転生王女の啖呵。
ふと気づくと、辺りは真っ暗だった。
ぼんやりとして不明瞭な頭を押さえながら、身を起こす。
随分長い事眠っていたような気がする。今何時だろう。
部屋の暗さを考えると、夜中だと思うけど……というか、何してたんだっけ。
パズルを並べるみたいに、記憶を一つ一つ呼び起こす。部屋に閉じ籠って、本を片っ端から読んでいて、それから、それから……。
額に当てていた手が滑り落ちる時、指先が唇を掠めた。それと同時に、記憶が一気に頭の中になだれ込んでくる。
唇に触れた熱、感触、声音。
抱き込まれた腕の中の力強さと匂い。
『好きだからだ』
切なげな告白が蘇った途端、ぼんっと沸騰するように顔が熱くなった。
「っ……!?」
え、え、あれ?
すすすす、好きって、言われたよね!?
わたし、レオンハルト様に好きって言われたよねぇ!?
湯気が出そうな程に熱を持った頬を両手で押さえながら、必死に記憶を掘り起こす。
好きって、言われた。うん、気のせいじゃない。
レオンハルト様の声は少し掠れて色っぽくても、聞き取りやすいし。聞き間違いじゃない。隙でも鋤でもなく『好き』なはず。
『ローゼマリー様』
そうだ。何度も名前を呼んでくれたし、勘違いでもない。
うん、わたし、ローゼマリー。大丈夫、人違い、違う。
何故か脳内で片言になりながらも、うんうん、と何度も頷く。
真面目な顔で確認点検するように上げ連ねてから、ふ、と息を吐く。へにゃりと顔が笑み崩れた。
すき、なんだって。
レオンハルト様、わたしのこと、すきなんだって。
「えへへへ……」
ふつふつと、胸の奥から幸福感が湧き上がってくる。
嬉しくて、嬉しくて、頭がおかしくなりそうだ。
もしかしたら既に頭のネジが一本や二本、抜け落ちているかもしれない。幸せ過ぎて、意識しないまま、口からおかしな笑いが洩れる。顔の筋肉がゆるゆるで、勝手に笑顔になってしまう。今の私は誰にも見せられないくらい、酷い有様だろう。
特にレオンハルト様には絶対に見せられない。せっかく好きになってもらえたんだから、幻滅とかされたくないし。
「夢じゃないよね……?」
一頻り幸せを噛み締めた後、小さな声で呟く。
そのすぐ後、落ち着くタイミングを見計らっていたかのように小さな音が鳴った。
控え目なノックに、肩が軽く跳ねる。
早い鼓動を刻む胸に手を当てながら、「はい」と応えた。しかし扉の向こうからの返事はない。
「……?」
誰だろう。
不審に思いながらも、ベッドを降りる。
そういえば、クラウスはどうしたんだろう。時間が遅いから交代したとしても、誰かしら近衛の方がいてくれる筈なんだけど。
首を傾げつつ、扉に近付く。
ノブに手をかけて、ふと留まった。
状況と時間を鑑みると、開けるのは不味いと判断したから。
「……どなたですか?」
警戒心丸出しの声で問う。
暫しの沈黙の後、「レオンハルトです」と返ってきて、条件反射のように扉を開けた。
扉の隙間から、端整な顔立ちが覗く。
嬉しくなって笑いかけようとしたが、彼の表情が硬い事に気付いて、中途半端な顔になってしまった。
「……どうなさったんですか?」
次に会ったらどんな顔したらいいのかとか、何を話したらいいのかとか、ある意味幸せな悩み事はどこかに飛んで行った。
それくらい、レオンハルト様は悲壮な顔をしている。
「……殿下にお話ししなければならない事がございます」
表情と同様に、硬い声。
話し方も呼び方も、素を曝け出してくれていた時とは全然違う。急に突き放されて、足元が崩れ落ちそうな心許なさを感じた。
さっきまでの幸福な気持ちが、しゅんと萎れていく。
「レオン、さま……?」
なにかあったんだろうか。
私が閉じ籠っている間に大変な事が起こったのかもしれない。
「なんでしょう」
浮かれている場合じゃないと己に言い聞かせて、表情を引き締めた。
少しの静寂の後、レオンハルト様は口を開く。
「カノン・フヅキ様と、結婚する事が決まりました」
「……え?」
低い声で告げられた内容は、到底信じられるものではなく。
呆けた声が、ぽつりと唇から零れ落ちた。
……結婚?
花音ちゃんが結婚するって……一体、誰と?
目を見開いて固まる私を見つめたまま、レオンハルト様は言葉を続ける。
「国王陛下にもお許しを頂き、来年の春には式を挙げる予定です」
花音ちゃんは、この世界に残る決断をしてくれたとか、親戚筋の子爵家の養女になってから嫁入りする予定だとか。オルセイン伯爵家の後継は弟さんに譲るから、伯爵夫人という枷は背負わせずに済むとか。聞きたくもない情報がどんどん頭の中に詰め込まれていく。
私はそんな事が知りたいんじゃない。
なんで。なんで?
私のこと、好きって言ってくれたでしょう?
あんなに必死になって、私をほしがってくれたのに。
どうして他の人と結婚するなんて言うの?
疑問は沢山浮かぶのに、上手く言葉に出来ない。
震えだした手をぎゅっと握りしめて、レオンハルト様を見上げる。一つも楽しい事なんてないのに、笑いそうになってるのは何でなんだろう。
「……うそ、ですよね?」
「……」
掠れた問いかけに返ってくるのは沈黙だけ。
「わた、わたしの事、好きって言ってくれたじゃないですか……っ」
必死になって言葉を紡ぐ私を、レオンハルト様は憐れむような目で見る。
黒い瞳にはいつもの柔らかな温かみはなく、温度のない空虚な暗闇が、じっと私を覗き込んでいた。
「貴方を女性として愛した事は、一度もありません」
ひゅ、と短く息を吸い込む。
凍り付いた私を冷たく突き放した彼は、追い打ちのように、残酷な言葉を投げ寄越した。
「夢でも見たのではありませんか」
あの幸福な時間が、ただの夢だと。
その姿で……私の最愛の人の姿で言うのか。
呼吸そのものを止めてしまえる、致死量の毒を注ぎ込まれた。
もしかしたら鼓動が実際、コンマ数秒止まったんじゃないだろうか。そのくらいの威力が彼の言葉にはあった。
「……っ」
大きく息を吸い込んで、吐き出す。
きゅっと唇を噛み締めて、両足に力を入れる。
ちょっと前の私だったら、きっと恥も外聞もなく大声で泣きわめいていた。
そのまま死んでも構わないってくらい、きっと全力で泣いたと思う。
でも今の私は、泣かない。絶対に。
悲しくもないのに泣いてたまるか。
もう一度、ゆっくりと深呼吸をしてから目の前の存在に視点を合わせる。
私の大切な人の姿をしたものを見据えてから、口を開いた。
「……貴方、誰?」
切れ長な黒い目が、くっと見開かれる。
一瞬、意外そうな顔つきはしたものの、動揺した様子はない。静かな声で「私をお忘れですか?」と問い返してくる。
「貴方はレオンハルト様じゃない。彼がそんな事、言う筈ないもの」
レオンハルト様の顔をしたなにかは、冷めた目で溜息を吐く。
「貴方を愛していない私は、私ではないと仰るか」
刺し貫かれるような痛みに息を詰める。でもすぐに、頭を振って雑念ごと振り払った。
「愛の告白が夢だったとしても、レオンハルト様の愛する人が……わたしじゃ、なく、ても……っ、それでも、貴方がレオンハルト様じゃないと言う事だけはハッキリ言い切れる」
言葉を切って、目の前のそれを睨み付けた。
「そのくらい、レオンハルト様には大切にしてもらってきたわ」
親子ほども年齢が離れた子供に愛を告げられ、戸惑いながらも彼は、ずっと私に誠意を尽くしてくれた。
そんな優しい人が、こんな最悪の言葉選びで私を傷付ける筈がない。
そうやって図に乗る程度には、大切にされてきた自覚はある。
だから泣く必要も、傷付く理由もない。
「私の大切な人の姿を騙るのは止めて。大体、全然似てないのよ。本物は貴方の五億倍格好良いわ」
涙目になりかけながらも、啖呵を切る。
「もっと勉強して出直して来なさい!」
叫んだ瞬間、目の前の姿がぐにゃりと歪む。
私が自室だと思っていた空間ごと、かき混ぜた鍋の中身みたいに混ざり合って、闇へと消える。
ああ、今見ていたものこそが夢だったんだと悟ると、意識が急激に浮かび上がった。




