転生王女の戦い。
※残酷な表現……といいますか、痛い表現があります。
苦手な方は回避推奨です。
止めようとする私の意思なんて微塵も関係ないとばかりに、ナイフを握った手が振り上げられる。
驚き顔で固まる花音ちゃんは、避ける事も出来ずにいた。
彼女の柔らかな体をナイフが切り裂く想像が頭に浮かび、思わず目を瞑る。
けれどいつまで経っても、生々しい感触を感じる事はなかった。
「……?」
恐る恐る、目を開ける。
真っ先に目に入ったのは、私の大好きな夜空色の瞳。「姫君」と、低い声が私の鼓膜を震わせる。
「……っ」
花音ちゃんの背後から手を伸ばす形で、ナイフを掴んで止めてくれたのは、レオンハルト様だった。
来てくれた。止めてくれた。
全身の力が抜けそうな程の安堵感に、気を抜けば泣いてしまいそうだ。
「フヅキ殿、下がって」
「へ? ……っうきゃ!?」
レオンハルト様は私と目を合わせたまま、花音ちゃんの襟首を掴む。放り投げるまではいかないものの、やや強引に自分の背後へと下がらせる。
目を白黒させていた花音ちゃんは、小さな悲鳴をあげながらたたらを踏んだ。緊急事態だから仕様がないとはいえ、もうちょっと丁寧に扱ってあげてほしいと場違いにもハラハラしてしまった。
駆け寄ってきたルッツが、転びそうな花音ちゃんを慌てて支えている。
レオンハルト様が花音ちゃんに気を取られている隙に、私の手はナイフを引き抜く。うまい具合に彼は手を引いたのか、怪我をさせずに済んだ。
私の体は、レオンハルト様から距離を取るように数歩、後退る。
切っ先を彼に向け、ナイフを握り直した。
対峙するレオンハルト様は、クラウスと同様に騎士服ではなく、グレーのシャツと黒のトラウザーズという姿。髪は乱れ、シャツのボタンも半分ほどしか止められてなくて、慌てて駆けつけてくれたのだろうという事が分かる。
「……?」
シャツが濃い色だからすぐには気付かなかったけれど、袖口の辺りに赤黒いシミがついていた。
さっき私が傷付けてしまったのかと蒼褪める。傷の有無を確認する為にレオンハルト様の手へと視線を向けた私は、目を見開く。
「つ、め……が」
私の呟きを拾ったレオンハルト様は、一拍遅れで言葉の意味を飲み込んだように、少し眉を下げて困り顔になった。
恰好悪いところを見られてしまったと言いたげな彼の左手は、親指の爪が無い。剥がれた爪の跡は生々しく、乾いた血がこびりついている。
よく見ると顔色は酷く、足元も少し危うい。
もしかしてクラウス達のように眠りの魔法が効いているのかと考えて、思い当たる。
「自分で……?」
クラウスが立ち上がれない程の、カラスが膝を突く程の魔法。城の殆どの人間が、抗えずに眠りについているソレを、どうやって跳ね除けたのか。
おそらく魔法に耐性のあるルッツや、色々と規格外の花音ちゃんとは違う。物理的な力では、抗うのはきっと難しい。
眠りに落ちそうな意識を食い止めるには、強い精神力と、それから強い刺激。
そう、例えるなら、眠れないほどの激痛とか。
「大した事ではありません」
「っ、そんなわけ……っ」
さらりと告げられた言葉に声が詰まる。
自分で生爪を剥ぐ事が、簡単な訳ない。それなのにレオンハルト様は「あと十九枚もありますし」と訳が分からない事を言う。そうじゃない。そうじゃないよ。私が好きになった人は、こんなに話が通じない人だっただろうか。
混乱する私を置き去りに、淡々と話していたレオンハルト様は腰のベルトに吊り下がった剣に手を掛けた。
金具を外して、ベルトから鞘ごと剣を取り外す。ぐるぐると紐を巻き付けて、柄と鞘が離れないように固定する。
具合を確かめるように、軽く剣を振った。
ゆっくりと瞬きをしたレオンハルト様は、真っ直ぐに私を見る。
「貴方を失う事に比べたら、こんなの蚊に刺されたのと変わらない」
「……っ!」
唐突な告白に一瞬、呼吸が止まる。
レオンハルト様は剣の先を、私の腕の中へと向ける。私の心臓……ではなく、鋭い目で彼を睨む黒猫へと。
気付いてくれた?
私はまだ、何も伝えられていないのに。
『……気に食わん』
「気が合うな、オレもだ」
唸るみたいに低く頭に響いた声の後、レオンハルト様も獰猛な声で返した。
「返してもらうぞ」
レオンハルト様はその言葉を発すると同時に踏み込む。
睡眠魔法というデバフをかけられているとは思えない、俊敏な動きだった。
一瞬で私と距離を詰めたレオンハルト様は、鞘付きの剣で黒猫を突く。あと数センチで届くというところで、私は彼の剣撃をナイフで弾いた。
「っぐ」
衝撃と共に手が痺れる。
かなり手加減されているだろうに、指先の感覚がたった一撃でなくなった。ナイフを取り落とさないのが、不思議なくらいだ。
しかし容赦なく、次の攻撃が繰り出される。今度は真正面から受け止めるのではなく、いなすように躱す。
私のひ弱な体では、どんなに強化されても力で押し負ける。
それを理解しているだろう魔王は、私の体を後退させた。
けれどレオンハルト様は、予測していたらしく、足を引っかけるように突き出された。それをどうにか避けて、体勢を整える。
舌打ちが頭の中に響く。
『大人しく眠れ』
苛立たしげな声がして、レオンハルト様の体が大きく揺れる。
カラスと同じ。見えない何かに押さえ付けられているように、体が前のめりに傾いだ。
しかし彼は、そのまま倒れはしなかった。踏ん張るように足を強く踏み締める。
大きく口を開いたレオンハルト様は、左手の人差し指の爪を噛んだ。勢いをつけて首を振ると、べきりと生々しい音が響く。
「…………」
あまりの光景に呆然と立ち尽くす。
肩で息をするレオンハルト様は、剥いだばかりの爪を吐き出す。白い欠片は軽い音を立てて、廊下の隅に転がった。
「やなこった」
は、と息を洩らすように喉の奥で笑って、レオンハルト様は口角を吊り上げる。苦しそうなのに、その瞳はギラギラと好戦的に輝いていた。




