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転生王女の最愛。


 私がわぁわぁと泣き喚いている間、大人しく抱き締められていてくれたネロだが、落ち着いたのを見計らったかのように腕から抜け出した。つれないとは思わない。寧ろよく、今まで付き合ってくれたものだ。


 定位置である籠の中に丸まった姿を見て、改めて嬉しくなる。ああ、帰ってきてくれたんだと実感出来た。



 ぐす、と鼻を鳴らしながらも笑っていると、大きな手が伸びてきた。節くれだった指が、涙に濡れた私の頬を撫でる。

 至近距離で私を映すのは、濁りのない黒曜石の瞳。普段は凛々しい美貌が、甘く蕩けるように微笑む。


 ネロが帰ってきてくれた事が嬉しすぎて、現在置かれている状況が頭からすっぽ抜けていた私は、ぱちくりと目を瞬かせた。

 一瞬、何が起こっているのか本気で分からなかった。


 でもすぐに、そういえばレオンハルト様がネロを連れてきてくれたんだと思い出して、そこから数珠繋ぎに引っ張り出される形で、色んな事が頭に蘇る。


 かぁああ、と沸騰する勢いで顔が熱くなった。


 なんて姿を見せたんだ!

 そして現在進行形で、どんな酷い顔を見せているんだろう、私!?


 涙や汗や色んなものでぐちゃぐちゃな顔面を好きな人に覗き込まれているんだと理解すると、今度は血の気が引く。


 まって、鼻……鼻垂れてないよね!?

 涙も汗も嫌だけど、鼻水だけは勘弁して。同じ体液カテゴリでも、許容出来るかどうかの明確なラインがそこには存在するんだ。あと涎も勘弁。


 蒼褪めた私は、レオンハルト様から視線を逸らして身を引く。

 彼の手が一瞬、ビクリと震えた気がしたけれど、深く考える余裕はなかった。


「……姫君?」


「あまり見ないでください……」


 消え入りそうな小声で呟いてから、何か拭くものがないかと周囲を窺う。

 水の入った桶の横に置いてあった手拭を取って、色んなものに塗れた顔をそっとぬぐった。

 酷い顔をこれ以上見られたくなくて、目元を隠すように手拭を当てる。


 これから、どうしよう。

 感情は落ち着いてきたとはいえ、顔は未だに酷いものだ。あれだけ泣き喚いたんだから、顔の腫れもそう簡単には引かないだろうし。

 てことは、こんな某ベーカリー系ヒーローみたいな顔で逆プロポーズするの? 難易度上がってない? そして成功率は著しく下がってないか?


「姫君……」


 呼びかけられて、私の肩が跳ねる。少し低い声と真剣な様子に、大事な話をされる前触れのようなものを感じてしまったから。


 心の準備が、全く出来ていない。

 良い話でも悪い話でも、今は無理だ。仮に、私にとても都合の良い話だと見積もっても、鼻垂らしながら聞くのは、恋する乙女としてキツい。無理だ。


 故に私は、レオンハルト様が話を切り出そうとしている空気に気付かないふりで、自分から話を振った。


「れ、レオン様のお怪我の具合は如何ですか?」


 虚を衝かれたように、一拍の間が空く。

 レオンハルト様は少し戸惑った様子を見せてから、左手を上げた。手拭で顔を隠した隙間から覗き見ると、親指と人差し指に包帯が巻かれている。


「オレはこの通り、掠り傷です。フヅキ殿も負傷しましたが、地属性の魔導師殿の治療を受けて、完治したそうです。傷跡も残っていないそうですよ」


 掠り傷な訳ないけれど、たぶん私を心配させない為の言葉だから、それ以上は聞かなかった。


「良かった」


 密かに花音ちゃんの事も気になっていたので、教えてもらえて良かった。咬み傷って、大変な事になる可能性もあったし、それでなくても女の子に傷跡が残ってしまうのは、心が痛む。


「テレマン医師のところで偶然お会いしたんですが、お元気そうでした。貴方の事を、とても心配されていましたよ。オレが貴方に会いに行くのだと知ると、狡いと何度も言われました。連れてけ、とも」


 苦笑いを浮かべながら言うレオンハルト様に、小さく笑みを返す。

 私も会いたいから、一日も早く元気にならなきゃ。


「大事な話があるので、連れていけませんと断りましたが」


「!」


 ぎくり、と体が強張る。


「姫君」


 逃げ道を塞ぐような声に、混乱が酷くなった。

 待ってほしいと伝える前に、手を取られた。


 痛くはない力加減だけれど、振り払えない強引さがある。顔を隠す為に押し当てていた手拭ごと手を引かれ、真っ赤な顔がレオンハルト様の前に晒されてしまう。


 いやだ。

 こんな顔、見せたくない。


 顔に熱が集まっていて、鼻の奥がつんとする。

 鼻水も嫌だけど、鼻血も嫌だ。


 情けない。なんだって私は、こうなんだろう。

 御伽噺のお姫様みたいに、乙女ゲームのヒロインみたいに、可憐で格好良くありたいのに。全然上手くいかない。何一つ思い通りにならない。


 じわりと涙が滲みそうになって、慌てて俯く。

 レオンハルト様と視線を合わせられないまま、黙り込んだ。


 室内に沈黙が落ちる。

 長く続いたようにも思えたが、もしかしたら数秒の間だったのかもしれない。重苦しい空気を破ったのは、レオンハルト様の硬い声だった。


「……嫌ですか」


「……え?」


「それとも怖くなりましたか」


 恐る恐る顔を上げると、声と同様にレオンハルト様の表情は硬い。


「確かにオレは面倒な男です。その上、とてつもなく重い。貴方が怖気づくのも仕方のない事でしょう」


「……?」


 面倒とか、重いとか。心当たりがなくて首を傾げるばかりだ。

 寧ろ、それはまるっと私の事だと思うし。


「それでもオレは、貴方を……」


 言葉が途切れる。

 暫しの沈黙の後、レオンハルト様は私を真っ直ぐに見た。

 再び伸びてきた手に身構えてしまったのは、反射的なものだった。決して拒絶ではない。でもそんなの、説明しなきゃ伝わるはずもなく。

 レオンハルト様の表情が変化する。眉を下げて目を切なげに細めた彼の顔は、悲壮と表現しても過言ではなかった。


 傷付けたと気付いたのは、僅かに遅れてから。呆けていた私は我に返り、慌てて誤解を解こうとした。

 でもその前に、レオンハルト様が動く。


 立ち上がって、掴んだままだった私の手を枕へと押し付ける。

 寝台に片膝を突いて乗り上げたレオンハルト様は、ベッドヘッドに片手をついて、私を囲い込むように覆いかぶさった。


 寝台の軋む音と同時に、枕代わりにしていたクッションの一つが転がり落ちる。

 現実味のない出来事に流されるまま、私はその軌跡を目で追った。


 それから視線を、間近にある端整な顔へと向ける。ぱちぱちと、ゆっくり瞬きを繰り返した。

 理解が追い付かない。


 薄く唇を開けた間抜けな顔のまま、ただレオンハルト様を見上げる。

 涼しい目元に凛々しい眉。整った鼻梁に形の良い唇。精悍なラインを描く頬と顎。三十路にさしかかったというのに、衰えというものが一切見つけられなかった。美術品と並べても遜色のない美しさなのに、女性めいた部分がまるでない。私の好みをぎゅっと詰めたようなお顔に、ぼぅっと見惚れた。


 そうしている間にも、どんどんレオンハルト様の顔が近づいてくる。焦点が合わなくなったと思ったら、唇に呼気を感じた。


 けれど触れる寸前で止まる。

 躊躇うような間の後、触れ合う事なく離れていく唇を『寂しい』と感じた。


 そして私は事もあろうか、その本能とも呼べる感情に従ってしまった。

 遠ざかる彼の顔に、今度は私から近付く。


 伸び上がるように、唇を寄せた。

 驚きによって見開かれた目と同じく、僅かに開いていた唇目掛けて。

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― 新着の感想 ―
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