転生王女の弟君。
私が倒れて三日。目を覚ましてから更に追加で五日が経過した。
お医者様の許可が出ないので、私は未だベッドの住人だ。とはいえ、そろそろ軽い運動なら平気だろうとの事なので、明日か明後日頃には庭を散策出来るようになると思う。
そしてそんなスローペースな私の日常とは真逆に、世界情勢は大きく動いた。
我が国の北東に位置する隣国、そして敵国でもあるラプター王国の国王がつい先日、崩御した。
死因は病死。夜会で倒れ、そのまま息を引き取ったという。
年齢は五十手前くらいだったと記憶しているが、どうやら元々、内臓を患っていたらしい。
バルナバス・フォン・メルクル陛下は美食家で且つ酒豪。日頃の不摂生が祟って体を壊したのだと噂されている。
王位継承権第一位は、嫡男である王太子殿下。
けれど王太子殿下は生まれつき体が弱く、まだ年若い。政務に携わった経験は無いに等しく、現在の混乱したラプター王国を治める力はないとご自身で判断されたらしい。王太子殿下は王位継承権を放棄。
代わりに新国王として即位したのは、亡くなった国王の実弟。エーミール・フォン・メルクル殿下だった。
国王陛下が前触れなく亡くなったにもかかわらず、異例とも言える速さでの王位継承。しかし驚く程、混乱は起こらなかったという。エーミール国王陛下の人徳なのか、国内の有力貴族はかの方を支持した。
国民も、経済制裁で飢えに怯える最中に、暴飲暴食が原因で亡くなったという噂の国王に思うところがあったのか、新国王の即位を歓迎しているらしい。
そして新国王は即位すると即座に、一部の貴族の粛清を開始した。
前国王を唆し、汚職に関わっていた者全ての貴族籍剥奪と財産の没収を決定。
その上でネーベル王国への使者を立て、全面的にラプター側の非を認めて謝罪した。
ここまでが、私が倒れてから一週間の出来事だというのだから、驚くなという方がおかしい。
流石に賠償等の話し合いは、まだ先の話になるみたいだけど、それにしてもだ。怒涛の展開が過ぎる。
まるで予め、取り決められていたようだ……なんて考えかけて止めた。
物騒な憶測を振り払う為に軽く頭を振った私は、遠くから聞こえる音にふと動きを止めた。
「……?」
足音、だろうか。
誰かが廊下を駆けているような荒い靴音が、だんだんと近づいてくる。
王城に勤めている侍女や騎士達は礼儀作法が身についているので、滅多な事では走ったりしない。
なにか、緊急事態でも起こらない限りは。
思わず身を固くした私と同じく、控えていた侍女達の顔が強張る。
緊張する私達がいる部屋の前で、足音が止まった。
クラウスは少し席を外しているが、別の近衛騎士がいるはずだ。
何やら対応に困っているような声が聞こえた後、扉が鳴った。
侍女の一人が扉を開け、近衛騎士と遣り取りしてから私を見る。
「ローゼマリー様。ヨハン殿下がお見えになっております」
「……え?」
すぐには言葉の意味を飲み込めずに、私は首を傾げた。
ん? んん?
聞き間違い? ヨハンって聞こえた気がするんだけど、そんなワケないよね。あの子はヴィント王国にいるはずだ。
帰国予定だなんて聞いてないし、手紙も届いていない。
私が頭上に疑問符を浮かべていると、扉の外から懐かしい声が聞こえた。
「姉様、僕です」
「……ヨハン?」
ぱちくりと瞬いてから呼ぶと、扉が大きく開いて人が飛び込んでくる。
「姉様……!」
波打つ黄金の髪と、長い睫毛に飾られた深い海色の瞳。母様似の華やかな美貌は小さな頃から変わらないが、すっと削げた頬やしっかりとした首筋は男性的な魅力がある。
身長はヴィント王国で再会した時よりも更に伸びて、たぶん百七十センチ前後はあると思う。細身ながらもしっかりと筋肉のついた体は逞しい。
身に纏っている紺色のコートのせいもあって、より大人びて見える。
少年から青年へと変わる年頃の弟は、少し見なかった間にまた成長していた。
足早にベッドの傍まで来たヨハンは、呆気にとられている私の手を取り、ずずいと顔を寄せる。御伽噺から抜け出した白馬の王子様みたいな美青年は、必死の形相で私を見た。
「姉様、け、けけけけ、けっこ……」
弟がバグった。
鶏の鳴き声みたいなものを発したヨハンは、途中で言葉を区切って深呼吸を繰り返している。何故か顔色も悪く、息も絶え絶えだ。
何がなんだか分からない。
ヨハンが何を言いたいのか、何をしたいのか。そもそも何故ここにいるのかさえ分からないのだから、混乱は増すばかりだ。
でも何やら大事な事を話そうとしているのを、邪魔する訳にはいかない。
ヨハンが落ち着くのを黙って待っていると、再度、扉が鳴った。返事をすると相手はクラウスだった。
「ヨハン殿下からのお手紙をお持ち致しました」
本人の方が、手紙より先に届いちゃっているよ……。
長い溜息を吐き出したいのを、なんとか堪えた。
「……間に合っています」
「は……、あの……?」
困惑しているような声が聞こえたが、説明は同僚である近衛騎士にお願いしてください。
そんな余裕が今はないんだ。
扉の付近で恐縮している侍女達には席を外してもらい、少ししたらお茶を持ってきてとお願いする。安堵した顔で退室する侍女を見送ってから、ヨハンに向き直った。
ぶつぶつと独り言を呟いているヨハンをよく見ると、髪は乱れているし、少々埃っぽい。汗のにおいも少しするし、かなり無理して帰国した事が窺える。あと旅装っぽいので、到着した足でそのまま私のところに来ていると見た。
会えるのは嬉しいけれど、埃落して、一息ついてからでも良かったのに。
あと、私よりも父様に報告に行く方が先なのでは?
ツッコミどころ満載だが、まぁいいか。
「ヨハン」
「……っ」
ヨハンが俯いた事で近づいた頭に手を伸ばし、金色の髪を撫でる。
弾かれたように顔をあげた彼に微笑みかけた。
「おかえりなさい」
「……!」
目を見開いたヨハンは、次いで何かに耐えるようにぐっと唇を噛み締める。
「……ただいま、帰りました」
暫しの沈黙。間を空けてから口を開いたヨハンは、掠れた小さな声で呟いた。
彼は私の手を両手で包み込んでから、顔を上げる。
悲壮感が漂う顔で数秒、逡巡するように視線を彷徨わせた。
そして覚悟を決めたのか、息を大きく吸い込む。
「姉様」
「はい?」
「け、けっこ……」
鶏が再発した。よほど言いたくないのか声は尻すぼみに消える。
雨に濡れた子犬みたいな顔で、ヨハンはじっと私の目を見つめた。
「け、……こ、……婚約したというのは、本当ですか……?」
「はい」
正式にはまだだけどね、と付け加える事はせずに笑顔で即答すると、ヨハンは雷に打たれたように跳ねて固まった。
 




