転生王女の戦い。(3)
掌を上へと向けて両手を前方に突き出したまま、花音ちゃんは落下地点を目指す。
危なっかしい足取りと、漫画ならぐるぐる目になっていそうな混乱しきった表情を見て悟ってしまった。
花音ちゃんも運動音痴だ、コレ。
ハラハラと見守る事しか出来ない私の前で、花音ちゃんは黒猫に手を伸ばす。
「ふぎゃっ!?」
しかし黒猫の体は花音ちゃんの腕の中には納まらず、顔面にぶつかるように着地した。そのまま彼女の額を蹴って、逃れようとする。
「そうはいくか‼」
鋭い叫びと共に手を伸ばしたのはルッツだった。
彼が掴んだ黒猫の後ろ足が氷に包まれる。バランスを崩した黒猫を、花音ちゃんへと押し付けるように渡した。
花音ちゃんは今度こそ逃がしてたまるかと言うように、ぎゅっと両腕で黒猫の体を強く抱きしめる。
黒猫の口から悲鳴じみた甲高い鳴き声が洩れた。
『止めろ! 離せ‼』
脳内に響く声にも、焦りが滲んでいる。
どうやら花音ちゃんの能力は、ちゃんと効いているようだ。
「離しませんっ!」
藻掻いて腕を抜け出そうとする黒猫を、花音ちゃんは逃がすまいと抱え込む。そしてルッツはそんな彼女を魔法でフォローしていた。
前足同士を魔法の氷でくっつけて、動きを上手い事封じ込めている。
『ぐっ……!』
苦し気な呻き声が聞こえたかと思うと、私の方を黒猫が睨む。
棒立ちしていた私の足が、また勝手に動き出した。ただし今までとは比べ物にならないくらい、その動きは鈍い。
だから、花音ちゃんに捕らえられた黒猫の元に辿り着く前に、私自身が捕まってしまうのも当然だった。
レオンハルト様は私の手からナイフを落とし、靴底で踏む。そして片手で私の両手を一纏めに拘束した。
『クソッ……、力が抜ける……っ!』
黒猫の周囲がキラキラと輝いているのは、花音ちゃんの能力なのか。それとも、魔王の魂の欠片なのか。
どちらにせよ、魔王の力は確実に削がれている。だんだんと自由が利くようになってきた体が、それを証明していた。
『離せ!』
「痛っ……‼」
前足の動きを封じられている黒猫は、抱き締めている花音ちゃんの腕に服の上から噛み付いた。
花音ちゃんは顔を顰めて小さな悲鳴を零す。赤いシミが、じわりと服に小さく円を描いた。痛々しい様に、私の方が辛くなってくる。
「花音ちゃ、」
「はな、しませんっ!」
衝動で呼びかけた声に、花音ちゃんの気丈な声が被さった。
涙目になりながらも花音ちゃんは、黒猫を離さなかった。寧ろ前のめりになって、体全体で囲い込むように抱き締める。
「マリー様は、命がけで私を助けてくれた! だから今度は、私の番なの!」
「……っ」
必死な叫びに、声が詰まる。
まさか、そんな事を考えてくれていたなんて。
怖いだろうに、痛いだろうに。逃げずに踏み止まってくれている健気さに、泣きそうになった。
徐々に弱っているように見える黒猫は、鈍色の目で私を睨め付ける。
『どいつもこいつも固執しおって……。この女にどれだけの価値がある?』
真っ直ぐに突き刺さる眼差しに込められているのは、憎しみだけではないように感じた。もっと複雑で、色んな感情が混ざり合っている。
何も言えずに見つめ返す事しか出来ない私の肩を、レオンハルト様は抱き寄せた。見上げると、切れ長な夜色の目には、怒りの感情が浮かんでいる。
「オレにとっては世界よりも重い」
「わ、私にとってもです!」
一瞬呆けた後に慌てて言った花音ちゃんに続き、ルッツは少し照れた顔で「オレ達にとってもだよ」と、小さな声で言った。
「お前の方こそ何故、姫君に固執する?」
レオンハルト様の問いかけに、黒猫の耳が揺れる。
「そうだよね。魔導師であるオレを素通りしてたし」
ルッツは苦々しい表情でそう言った。
ルッツが魔王に近づくのは危ないのではと思っていたけれど、もしかして、別室に罠が仕掛けられていたのだろうか。
相棒であるテオの姿がないのも不思議だったし。
テオだけでなくイリーネ様やミハイルも、そっちに掛かり切りなのかもしれない。
『餌に食いついた途端に、封印されるのは御免だからな……』
黒猫は吐き捨てるように呟く。力ない声だった。
なら、いったい何がしたかったんだろう。
てっきり魔導師の器を狙っているんだと思っていたのに、違うというなら目的はなに?
魔導師の居住区や研究室、専門書がある書庫。その他には温室と、花音ちゃんを召喚した魔法陣くらいしかない場所なのに。
『っぐ、あぁああ……!』
黒猫の辛そうな呻きが聞こえて、私は我に返る。
考え事している場合じゃない。
黒猫は息も絶え絶えな様子で、それでもギラギラと輝く目で私を睨む。
何がそんなに憎いのか。私なのか、それとも私を通した先にあるものを見ているのか分からないけれど、焦げ付くような視線だ。
『こんな場所で、消えるのか。こんな無様な消え方が、オレの最期か……!』
慟哭するような叫びだった。
黒猫の目に涙はなくとも、血涙を流すが如き声は怨嗟に満ちている。
苦しみ、のたうち回っている姿を見るのは辛い。ネロが苦しんでいるのではないと頭では分かっていても、見ていられない。
「もう、休んで」
気付けば、口から零れ落ちていた。
『っ……!?』
じっと見つめる私を、黒猫は凝視する。
まるで理解不能な生き物を見つめるような目だ。しかし丸い瞳は、すぐに鋭い眼差しに戻る。
「ボロボロで見ていられない」
『黙れ……! 何も知らない小娘が、知ったような口を利くな!』
黒猫が牙を剥く。
脳内の声と共に、威嚇するような鳴き声が耳に直に響いた。
逆鱗に触れたと表現する他ない程、激しい怒り。
それなのに、恐ろしいと感じないのは何故なのか。
力が弱っているからか。それとも、魔王の怒る様子が、虚勢を張る子供のようだったからか。
弱っていく黒猫を、じっと静かに見守り続ける。
噛み付くような叫びは徐々に勢いを削がれていった。
『止めろ、オレをそんな目で見るな……! オレを見るな‼』
花音ちゃんの腕の中で、黒猫は一際大きな叫び声をあげた。
キラキラと輝く光が弾けて、ネロの体から黒い靄のようなものが立ち上る。
黒い靄は、花音ちゃんの頭上でどんどん削れて、小さくなっていく。
しかし消える直前、最後の力を振り絞ったかのように、私の方へと凄い勢いで向かってきた。
「姫君っ‼」
レオンハルト様は私を背に庇い、剣を振り下ろす。
正確に中心を貫かれた靄は、ぶわりと霧散した。
きらきら、きらきらと小さな輝きが空中に溶けて消えていく。
それを見届けてすぐに、緊張の糸が切れたのか、全身から力が抜ける。
「ひめっ、ローゼマリー様っ‼」
レオンハルト様の慌てた声を最後に、意識がぷつりと途切れた。




