ぎて、城に居辛くなっても困るから、程々にな、と苦笑交じりに窘めると、彼にしては珍しくも、素直に頷いた。
「……早く」
あまりにも動かないものだから、馬上で意識を失っているのではないかと危惧したルッツが、口を開く。
何だろう、と視線を向ければ、彼は前をぼんやりと見つめたまま、続けた。
「帰りたい」
「…………」
ぽそり、と零れた小さな呟きは、ごく有り触れたもの。
けれどルッツの口から出るのは、初めての言葉だった。
オレとルッツが孤児院で出会ったのは、七歳の初夏。
初めて彼を見てオレが抱いた印象は『薄い奴』だ。
白に近い銀髪と真っ白な肌は、孤児院の庭先に植えてあるエルダーフラワーに溶け込んで消えてしまいそうな程に淡く、手足は同い年の少年とは思えぬ細さだ。
唯一彼の中で濃い色彩である筈の藍色の瞳には、生気の欠片もなく、存在感さえ希薄に見える。
どんな育て方をすれば、こんな薄い人間が出来上がるのだろう。
そんなオレの疑問は、彼の生い立ちを聞いてすぐに解決された。
ルッツはずっと隠されて生きてきたらしい。存在を知るのは両親だけで、遠くに住む祖父や祖母、それから近所の人間も皆、ルッツの存在を知らずにいた。
生まれたばかりの赤子では、魔導師の素質の有無など分かる筈も無いのに、何故と思った。だが規格外の魔力を持つルッツは、もしかしたら赤子の頃に既に兆候が表れていたのかもしれない。
オレもそうだが、魔導師は魔力を発動させる時に瞳の色が変わる事が多い。オレは赤から金に、ルッツは青から銀へと変化する。
赤子の頃は、魔力も殆ど無いだろうから、魔法といっても五感で感じ取れないような微かなものだっただろうが、瞳の色の変化はあった筈。
ルッツの両親は彼の魔導師としての素質に気付き、閉じ込める事を決意したのだろう。彼の両親は亡くなってしまった為、今となっては推測でしかないが。
そうして孤児院にやってきたルッツは、周囲と打ち解ける事なく孤立した。
まぁ、話しかけても無視するし、完全に自業自得なんだけど。自主的に傍に寄っていくのは、オレくらいだった。
オレは生まれてすぐに孤児院の前に捨てられていたらしく、孤児院の子供らの中では古参にあたる。兄代わりの存在としてチビ達には懐かれていたが、それでも心の底から彼等を家族だと思えなかったのは、自分が異質な存在だと薄々勘付いていたからだろう。
慕われれば慕われる程、拒絶される未来が恐ろしくて、時々酷く息苦しくなった。
オレに対しても無関心を貫くルッツの傍だけは、少しだけ息がしやすくて、オレは彼と共に居る事が多くなった。
孤児院の裏には小さな山がある。ルッツはそこに生えている大樹の根元がお気に入りだった。割り当てられた仕事を終えると、ルッツはすぐにそこに向かうから、オレは勝手にくっ付いて行き、その大樹の枝の上で寝るのが日課になっていた。
読書をするルッツと、昼寝をするオレに会話は殆ど無い。日が沈みきる前にオレが『帰るか』と声をかけるが、ルッツが返事をした事はない。
孤児院は、帰るべき場所ではなかったからなのだろう。ルッツにとっても、……オレにとっても。
十歳になった冬。
オレが魔力持ちである事が神父様にバレた。
数年前から何となく、自分の中に抑えきれない力がある事は感じていた。魔力は感情の起伏に左右されやすいらしく、オレの場合、『怒り』に引き摺られやすい。
その日オレは、神父様に呼び出された。一向に馴染もうとしない『問題児』のルッツと、一見人懐っこい『良い子』のオレが一緒にいる事を快く思わない神父様は、遠回しに距離を置けと言ってきた。
綺麗な言葉ばかりを並べて説得しようとする神父様に苛立ち、何も知らないくせにとオレが叫んだ瞬間、近くにあった本が燃えた。
混乱する神父様を眺めながら、諦めを伴った絶望感がオレを支配する。
ああ、やっぱりオレは化け物だったんだ、と。
そこでオレが狂わずにいれたのは、ルッツのお蔭だ。
騒ぎに気付き子供達が集まり出す前に、現れたのはルッツだった。彼が手を翳すと、今まで燃えていた本は、カキンと凍り付く。
『オレもこいつと、同じ種類の化け物です』
そうルッツが言い放った時の、神父様の表情は忘れようも無い。恐怖と絶望と、侮蔑と憐れみ、どす黒い感情を同じ鍋で煮詰めてしまったような、酷く淀んだ目をしていた。
そのくせ神父様は、オレとルッツを『普通の子』だと言った。
君達は個性が強いだけの普通の子だ、私の大切な家族だと。
平時は笑顔で接するが、魔力の片鱗でも見せようものなら、それは悪い事だと叱る。魔法は悪魔の力だと。その時の神父様の表情の方が、よっぽど悪魔のような形相だと思った。
怒りすらもう、湧いてこない。
神父様は、見ないふりをしているだけだ。
躍起になって、臭い物に蓋をしているだけの事。
オレ達の為に、怒っているんじゃない。愛しているから魔法を忌避するのではない。彼はただ、『子供を受け入れられない自分』が、受け入れられないだけなのだ。
それから月日が流れ、オレ達は十三歳となった。
ようやく国にオレ達の存在がバレて、歪んだ家族ごっこは終了。オレ達を保護しに来た騎士達を見て、神父様は口では反抗していたものの、表情からは安堵が窺えた。歪みを無視し続けてきた関係は、すでに回復不可能なまでに悪化していた。強制終了させられずとも、終わりは目前だったのかもしれない。
そうして連れて来られた王城でオレ達が出会ったのは、三つ年下の王女様。
緩く波打つプラチナブロンドは、腰に届く程に長く、長い睫に飾られた大きな瞳は、良く晴れた空の色。ふわふわとした愛らしさと、凛とした美しさの両方を併せ持つ彼女は、ろくに本も読まないオレが、漠然と描く『お姫様』そのものだった。
しかし、綺麗なものだけを集めて形作られているような王女は、無邪気そうな外見に反し、聡明。ついでに、変わった方だった。
最初は、兄君に命令され、懐柔しようとオレ達に近付いて来ているのかとも思ったが、それにしては馬鹿正直過ぎる。
怖いかと問われれば、怖いと答え、同情だろうと詰られれば同情していると、真正面から答えた。
そんなに素直に返されれば、毒気も抜ける。
オレ達を知りたいと言う彼女の言葉にも、嘘はないように見えた。悪意の欠片も見つけられないような、澄んだ目で言われれば信じるしかないだろう。
本来ならば近付く事も許されないようなお姫様は、飽く事なくオレ達に話しかけて来た。
拒絶するルッツに怒りもせず、少しずつ距離を縮める。堂々と『餌付けだ』と言いながら、手作りの菓子を持って来た時には、流石に驚いた。皿一枚洗った事もないようなお姫様が作った菓子は、料理人が作ったものよりも美味かった。
いくらオレが捻くれ者でも、ここまで歩み寄ってくれた人に対し、どうせ上辺だけだとは思えない。気付けば彼女のくれた温かなもので、オレの心は満たされていた。
もう、充分だ。
魔導師としてのオレごと受け入れて欲しいなんて、贅沢は言わない。
そう、思っていたのに。
彼女は、魔導師としてのオレ達も、とっくに受け入れてくれていた。神父様のように目を逸らしているのではなく、ごく自然にオレ達を認め、その上で傍にいてくれていたんだ。
理解した途端、肩の力が抜けた。
もう拒絶される事に、怯えなくていい。背を向けて意地を張る必要もない。
なんせオレ達は、竈で氷室なんだから、今更どんなに格好付けたところで無意味。そう思うと、可笑しくて、可笑しくて、笑いが止まらなかった。
ここにいたいと、思った。
姫様と、ルッツと、オレがいて。それだけでもう、何も望まない。それがどんな呼ばれ方をする関係でも、構わない。
家族でなくとも、友達でなくとも。例えば、主従であってもいい。
「……テオ」
「……ん?呼んだか?」
過去の記憶を辿り、思い耽っていると、ルッツに名を呼ばれた。
沈黙したオレを不思議に思ったらしく、訝しむような視線が向けられる。
「急に黙り込んで、どうしたの」
腹でも痛い?と付け加えられた言葉に、オレは目を丸くした。
冗談めいた言葉は軽い響きではあったが、表情を見れば、本気で心配している事は分かる。昔の彼からは、想像もつかない反応だ。
「……お前、丸くなったよなぁ」
「は!?……人が心配してやってんのに、何それ。馬鹿にしてんの」
しみじみと呟くと、ルッツは眦を吊り上げた。
丸くなった上に、随分と表情豊かになったものだと思う。
「いや、感慨深くてさ」
「喧嘩売ってんなら言い値で買うよ」
「姫様のお蔭だよな」
「!」
ルッツの白い頬が、色付く。
うぐ、と言葉に詰まった彼は、赤くなった顔を隠すように顔を背けた。
「……馬っ鹿じゃないの」
「そうだなぁ」
のんびりと笑えばルッツは、それ以上何も言わなかった。
それから無言でオレ達は、馬で王都を目指した。
途中で休憩と仮眠を挟みながら、ようやく到着した頃には、オレ達はもうへとへと。気力でようやっと動いているようなものだった。
ふらふらと足元も覚束無い状態で、オレ達が向かったのは、自分達に割り当てられた部屋では無く、通い慣れた温室。
いるという保証も無いのに、何をやっているんだかと我ながら呆れる。だが、どうしても会いたかった。会える気が、した。
「…………」
温室の扉を開ける。
緑の葉の向こうに見えた小さな影。ちらりと覗くのは、きらきらと輝く白金色の髪。此方に背を向けているので、彼女はオレ達に気付かない。
傍に立つ護衛騎士は、即座に反応し、面白くなさそうに鼻を鳴らす。地味にムカつくな。
「姫様」
小さく、呼ぶ。
自分のものとは思えない位しわがれた、酷い声が出た。
届かないかもと危惧したが、オレの声に反応するように姫の肩が揺れる。
「姫」
対抗するように、今度はルッツが呼ぶ。その声は、オレと同じく掠れて聞き取り辛い。
でも姫様は振り返った。澄んだ空色の瞳が、オレ達を見つけて大きく見開かれる。こぼれそう、とぼんやりと思った。
「……、……」
戦慄いた唇が、オレ達の名をゆっくりと刻む。けれど音には、ならなかった。
ふらりと、よろめくように一歩踏み出す。傍らの護衛騎士が支えようとする腕を、手振りで制し、もう一歩踏み出した。
「ルッツ」
「……なに」
「テオ」
「はい、姫様」
待ち望んだ声に呼ばれ、ルッツは照れ臭いのかぶっきら棒に。オレは喜びを隠しもせず、満面の笑みで答える。
「……っ」
呆然としていた姫様の瞳が、じわりと滲む。開いた唇から、声のかわりに空気が抜けるような音が洩れて、彼女はくしゃりと顔を歪めた。
「っ、……テオ、……ルッツ」
もう一度オレ達を呼ぶ姫様の頬を、宝石のような涙が、はらはらと滑り落ちる。後から後から、止めどなく。
泣き顔を隠しもせずに姫様は、嗚咽を洩らす。子供みたいにしゃくりあげながら、言葉を紡いだ。
「おかえり……おかえり、なさい……っ」
その瞬間、感じたのは歓喜。
切なさを伴った喜びが、胸を占める。探し求めていたものを得た安堵、切ないまでの充足感。哀しくもないのに何故か泣きたいような衝動が襲う。
笑顔が歪んでしまうのは、姫様につられたって事で、誤魔化されてくれないだろうか。
あんまりにも恰好付かないから。幸せで泣きそうだなんて。
「ただいま」
ようやく、見つけた。
オレの、帰る場所。
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