転生王女の絶望。(3)
冷たい廊下をひたすらに進む。
後ろから聞こえていたクラウスの呼びかけは、どんどん遠くなって、ついに聞こえなくなった。
何処に向かっているんだろうと考えながら、視線だけを巡らせる。
馴染み深い通路を通りながら、ふと、嫌な予感がした。
いつまで経っても見慣れた景色である事に、逆に不安が増した。
王城で生まれ育ったとはいえ、私は行動範囲が限られている。未だ立ち入った事のない場所も多い。それなのに、見慣れている。つまり、日常の私の行動範囲の中に目的地があるとしたら。
考え過ぎだと現実逃避しそうになる私を嘲笑うかのように、通い慣れた通路……自室から、温室へ続くルートを歩き続ける。
温室に向かうというのはすなわち、魔導師の居住区があるエリアに向かうという事と同義。
まさか……。
ルッツとテオ、そしてミハイルとイリーネ様の顔が脳裏に浮かぶ。
続いて古い文献の内容と、乙女ゲーム『裏側の世界へようこそ』の設定が思い出される。
魔王は、力のない器……ネロの体に不満を持っている口ぶりだった。
もしかして魔力量の多い、魔導師の体を狙っているのだろうか。
そこまで考えて、ゾッとした。
友人達の体を乗っ取られるのも嫌だし、魔導師の器を魔王が手に入れるのも駄目だ。
魔力の量が多いとは思えないネロの体でも、現状恐ろしい力を持っているのに。
今代の魔導師達は近年まれにみる逸材揃いだと言われている。そんな体を手に入れたとしたら……。
「……っ」
落ち着けと何度も自分に言い聞かせた。焦っても、良い事なんて一つもない。
そもそも、魔王が器を簡単に取り換えられるとも思えないし。制約無しで器を変えられるなら、とっくの昔に世界は滅びているだろう。
でも、じゃあ何の目的で、何処に行こうとしているの?
混乱している間にも足は進み、ついに魔導師らのいる棟へと足を踏み入れた。立ち入りにも制限がかけられているので、見張りの騎士の姿がある。ただし、私の部屋番の彼らと同じく眠ってしまっているが。
壁に寄り掛かる形で眠っている騎士の横を抜け、どんどん奥へと向かう。途中で、私が毎日のように通っていた温室とは違う方角へと曲がった。
その先にあるのは魔導師の居住区と研究室。
あとは、神子姫……花音ちゃんを地球へ返す為の魔法陣。
どれが目的であっても、楽観的な想像は出来ない。
どうしよう、どうしたらいい。 打開策を考えようとしても何も思い浮かばず、焦燥感だけが増していく。
まず、体が思い通りにならない事には話にならない。
指先に力を込めてみても、強張ったままだ。呼吸は出来るし、視線は動かせるけれど、それだけ。声さえも出ない。
……ううん。そういえばさっき、少しだけ声が出せた。
ネロの名前を、一回だけ呼べた。どうしてだろう。悪趣味だからだと決めつけていたけど、そうじゃないかも。
私の気合い、な訳ないよね。
そうなると、魔王側に力の緩みがあった?
斬りかかるカラスから身を護る盾として、私を引き寄せた後だった。
おそらく城全体に眠りの魔法をかけて、私の体を操って、カラスに膝をつかせる程に、更に力を使って。今考えると、随分と小器用に色んな事を熟せるなあって思うけど。
もしかして、それで精いっぱい?
これ以上どこかに力を割くと、どこかが疎かになる?
この想像が正解ならば、きっと隙が生まれる時が来る。
その瞬間を見逃さないようにしないと。
「…………?」
密かにそんな決意をしていた私の視界の端、腕の中の黒猫の耳が揺れた。
私の心の声が聞こえたのかと思ってヒヤリとしたが、黒猫は私には気を留めていない様子。ピンと横に伏せた耳は、遠くの音を拾おうとする警戒中の猫の仕草に似ていた。
足元を冷気が這う。
夜の寒さに晒されて十分冷えていた足を、刺すような冷気が包み込む。痛いというよりは熱いと感じた瞬間、体が勝手に動いた。
どんくさい筈の私の体が、ひょいと何かを避けるみたいに後方に跳ぶ。さっきまでいた場所を見ると、足元の冷気がそのまま凍り付いたような形の氷の塊があった。
「姫、ごめん!」
聞き慣れた声に驚く間もなく、体が動く。
私の足跡を辿るように足元の冷気もついてきた。うんと濃い霧のようなものが瞬時に固まり、私の通った場所を凍り付かせていく。
しかし体は、私の意思で動かすよりも軽快な動きで全ての攻撃を避けきってみせた。
「くそっ!」
廊下の角から現れたのはルッツだった。
舌打ちした彼は眉間に深く皺を刻み、こちらを睥睨する。
僅かに遅れて、あの氷の塊の正体がルッツの魔法なのだと気付いた。試行錯誤しながらアイスクリームを作った時とは違う。敵を打ち倒す為の術としての魔法。それが自分に向けられている事に少なからず動揺した。
親しい友に敵認定された事に、心がダメージを負っている。
でも、打ちひしがれている場合じゃない。そもそも、私が憎くてやっているのではないと、ルッツの苦しそうな表情を見れば分かる。
魔法の威力も必要最低限。足止め以上の意味はないのだろう。
『魔導師か。自ら向かってくるとは、随分と迂闊だな』
不協和音が頭に響く。どうやらルッツにも聞こえているようで、同じタイミングで彼は不愉快そうに眉を顰めた。
目をすっと眇め、ルッツは低く唸る。
「うるさいよ、化け物」
私の目を見据えながら、ルッツは吐き捨てる。
目が合う事に疑問を覚えたのは数秒。勘違いされていると気付き、私は蒼褪める心境だった。
ルッツは、私の中に魔王がいると思っている。
そりゃそうだ。
裸足でうつろな目をしてうろうろしていたら、誰だってコイツやばいと思うだろう。それに魔王が人間以外を器として選ぶという事は想定されていない。少なくとも文献には書かれていなかった。
まずい。どうしよう。
どうにかして、伝えなきゃ。
「そのひとはオレの大切な人だ。返してもらうよ」
ルッツの言葉を嘲笑うように、喉を鳴らす音がした。
『どうやって取り戻す気だ? 簡単には止まらぬぞ』
ここを刺し貫けば止まるかもな、とナイフを握った私の右手が、心臓の辺りを軽く叩く。その動作を見た瞬間、ルッツの纏う空気がガラリと変わった。普段は静謐な夜空のような藍色の瞳が、怒りを内包して銀色に輝く。薄い唇が、「ぶっころす」と音もなく綴った。
ルッツが前方に両手を突き出すと、私を四方から取り囲む形で足元から霧が忍び寄ってきた。
パキパキと音を立てながら端から凍り付いていく。私の足に辿り着く直前に跳躍すると、ルッツは動きを読んでいたのか、氷の軌道を変えた。逆さになった氷柱のような形の氷が、足元に築かれる。
けれどその氷柱も私の足を捕らえる事は出来なかった。凍りかけの氷柱を蹴って、跳び退る。
自分の体とは思えない軽快な動きに驚いた。さっきまでよりも滑らかに体が動く。そこまで考えて、ふと思いついた。
これだけ色々としているのなら、もしかして、今なら声が出る?
「っ、る、……!」
ルッツ、と呼ぼうとした声は途切れた。
腹部に後ろから、負荷がかかる。タックルをするように、背後から伸びてきた手にきつく抱き着かれた。
「つかまえたっ!」
そう叫んだのは、可愛らしい女の子の声だった。見ると腹部に巻き付いているのも、ほっそりとした少女のもので。
まさか……花音ちゃん!?
姿を確認したくても、声以外の自由がない私には振り返る事も出来ない。
「マリー様の中から出てって……‼」
『邪魔なのが増えた』と舌打ちと共に頭に響いて、ナイフを握ったままの右手がピクリと動いた。
「花音ちゃん、逃げてっ!」
体ごと振り返った私の視線とかち合った榛色の瞳が、丸く見開かれた。




