転生王女の夢語。(2)
※胸糞展開注意。苦手な方は回避推奨です。
男の言葉は、少年達のものとは違う響きがあった。
それでも理解出来ているのは、夢だから? それとも、転生チートみたいに不思議な力が働いているんだろうか。
男は余計なものがついてきた、と言った。
そして少し考える素振りを見せてから、『使い道はいくらでもあるか』と独り言を零す。
男の目的は弟の方だったらしい。
怯える弟を不躾な目で眺めてから、素晴らしい魔力量だと満足気に笑う。しかし兄の方を見ると、眉間に皺を寄せる。男が言うには、兄の方には魔力は殆どないらしい。それと、異世界の人間なのだから、何かしらの特殊能力はあるのだろうとも言った。
花音ちゃんに特殊能力が備わっていたように、この二人の少年にも何かしらの力があるようだ。
ただ、それが良い事だとは、私にはとても思えなかった。
男が二人を見る目は、人を見るソレではない。嫌な予感しかしなかった。
そしてその予感は、残念ながら当たってしまう。
少年らが召喚された国は、戦争の最中だった。
戦力として召喚された二人は、否応なしに巻き込まれる。
互いを人質にとられ、帰る場所も術もない彼等は、言われるがまま戦いに身を投じた。
弟の方は、強力な魔法が撃てるだけでなく、動物の能力を向上させる不思議な力を持っていた。
彼が力を注いだ軍馬は、脚力や持久力が向上する。
兄の方の能力は、ずっと分からないままだった。
弟のように前線へ送られるのではなく、屋敷に留め置かれていたけれど、その日々は安寧とは程遠い。能力を探る目的で、限界まで魔力を使わされたり、体にわざと傷をつけられたりと、実験動物のように扱われ続けた。
目を背けたくなる場面の連続で、私の心までも疲弊していきそうだ。
それでも兄は逃げ出さなかった。弟と一緒に母の元へと戻る日を夢見て、懸命に生き続けた。
けれど世界は……ううん、人間は、どこまでも彼に非情だった。
ある日、兄はいつもの実験室とは別の部屋へと連れていかれた。
石造りの薄暗い部屋は広く、頑丈そうな造りだ。また魔力が枯れるまで撃たされるのかと思った兄の前に、誰かが立った。
それは、見知らぬ少年だった。
痩せ衰えた体は傷だらけで、酷い顔色だ。怯えたように震えている少年だったが、落ちくぼんだ目だけはギラギラと光っている。
その少年は、兄の傍に立っていた壮年の男に向かって話しかけた。
『こいつを殺せば、本当に元の世界へ帰してくれるんだな?』と真剣な顔で問う少年に、壮年の男は笑みを浮かべて鷹揚に頷く。
生き残りたければ、力を示せ、と。
命の危機に瀕したら、能力が目覚めるかもしれない。
そんな薄汚い思惑が透けて見える、嫌な笑い方だった。
襲い掛かってくる少年に、兄は訳も分からないまま逃げ回る。誰かを傷付けるなんて嫌だったんだろう。けれど相手はお構いなしに剣で、魔法で、攻撃をしかけてくる。兄の体はどんどん傷だらけになっていく。
死を覚悟した兄の反撃は、不運にも相手の致命傷となった。
床に崩れ落ちるように膝をついた兄は満身創痍だったけれど、その眼前に倒れ伏す少年の傷は更に深い。光が消えて濁った瞳を見て兄は、相手が既に事切れていると知った。
そして暫しの空白。
兄が意識を失ったのだと思う。
目覚めた兄は、相変わらず床に転がったままだった。
けれど何故か、今までと視界が少し違う。すぐ傍には少年の骸が放置されたまま。
兄は訝しむように、首を傾げる。
放置された少年の体をよく見ると、さっきまでとは恰好が違う。服も体格も髪の色も違う、別人の体が転がっていた。
そしてその姿に見覚えがあると気付き、私は小さく悲鳴をあげる。
召喚されてからずっと見ていない片割れ、弟の容姿にそっくりだ。
『 』
けれど兄の動揺は、私の心配とは別のものだった。彼は戸惑いながら、なんでオレがいるの、と呟く。
オレの体は、あれ、なんで。この体はオレのじゃない。あっちがオレのなのに。
震える声で紡がれた言葉の断片を整理して、私はようやく二つの事に気付く。
あの体は弟のものではなく、兄のもの。つまり年子の兄弟ではなく、双子だったという事。そしてもう一つは、兄の意識が別の体へと入ってしまっているという事だ。
しかも尋常ではない量の魔力が体に満ちているのを感じて、兄は動揺した。
自分に起こっている異常事態に恐慌する兄とは対照的に、壮年の男は歓喜する。乗っ取った器の魔力量を増幅させる能力……兄の持つ特殊な力は、戦争に勝つ為の切り札となり得る、強大で稀有な力だったから。
興奮した男は高ぶる感情のままに意味不明な言葉を喚き散らした後、何かを思いついたように部屋を出ていく。
取り残された兄は立ち上がる事も出来ず、茫然自失のまま座り込んでいた。
全てが悪い夢のようだ。
そして悪夢から目覚める事なく、更なる悪夢が襲い掛かる。
慌ただしく足音が近づいてきたかと思うと、乱暴に部屋の扉が開いた。
飛び込んできたのは、ずっと会えなかった弟だった。その後ろから、壮年の男がやってくる。
弟はすぐに、床に倒れている兄に気付いて駆け寄る。
揺さ振っても反応のない抜け殻を見て、弟の顔が絶望に染まった。兄さん、兄さんと何度も繰り返しながら、滂沱の涙を流す。
戸惑いながら兄が弟の名を呼ぶと、大きく体が揺れた。
そして向けられた弟の目は、激しい憎悪に爛々と輝いていた。
壮年の男は一瞬、とても楽しそうに笑う。しかしすぐに表情を取り繕い、こちらを指さして言った。君の兄さんを殺したのは、あいつだ、と。
人間はそんなにも邪悪になれるのかと、私は絶句した。
『 』
殺してやる、と弟は叫んだ。
今更何を言っても、弟には届かなかった。兄の骸の前で血塗れになっている男が、殺していないとか、自分が兄だなんて言っても、誰が信じるというのか。
殺そうと襲い掛かってくる弟から、兄は必死に逃げた。殺すのも殺されるのも、どちらも絶望にしか繋がらない。
けれど弟の魔法は強力で、兄は次第に追い詰められる。致命傷すれすれの大怪我を負い、もはや逃げる事も叶わない。
どうにか話がしたいと、兄は弟に手加減した魔法を撃った。最小限の力で、あくまで隙をつくる為だけに。
けれど増幅した魔力は、容易く弟の命を刈り取った。
まるで人形を壊すように、呆気なく。弟の体は崩れ落ちる。
倒れ伏す、二人の体。
そしてまた、兄の意識は途絶えて空白が流れ。
壮年の男の哄笑が響き渡る中、兄は目を開ける。
またしても、視界が変わっている。元の自分に戻ったような視界。けれど違う。端に転がる自分の死体と、さっきまで入っていた見知らぬ少年の死体が、おぞましい事実を物語っていた。
弟の体で目覚めた兄は、絶叫した。
激しい怒りが命じるままに、目につく全てを彼は蹂躙した。
まずは、『よい化け物を手に入れた』とご満悦だった壮年の男を、切り刻み、焼いて、塵も残さぬ程に破壊し尽くした。
次いで屋敷内の人間を、その後は領内の人間を、国内の人間を。端から全てを平らげていっても尚、彼の怒りは微塵も鎮まらなかった。
兄の怒りに呼応するように一部の動物達は変化し、魔物となって彼の敵を屠る。
蹂躙はいつまで経っても終わる事はなかった。脅威となった兄を倒そうと向かってくる人間達を殺し、それがまた憎しみを生み、争いの連鎖は途切れない。
ぼろぼろになった体が終わりを迎えても、また別の体で目覚め、戦いは続く。
封印されても同じ。また目覚め、殺し合う。永劫に地獄を彷徨っているような、救いのない光景だった。
「…………」
声も出ない。
可哀想とか、酷いなんて言葉で表せるような出来事ではなかった。どんな言葉も彼の絶望の前では陳腐になる。
生まれた世界と母を奪われ、尊厳を奪われ、唯一の心の支えだった弟を奪われて。
全てを奪い尽くされた少年の嘆きが『魔王』という形になったのなら、私ごときに言える言葉なんてない。
無辜の民の死を当然なんて言えないけれど、加害者と被害者を明確に線引き出来る程、単純な構図ではなく。
この世界の人間にとって魔王が『悪』ならば、魔王にとってはこの世界そのものが『悪』だった。
『 』
真っ白な空白の中で、呟きが落ちる。
静かな声は、母と弟を呼んで、帰りたいと繰り返した。
そうか。魔王が欲しかったのは、魔導師の体じゃない。魔法陣だ。
きっと彼は、故郷へ帰りたかったんだ。
あの魔法陣は、彼の故郷へと繋がらないだろう。それに奇跡的に戻れたとしても、彼を知る人は誰も生きてはいない。
それでも、帰りたかった。この世界を憎むのと同じくらい、彼は故郷を渇望していた。
『……ン』
ぽつりと、小さな呟きが落ちる。
画面の向こうの声ではなかった。ノイズ混じりの不協和音は、魔王のソレで。
視線を向けると、はぐ〇メタルもどき……もとい、魔王らしき塊が小さく揺れていた。
掠れた音がして、暫くの間、真っ白だった映像が切り替わる。
さっきまでの擦り切れてぼやけた過去の断片ではなく、もっと鮮明な映像。大きな部屋と、高い天井。ラタンの枠にクッションを重ねた寝床には、見覚えがある気がした。
浅い眠りのような空白の後、薄く開いた視界に白い手が割り込んだ。
細い指に白い肌、少女のものだろうか。
それにしては大きく見えるけれど、部屋の大きさや寝床との対比を見ると、手が大きいのではなく、自分の体が小さいのかもしれない。
柔らかそうな手が、頭をそっと撫でる。
顔を上げたのか、視界に手の主の姿が映った。
「……え」
呆けた声が洩れた。
画面いっぱいに映るのは、少女の姿。
ゆるく波打つプラチナブロンドに、白い肌。薄紅色の唇は淡く微笑み、青い瞳は愛しいと語り掛けるような慈愛に満ちていた。
見覚えのある……否、ありすぎる容姿。鏡さえあれば今すぐにでも会える。
「わたし……?」
画面いっぱいに映し出されているのは、私の顔だった。
こんなにもだらしない顔をした覚えはないけれど。でも、残念ながら心当たりはある。祖父母が初孫に向けるような眼差しは、たぶんネロを愛でている時の私だろう。
『……サン』
「え?」
不協和音が、何事かを呟く。
画面を注視したまま、掠れた声で繰り返されるそれに、耳を澄ます。
『……カア、サン』
魔王は画面の中の私に向かって呼びかけた。母さん、と。
頭の中が真っ白になる。
『カア、サ』
泥の塊に似た体が伸びる。画面に向かって伸ばしたのは手だろうか。ボトボトと崩れながら、必死に。迷子の子供が、母を探すように。
「……っ」
頭で考えるよりも先に、衝動的に動いていた。
溜まったヘドロみたいな体を持ち上げて、両腕で抱き締める。ぐにゃんと変形して、溶けて、量を減らしながらも腕の中に納まった体に、そっと頬を寄せた。
これは憐れみなんだろうか。それとも罪悪感?
分からないけれど、たまらない気持ちになった。
だって、いったい、どんな気持ちで呼んだのか。
ほんの短い間しか一緒にいなかった、しかも彼の母親とは人種も年齢も違うだろう私に、母を重ねるほど愛に飢えていたひとを、どうして突き放せるだろう。
『カアサン、カアサン、イタイ、クルシイ……カアサン』
私に手を伸ばしながら、幼子みたいに繰り返す。ずっと、ずっと、長い事押し込めてきた弱音を零しながら。
どろどろの頭を、ゆっくり撫でる。
「うん、うん。よく我慢したね」
ぽっかり空いた洞の目に向かって、微笑みかける。
「いたいの、いたいの、とんでけ」
目と目の間の少し上、額らしき場所に口づけを落とす。
すると魔王の目から、濁った液体が流れだす。
『カア、サン、カアサン、ォ、アアアアア、オオオオ……‼』
泣いているのだろうか。咆哮みたいな声をあげながら、体を波立たせた。
「もう苦しいのも辛いのも、おしまいにしよう?」
赤子をあやすように揺らしながら、下手くそな子守歌を口ずさむ。
記憶が曖昧で歌詞は出鱈目だし、音程も外れていて酷いものだ。それでも腕の中の存在の嘆きは、少しずつ治まってくる。
叫ぶのを止めた魔王は、微睡むように目を細めた。
けれど、黒い泥みたいなものが崩れていく速度は緩まない。このままだと無くなってしまうんじゃないかと不安になる。
腕いっぱいにあった粘液は、既に両手に乗るサイズまで減ってしまっていた。
せめてその分だけでも零れないようにと掬い上げるように持つけれど、隙間から落ちてしまう。
やばい、溶けて消える。下に落ちた分を、搔き集めて固めたら戻るかな。
そんな馬鹿みたいな事を本気で考えていると、洞みたいな目が、ぬるんと泥の塊から飛び出した。
えっ……め、目が! 目がぁあああ‼
グロ注意案件に驚愕する私を放置し、飛び出した二つの塊は、ふわふわと空中を漂う。
淡く発光しながら、私の周りをゆるく飛び回る姿はまるで蛍。
『母さん』
『母さん』
さっきまでのノイズ混じりの不協和音ではなく、少年の声が二つ。
両目ではなく、独立した二つの何かだったのか。
くるくる仲良く回る二つの光を見ていると、過る映像がある。
「貴方たち、もしかして……」
言いかけて、止めた。
その代わりにおいでと手を伸ばす。両手に行儀よく乗った光に、そっと頬擦りした。
「もし生まれ変われる場所を選べるのなら、私のところにおいで」
もういい、お腹いっぱいだって言うほど、愛すから。
そう言うと二つの光は嬉しそうに明滅してから、空気に溶けて消えた。




