転生王女の睦み。
引き続き砂糖増量回です。胸焼けしている方は回避推奨。
夢みたいだ。
泣きすぎて痛み始めた頭で、ぼんやりとそんな事を思う。
異性として見られないと言われ、泣いていた頃の小さな私に教えてあげたい。
貴方はこれから何度も、儘ならない恋に泣くだろうけど、諦めずに頑張って。
全部、無駄にはならないから。貴方の歩く道はちゃんと、レオンハルト様の元に繋がっているから、って。
ひく、としゃくりを上げながら目元を手で擦ろうとすると、やんわりと止められる。
「擦っては駄目です。後でもっと腫れてしまいますよ」
蕩けそうな顔で、レオンハルト様は私に微笑む。
寝台横のテーブルに置かれた洗面器に手拭を浸し、絞る様子を眺めながら、私は何度目かになる感動を覚えていた。
優しい。
レオンハルト様は昔からずっと優しかったけれど、今までとは距離感が違う。
手のかかる妹の世話を焼くようなソレと似ていながらも、はっきりと別種だと分かる。甘やかすような仕草と声に、改めて、恋人になれたんだなって実感出来た。
いや、違う。恋人じゃなくて……婚約者。
レオンハルト様の隣に並んで、同じ方向を見る事が許される。
当たり前みたいに、共に歩む未来を話せる立場を手に入れたんだ。
夢みたい。
そっと胸に手を当てて、もう一度、同じ言葉を胸中で繰り返す。
濡れた手拭いを手に、私の方を向き直ったレオンハルト様をじっと見つめる。少し不思議そうに首を傾げた彼は、涙の跡をそっと拭ってくれた。
「どうかしましたか?」
問いかけに、ゆるく頭を振る。
手拭い越しの大きな手に寄り添うように首を傾け、目を閉じた。
この幸福感が幻ではないのだと実感したくて、熱に擦り寄る。
「……っ」
息を呑む気配がした気がした。
同時にレオンハルト様の手も強張る。
大きな手が優しく撫でてくれるのが気持ち良かったのに、固まってしまって動く様子がない。
駄目だった……?
鬱陶しかったかな……。
薄目を開けて、レオンハルト様を窺い見ようとした時、手が動いた。
べしゃりと、濡れた手拭いが床に落ちる。
音に驚いて目を見開くと視界一杯に、レオンハルト様の顔があった。
「……」
「……」
唇が触れそうな距離で、無言のまま見つめ合う。
何とも言えない微妙な空気が流れた。
ど、どうしよう……。
これは目を開けるタイミングを完全に間違っているよね。
色っぽいイベントとは無縁で十五年間駆け抜けてきたから、とんでもない失敗をしてしまった。
今からでも、目を瞑ったら間に合うかな。
……いやでも、違ったらどうしよう。ばっちこい! と目を閉じてから、実は目元の腫れを確認してくれていただけだとかオチがついたら、たぶん私は死ぬ。恥ずかしくて死ぬ。
グルグルと悩んでいる間に、レオンハルト様は離れてしまう。
「……すみません。無意識でした」
こほん、と咳払いをして身を引いた。
もう触れないとアピールするみたいに、両手を軽く上げながら。
「え?」
何が無意識だったんだろう。
問いかけるように見上げると、レオンハルト様の目元がさっと朱に染まる。片手で口元を覆い隠しながら、視線を逸らした。
「触れても許されるんだと思ったら、抑えが利かなくて」
「!」
びびっと、頭の先からつま先まで衝撃が走る。
全力疾走したみたいに、心臓が煩い。滲む汗のにおいを気にする余裕すらなかった。
触れたいと思ってくれているのなら、存分にどうぞと言いたいけれど、それはあまりにもはしたない。
恋愛初心者である私が受け止めきれるとも思えなかったし。たぶん早々に脳がショートする。
でも、触れてもらえなくなるのは嫌だ。
私はレオンハルト様の服の裾を、ちょんと摘んで引く。
こんな子供っぽいアプローチに気付いて貰えるのか心配だったけど、どうやら杞憂みたいだ。
「姫君……」
少し上擦った声で呼ばれても、恥ずかしくて目を合わせられない。
再び頬に触れた大きな手が、そっぽを向いたままの私を、やんわりと上向かせる。眦を赤く染めたレオンハルト様はくらりとするくらい色っぽくて、どうにかなりそう。
「口付けても?」
「っ……」
聞かれても、恥ずかしくて答えられない。
小さく頷くのが精いっぱいだった。
目を伏せると、そっと唇が重なる。
しっとりと触れ合うだけの口付けでも、心臓が痛いくらい脈打っている。
初めてじゃないのに、息が苦しい。いつか慣れる日が来るとは、到底思えなかった。私はきっと、ずっとこの人にドキドキしていると思う。
ほんの数秒の触れ合いでも私はくったりとしてしまった。
お子様な私に合わせてくれているのかと思うと、有難くもあり、申し訳なくもある。
大人なレオンハルト様には、こんなの幼子のスキンシップみたいなものだろう。満足には程遠いんじゃないかな。
そんな事を考えているうちに、レオンハルト様は、力の抜けた私の体を抱き寄せて、寄り掛からせてくれた。
甘えるように頬に頬を摺り寄せられたのが、くすぐったくて小さく震える。
「レオンさま?」
「姫君」
弾んだ声で呼ばれて、ぱちくりと瞬いた。
「はい」
「姫君」
「はい」
「ローゼマリー様」
何度も呼ばれて戸惑いながらも、返事をする。
頬、額、鼻先と、順番にくっつけられて、まるで大型犬に懐かれているみたいだなと、失礼な感想を抱いた。
意図は全く分からないけれど、柔らかな接触が気持ちよくて、幸せで。
なんだか楽しくなってクスクス笑いながら目を開けると、すぐ傍にあった雄々しい美貌が、ふわりと緩んだ。
さっきまでの色香を纏った笑みではなく、少年のような笑顔に虚を衝かれる。
喜色満面と呼ぶのが相応しい、幸せそうな顔でレオンハルト様は口を開いた。
「夢のようだ」
さっきまで私が心の中で繰り返していた言葉が、レオンハルト様の唇から零れ落ちる。
「レオンさま?」
「貴方にこうして触れられて」
そう言いながら、レオンハルト様は私の手を掬い上げた。手の甲を硬い親指が撫でて、きゅっと握り込まれた。
「当たり前のように、寄り添う事を許されている今が奇跡のようで、夢を見ているような気分になるんです」
「!」
側頭部に寄り掛かる重みを感じる。
レオンハルト様の言葉は、さっき私が感じていた事そのもので、嬉しくなった。
「私も同じ事を考えていました」
「貴方も?」
「はい。お揃いですね」
嬉しい気持ちのままに、にこにこと笑み崩れていると、レオンハルト様は眩しそうに目を細めた。
「お揃いですか。……嬉しいな」
私の顎に手がかかる。
顔を傾けられて、「ん?」と頭を疑問が過る。レオンハルト様の墨色の瞳には、アホ面を晒す私が映っていた。
「なら、この気持ちも同じでしょうか」
「ど、どんな……?」
うっそりと笑む彼の言葉の熱が、直接、唇に伝わる。
「もう一回、したい」
触れた唇の熱さに眩暈がした。




