転生王女の初恋。
扉がゆっくりと開く。
レオンハルト様はその隙間から体を滑り込ませた。至近距離に迫った大きな体躯に、私の体が小刻みに震えだしたのは、本能的な怯えによるものだろうか。
レオンハルト様の肩越しに見える扉が、パタンと閉まる。逃げ道はあっさりと閉ざされてしまった。
声も出せずに棒立ちする私が見上げる先、レオンハルト様は浮かべていた笑みを消す。形の良い眉が顰められる。
掴んでいた私の手首を離して、頬へ手を伸ばす。大きな手が私の頬を包み込んで、親指が目元をそっと擦った。
「顔色が悪い。こんなに憔悴されて……」
愛しむような優しい手付きだったのに、私の体は強張る。
ゆっくりと頬を撫でてから、レオンハルト様は切なげに目を細めた。
「オレのせい?」
「っ、違います」
一瞬言葉に詰まったものの、否定の言葉と共に頭を振る。
レオンハルト様のせいではない。勝手に私が好きになって、勝手に失恋して傷付いているだけ。私の気持ちの問題であって、レオンハルト様のせいではないし、花音ちゃんを責めるつもりもなかった。
「レオンハルト様には、関係のない事です」
安心してほしかったのに、何故かレオンハルト様の顔は強張る。
頬に触れていた堅い掌も、ビクリと跳ねて固まった。
「その、色々とこれまでご迷惑をおかけしてしまいましたが、もう」
「姫君。一週間前、庭園で落とし物をされましたよね」
私の事は気にしないでと伝えようと、続けた言葉に冷えた声が被せられる。いつも黙って私を待っていてくれる彼らしくない、強引な遮り方だった。
内容をすぐに理解出来ずに、ぱちぱちと瞬く私を、レオンハルト様は待ってくれない。
「オレとフヅキ殿が一緒にいるのを見て、勘違いされたのではありませんか?」
かんちがい、と意味も分からず鸚鵡返しする私の手を、レオンハルト様は取る。手を握られて距離を詰められて、目を白黒させる事しかできない。
「そうです、勘違いです。オレとフヅキ殿の間に特別な感情は……」
「ま、まって」
上手く働かない頭に、次々と単語を詰め込まれても全くついていけない。落とし物ってなんだとか、出歯亀してたのバレてたのとか、勘違いって何がとか。一つも解決されないまま、疑問がどんどん積み上げられていく。
頭がパンクしそうだ。
レオンハルト様に向けて、掌を突き出す。
「待って、ください」
掠れた声を絞り出す。
見上げたレオンハルト様の端整な顔が、苦しげに歪む。真っ直ぐに見ているのが辛くて、俯くふりで目を逸らした。
そもそもレオンハルト様は、なんでそんな事を言うんだろう。
てっきり、自分の事は諦めてほしいと振られるんだと思ったのに。全然違う方向へ転がっていく話に、混乱した。
勘違いって何だろう。レオンハルト様と花音ちゃんは、まだ恋人にはなってないのかな。
希望が蘇りかけたのを、慌てて打ち消す。今の私が、レオンハルト様に縋り付く事は許されない。
優しいレオンハルト様は、閉じ籠もっている私を心配してくれたけど。
それは私を好きだからじゃない。女として愛されているんじゃない。
勘違いするな。
花音ちゃんを好きでなかったとしても、私を好きになってくれると決まった訳じゃない。全く別の話だ。
そして可能性にいつまでもしがみついて、レオンハルト様を苦しめ続けては駄目。同情で縛り付けても苦しいだけだと、前から分かっていた筈でしょう。
幼い王女が一方的に慕うのと、成人した王女が望むのでは全く状況が違ってくる。レオンハルト様の気持ちを無視して、手に入れる事が出来てしまう。
ここが、限界点。
そろそろ、手を離してあげる時期だ。
花音ちゃんの事がなくても。
魔王の事が思い違いであっても。
レオンハルト様を諦めるべき日が来た。
「もう、いいんです」
「姫君……?」
俯いたまま告げると、訝しげな声が返ってくる。心配そうな声を突き放すように、握られたままだった手を振りほどく。
顔をあげると、レオンハルト様は戸惑ったような顔をしていた。標を見失った迷人みたいな表情の彼に、笑いかける。強張っていないといいなと、願いながら。
「長い間、縛り付けてしまってごめんなさい」
「……っ」
レオンハルト様は息を呑む。ひゅ、と乾いた音が鳴った。
「前に、私が大人になったら、振られてあげますって約束しましたよね」
「姫君っ!」
私の言葉を打ち消すように叫ぶレオンハルト様は、何故か必死な顔をしていた。
もう、いいのに。私はたくさん、レオンハルト様に優しくしてもらった。たくさんの思い出をもらった。
もう充分だ。これから、どんな困難な道が待ち受けていようとも頑張れる。この恋を支えに進める。
たった十年で何を言っているんだって笑われてしまいそうだけど、私にとっては一生分の恋だった。
「もう終わりにしましょう」
私とレオンハルト様の間には、何も始まっていないけど、と心の中で付け加えて笑う。零れ落ちそうになる涙を堪える為に、少しだけ上を向く。
「今まで、ありが……」
ありがとう、と言い切る前に声が途切れた。
強い力で腕を引かれる。腰を攫われるようにして引き寄せられ、顔が堅い何かにぶつかった。
視界いっぱいに広がるのは、黒に近い紺色。しっかりした生地のそれは、近衛騎士団の制服。
レオンハルト様に抱きしめられているのだと、一拍空けて理解した。
無意識のまま吸い込んだ空気に混ざる香りは、以前、寝惚けたレオンハルト様に抱きしめられた時の匂いと同じ。少しだけ甘さのある落ち着いた香りは、彼の体温が上がるのに合わせて、前より濃く香る。
僅かに混ざる汗の香りに、頭の芯がくらくらした。
なんで。
なんで私、レオンハルト様に抱き締められているんだろう。
「れお、」
呆然としたまま、レオンハルト様を呼ぼうとした。
しかし何も言うなとばかりに、腕の力が強まる。痛いくらいに抱き込まれて、身動ぎすらままならない。
「……貴方は、酷い人だ」
顔を押し付けた胸から、振動ごと声が伝わってくる。泣いているのかと勘違いしてしまいそうに震えた声を、私の耳に注ぎ込む。
「今更いらないなんて、許せる訳がないでしょう」
「……れおん、さま?」
ぴったりとくっついていた体が、僅かに離れる。拳一つ分あいた隙間に滑り込んできた手が、私の顎を捉えた。
乱暴ではないのに、抗う事を許さない強い力で上向かされる。
顔に影が差して、唇を吐息が掠めた。
「終わりになんてさせない」
言葉は直接、唇に吹き込まれる。薄く開いていた唇に覆いかぶさるように、唇が重なった。




