魔導師達の奮闘。(2)
※引き続き、テオ・アイレンベルク視点です。
上り坂に落ちていた馬車の速度が、再び上がり始める。どうやら峠を越えたらしい。
ガラガラと壊れそうに鳴る車輪の音を聞きながらオレは、近衛騎士団長の言葉を思い返していた。
協力を求める王子の言葉に、一も二もなく頷いたオレ達を見て、騎士団長は折り畳まれた紙を取り出す。
古びた机の上に広げられたのは、地図。ネーベル王国の北方は険しい山岳地帯であり、四か国の国境が犇めく。
我が国からスケルツへ抜ける最短ルートは、山越えをする事になると彼は言った。
どのルートをとっても、隣国を介さずに抜ける事は不可能だが、山道を行けば隣国を通過する時間は最小限で済む。
平地の街道を進むよりも人目につく危険も少ない。だが、逃げ道が無い為、別のルートを使う可能性もゼロでは無い。
そこで、これの出番だ、と言葉を継いだのは師匠だ。
魔石を三個、ルッツの掌に落とす。ファイヤーボールが出せるから、適当に抵抗し、空に向かって打つようにと、彼に指示した。
山道ならば登り始めて一時間程度。平地の街道ならば、街を抜けたら。視界は塞がれている可能性が高いので、音や地面の状態、角度で判断しろとの事だ。
敵を油断させる為に目に見える武器を仕込み、抵抗の際、魔法は絶対に使わない。
ルッツが絶対に使えない火属性の魔石を持たせたのも、その為だ。念のため、オレは加わるなと釘を刺された。
城内で拘束された時も、大した抵抗をしなかったのは、首輪さえあれば制御出来ると連中に信じ込ませる為だ。
その甲斐あってか、姫様を一緒に攫う事は諦めたらしい。二人いれば、お互いを人質にすればいいと簡単に考えているのだろう。
そもそも、姫様には王子殿下が張り付いているので、手出しは出来無い。今の姫様の部屋は、国中で一番安全な場所だ。
王子殿下は、姫様を絶対に護ると約束して下さった。
だからオレ達は、オレ達に出来る事を全部やって、足掻いて。戦って。
帰ろう。姫様の待つ場所へ。
「…………」
ヒヤリ。
手首に冷たい何かが触れる。
オレに背を向けているルッツは、魔法で作り出した小さな氷の刃で、オレの手の縄に切れ目を入れる。そのまま掌に氷の塊を滑り込まされたので、体の向きを変えるふりで足の縄にも切れ目を入れた後、掌に熱を集めて蒸発させた。
あとは、待つだけ。
平地の街道を進まれた場合、途中の街で馬を替えられただろう。だが最短ルートでは、そのまま進むしかない。
馬は既に限界が近い。けれど休憩を挟む間も無い。とすれば恐らく、迎えが来る。
スケルツ王国とヴィント王国の国境付近で待っている奴等が、金で雇われた連中ならば、オレ達は城まで乗り込む必要がある。
それは避けたい。逃げ出せる可能性は、中核に迫れば迫る程低くなる。
しかしまだ、そうと決まった訳じゃ無い。そもそも国王は折角手に入れた玩具を、いつ裏切るとも分からない連中に渡すか?国を二つ越えるとなると、追う側もそうそう簡単には進めない事を見越した上で、自分の信頼出来る人間……例えば直轄部隊を寄越すかもしれない。そう考えるのは、浅はかだろうか。
「もうすぐだ」
「……」
ぼそり、と呟いたのはニクラスだ。幌を手で軽く押し上げた彼は、流れる景色を眺め、うっそりと目を細める。
「漸く、待ち望んだ時間が始まる。貧乏を恥じ、名ばかりの伯爵家と後ろ指を指される生活ともおさらばだ」
熱の籠った眼差しからは、罪悪感や後悔の念は、見つけられない。まるで新しい生活に希望を抱く若者のように輝いた瞳は場にそぐわす、いっそ異様に見えた。
「……化け物」
「何?」
冷えた声で呟いたルッツの言葉を、ニクラスに拾われてしまった。だが睥睨されてもルッツは怯まずに、声同様、冷めた目でニクラスを見る。
「アンタ、人間じゃない」
「はっ、何を言うかと思えば。……化け物はお前だろうが。ルッツ・アイレンベルク」
「いいや、アンタもだよ。生まれ故郷と主と、家族と仲間と、全てを裏切り捨てても、欠片も悔いていないし、良心の呵責も感じていない。そんな奴、もう『人間』とは呼べないでしょ」
「……」
「っ、」
ニクラスは無言で、ルッツの肩を蹴りあげる。無表情で男は、呻くルッツの頭を踏みつけた。
「馬鹿馬鹿しい。あんなクソ共が、私の家族や仲間であるものか。私の足を引っ張るだけのゴミと、私の優秀さを認めようともしないカスが……」
グリ、と靴底を押し付けるように、足に力を込める。ブツブツと呟くニクラスの目は虚ろで、その様は常軌を逸していた。
「……なんだ。居場所が無いってのは、自分に言い聞かせてた言葉だったんだね」
可哀想、とルッツは笑顔で吐き捨てる。
痛いだろうに、怯む様子も見せないのは天晴だが、誰が煽れと言った。
ニクラスの手が、腰の剣に掛かる。
流石に殺しはしないだろうが、不味い。どうする、どうしたらいい。
魔法を使う訳にはいかない。体当たりで阻むか、挑発してオレに意識を逸らさせるか。
オレが焦りながら身を起こそうとした、その時。
がくん、と大きく馬車が揺れ、止まった。
どうやら引き渡し場所に到着したらしい。
「……命拾いしたな」
忌々しそうに吐き捨てたニクラスは、剣から手を離し、幌を捲り外へと出た。
その後ろ姿を見送り、オレは脱力し、長く息を吐き出した。
「……ルッツ。胆冷えたんだけど」
「……だってアイツ、ムカつく」
「ガキか」
ルッツは全く反省した風もなく、そっぽを向く。このクソガキ。
「出ろ!」
俺が毒づいた直後、馬車の中へと入って来た男達に、引き摺るように馬車から下ろされた。
辺りはまだ薄暗いが、夜明けが近いのか東の空は白み始めている。山の麓近くなのか辺りは木々に囲まれ見通しが悪い。
周囲を確認していると、黒づくめの男達に背を押され、前へ出る。
「来たか。我が主がお待ちかねだ」
待ち構えていたのは、屈強な男達。
鎧を身に纏い、立派な軍馬に跨った騎士だった。数は十人程。
流石、戦争狂の治める国とも言うべきか、随分強そうなのが揃っている。但し、脳ミソまでは優秀には見えなかった。力で押し切るタイプと見た。
まぁ、マトモに頭が働くのならば、あんなイカレた王に忠誠など誓わないだろう。民も、民の暮らしも顧みずに、領土を拡げる事にしか目を向けない愚王など、さっさと挿げ替えるべきだ。
「さぁ、来い」
両脇に騎士が立ち、腕を取られる。
ルッツも同様に、拘束された。
――その瞬間。
「動くな!!」
厳しい声が、響いた。
声を合図に、身を潜めていた者達が一斉に姿を現す。
周囲一帯を、剣と弓矢を構えた兵が取り囲んでいる。いつの間に、とスケルツの兵達に動揺が広がった。
「ここは、我が国の領土。許可なく踏み入る事は許さぬ」
「馬鹿な……!!何故、ヴィント王国が!!」
傍にいたニクラスは顔色を失くし、呆然と呟いた。
そう。取り囲む兵の旗印は、ネーベル王国の物では無く、隣国、ヴィント王国の国旗。
しかも身に纏う鎧は、辺境の守備兵では無く、王都の騎士団の物。
おそらく隊長格であろう男は、此方を鋭い目で睥睨しながら、背に守る少年に話しかけた。
「……殿下。このような事態に巻き込んでしまい、申し訳ありません」
「いいえ。無理を言って行軍に同行させてもらったのは、僕の方です」
殿下、そう呼ばれた少年は、まるで宗教画に描かれる天使のような美貌の主だった。
陽の光を紡いだような金色の髪に、青い瞳。面立ちだけ見れば姫様に瓜二つだが、受ける印象はまるで違う。
深海のような青は、底の知れない恐ろしさのようなものを感じた。
「他国の領土を踏み荒らす不届き者を、見過ごす事は出来ません。僕に構わず、職務を果たして下さい。ただし、少年二人はどうやら拘束されている様です。どうか保護を」
幼い少年とは思えない冷静な声音で告げるのは、隣国へ留学していたネーベル王国第二王子――ヨハン・フォン・ヴェルファルト。
「有り得ぬ、こんな……馬鹿な」
こんな場所にいる筈のない人物の登場に、ニクラスは狼狽した。
驚愕に目を見開く彼の頬を一筋の汗が滑り落ちる。剣の柄に掛けた手が、小刻みに震えていた。
覚束ない足取りで後退したニクラスは、木の根に足を取られる。
よろけたニクラスに視線が集まり、ヨハン王子は訝しげに目を細めた。何かを思い出そうとしているのか、顎に指をあてて数秒黙り込む。
そして数度瞬いた後、ああ、と声をあげた。
「ニクラス」
「!!」
「……殿下、ご存じで?」
「ニクラス・フォン・ビューロー。我が国の近衛騎士です。……ニクラス、何故、其処に居る」
「……っ」
全てを見透かすような青に見据えられ、ニクラスは息を呑む。
必死に考え言葉を探しているようだが、彼は気付いているのだろうか。
最早、どう足掻いても詰んでいると。
このタイミングで軍事演習が行われ、その行軍にこれまた奇跡的にネーベルの第二王子が同行していた事も。
数あるルートの中でわざわざこの道を選んだ事も、スケルツが到着するより前に、受け渡し場所に着いていた事も、奇跡で片付けられる訳あるか。
全て、事前に打ち合わせた通り。
ニクラスは己の知らぬうちに台本通りに動き、王城で妹姫を守っている殿下と、目の前の殿下に、踊らされていたに過ぎない。
「その少年らの色彩……兄の文にあった魔導師の子等と同じ」
「……」
「どうして彼等が拘束されている?何故お前は、賊と共にいるのだ?答えよ、ニクラス・フォン・ビューロー!」
更に追い詰める殿下の言葉に、ビクリとニクラスの肩が揺れた。
俯いた彼の目に、絶望が灯る。叱られた子供のように震えながら、ニクラスは下唇を噛み締めた。
「……い」
「……売国奴に成り下がったか。由緒正しき伯爵家の跡取りが」
「……っ、煩い!!煩い煩い煩い!!」
蔑むように王子が呟くと、ニクラスは叫んだ。
何かを振り切るように一度だけ頭を振ると、傍にいたルッツへと手を伸ばす。
「!」
乱暴な動作で剣を抜き放ち、引き寄せたルッツの首筋へと押し当てる。
「貴様……!!」
「動くな!!このガキがどうなってもいいのか!」
荒く息を吐き出しながら、ニクラスは吠える。
威嚇する犬のように唸り、周囲を睨め付けた。
「お前も来い!」
ニクラスに倣うように、スケルツの兵はオレの腕を乱暴に引いた。同じように首に剣を向けられ、殿下らの前に押し出される。
「こいつ等の命が惜しければ、近付くな!!」
何とも分かり易い、悪役のセリフだ。
呆れ過ぎてため息が出そうになるが、場の空気を読んで顔付きを引き締める。だがオレの相棒は、全く空気を読まなかった。
「煩いなぁ……耳元で叫ばないでよ」
のんびりと呟いたルッツは嫌そうに顔を歪め、耳を押さえる。
何とも自然に縄を解いているルッツに、オレは苦笑を禁じ得ない。
「……お前っ!!」
「ていうかアンタ、馬鹿なの?オレ達ほど人質に向かない人間、そういないと思うんだけど」
呆れたように肩を竦め、目を伏せた彼は、やれやれと大仰な仕草でため息を吐く。
ゆっくりと瞬き、一つ。もう一度開けたルッツの目は、通常時の藍ではなく銀灰色に変化していた。
鈍い音が鳴り、ニクラスの剣が弾き飛ばされる。
「なっ!?」
ドン、とルッツが地面を強く踏み締めるのと同時に、濃い霧のような何かが足元を這い、一瞬でニクラス達の足を凍り付かせた。
「何で魔法が……っ!?制御装置を付けられているのでは無かったのか!?」
「ああ、コレ?」
己の首に嵌った物を指差し、ルッツは問う。彼が指で留め金を解除すれば、ソレはいとも簡単に外れ、地面に落下した。
「見ての通り、偽物」
にこり、とお手本のような笑みを浮かべたルッツが、薙ぐように手を動かすと、現れた無数の氷の刃が、男達へと襲いかかった。
「うわぁああああっ!!」
鬱憤を晴らすように暴れるルッツを一瞥し、オレは長いため息を吐き出した。
「一人で先に暴れんなよ」
「……ひぃっ!!」
力任せに縄を引き千切ったオレは、掌に集めた熱で縄の残骸を燃やした。
オレを拘束していた男は、突き飛ばすように距離を取る。
周囲の空気を練り上げ、熾した火を燃え移らせる。オレの掌の上で燃え上がった青白い炎を見て、男達は悲鳴を上げた。
「こ、こいつら……化け物だ……!!」
真っ青な顔で震えながら、男が洩らした言葉に、オレとルッツは同時に顔を見合わせる。
冷めた視線を向け、吐き捨てるように告げた。
「化け物?今更だな」
「その化け物をご所望だったんでしょ?アンタ達のご主人様は」
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