転生王女の捕獲。
あけましておめでとうございます。
本年もどうぞ宜しくお願い致します。
ドサリ、と何かが落ちる音で急速に意識が覚醒した。
「……っ!?」
傾きかけていた体を起こし、辺りを見回す。
焦点がゆっくりと合い始めた視界に映るのは、見慣れた自室。足元を見ると、開いたままの本が落ちていた。音の正体は、これのようだ。
読んでいる途中で、居眠りしかけていたらしい。
鈍く痛む頭を押さえながら、本を拾い上げる。埃を払う為に背表紙を軽く手で叩く動作は、我ながら笑ってしまうくらいに鈍かった。
最近、あまり眠れていない……というと語弊があるか。正確に言うと、眠るのが怖い。物騒な夢を見るのが怖いというのもあるけれど、それよりも、知らない間に夢が現実になっていたらと考えると、恐ろしくてたまらなかった。
毎晩のように見る悪夢は、人や物の造形がやけにリアルで。目覚める度に現実でなかった事に心の底から安堵した。
でもあまりにもよく出来た夢だからこそ、怖い。
夢が覚めない日が来たら。
私の意思を無視して動き出した体が、誰かの命を奪ってしまったら。
そんな馬鹿みたいな考えが、頭の中でぐるぐる回っている。
「…………」
じっと無言で私が見つめる先は、ベッドの傍にある台の上。籐製の籠の中に丸まった黒い塊が、私の視線に気付いたように顔を上げる。
感情の読み取れないガラス玉みたいな目が、私を見つめ返す。
以前は凪いだ湖畔の如き蒼だった瞳は、薄暗い海底の色に変わっている。その変化は、光の加減によるものなのか、気の所為なのか。もしくは別の要因があるのか。確かめるのさえ怖い。
姿は私の大切な愛猫のままなのに。どうして知らない生き物と対峙している気分になるのだろう。
私の中にある違和感を決定的なものにしてしまうのが怖くて、『ネロ』と呼びかける事が出来なかった。
睨み合う獣のようにじっと固まって見つめ合っていたが、唐突に興味をなくしたように、猫は私から視線を外して再び寝床に丸くなる。
無意識に詰めていた息を吐きだした。ソファの背凭れに体重を預けて目を瞑ると、頭痛がより鮮明になった気がする。
考えなきゃいけない事は沢山あるのに、睡眠不足の頭では上手く纏まらない。
私の中に、魔王はいるの?
実感なんてない。
それでも、眠りに落ちる度に見る悪夢と、他人行儀な飼い猫の様子に不安が募っていく。
それとも、ネロの中にいるの?
人懐っこくて元気だったネロは、一日の大半を寝床で過ごすようになった。たまに動いても、私の傍には寄ってこない。別の生き物を観察しているような目は、私の可愛い子とはまるで違ってみえた。
でも、ネロの態度は私ではなく私の中の魔王を警戒しているとも考えられる。
それから、魔王の復活によって何かしらの変化が起こっている可能性もあった。
どれもこれも、不確定要素ばかり。
考えれば考える程、不安だけが大きくなっていく。
「分かんないよ……」
小さな弱音が、零れ落ちた。
不安を押しやる為に、必死になって情報を集めた。
魔王関連の本は父様のところにあるので、魔法や魔力に関する書物を片っ端から調べた。
以前、イリーネ様から伺った話では、この世界の人間は魔法を使える程ではなくとも、微量に魔力を持っている可能性があるとの事だった。
そして書物の情報によると、魔王は器の魔力を増幅させる力がある。
その二つを合わせると、私の中に魔王がいた場合、私の魔力量も上がっているという事。
つまり逆に考えると、私に魔法が使えたら、魔王は私の中にいるという証明になるんじゃないだろうか。
そう考えて色々と試してみたけれど、全て不発。
魔法も使えないし、魔法を使う時の身体的特徴も現れない。
イリーネ様か、ルッツとテオに教えて貰えればと考えて、すぐに駄目だと打ち消す。
魔王が私の中にいるかもしれないのに、魔導師と接触するのは危険だ。
やっぱり、父様に相談するべきか。
直接会うのは怖いから、信頼出来る人を介して、手紙なり伝言なりで指示を仰ぐのがベスト。
「…………」
そう頭で考えても、体が動きたがらない。
ぼんやりと天井を眺めていた私は、ソファの上、抱えた膝に頭を埋めた。
過去の書物や、乙女ゲームの中で出てきた魔王は、死体を操っていた。
魔王が抜けた器は当然、死体へと戻る。ゲームでは魔王を倒したのと同時に、ミハイルの体はチリとなって消える描写があったはず。
では、器が生きているとしたら?
その後は、一体どうなるの?
「っ……」
掻き抱いた自分の体は、カタカタと震えていた。
私の体を傷付けずに、魔王の足止めをして消滅させるなんて出来るとは思えない。魔王の再生能力のお陰で生き残れたとしても、魔王が抜けたときにどうなるかは分からない。
死にたくない。
生き物としての根源的な恐怖が湧き上がってくる。
王族としての責務だとか。民を守る義務だとか。立派な考えで虚勢を張ろうとしても、出来なかった。
ただひたすらに、怖くてたまらない。
誰かにしがみついて泣きわめきたくても、誰の手もとれない現実により一層打ちのめされる。
「レオンさま……」
駄目なのに。
もう私が頼ってはいけない人なのに、どうしても一番に思い浮かんでしまう。
レオンハルト様にはもう、花音ちゃんがいる。
私が入り込む隙間はもうない。だから諦めなきゃ。昔、約束したように、解放してあげる時が来た。
それなのに私は、最後通牒を突きつけられるのが嫌で、レオンハルト様の面会を拒否し続けている。
閉じ籠もっている私を心配して、連日通ってきてくれているのに。
そんな事をしては、花音ちゃんに誤解されちゃうからと心配する私と、最後なんだからもう少しだけ振り回されてくださいと願う私が同居している。
偶然、庭園にいたレオンハルト様を見た時、改めて思い知らされた。
私は未だに、全くレオンハルト様を諦められていない。どうしようもなく好きなまま。
この恋をどうやって終わらせたらいいのか、誰か教えてほしい。
「……っ?」
コンコン、と扉がノックされた。
顔を上げて、入り口を振り返る。
誰だろう。
……相手が誰であっても、暫くは取り次がないでとクラウスにお願いしてあるのに。
それとも、父様か母様かな?
だとしたら、クラウスにそれを突っぱねろというのはあまりにも可哀想だ。
溜息を一つ吐き出して、のろい動作で立ち上がる。たったこれだけの動きで、少しだけ目眩を覚えた。
足元がおぼつかなくて、フラフラと扉を目指す。
「……クラウス?」
伸ばした指先で扉に触れて、用件を聞くために声をかける。
しかし、応えはない。
シンとした静寂が流れる。
数秒待ってから、首を傾げた。ノックは聞き間違いだったのかと、踵を返そうとしたその時。
「……姫君」
馴染んだ声が、耳に届いた。
緊張しているのか少し掠れた低音は、私の大好きな人のもの。
呆けた私は、固まったまま扉を見つめる。
聞き間違いかと思いかけて、私が彼の声を聞き間違える訳がないと打ち消す。
「レオンハルトです。不躾な真似をして申し訳ありません」
黙り込んだ私をどう思ったのか、レオンハルト様は扉越しに話を続ける。
我に返った私は、扉に触れていた手を慌てて引っ込める。蹌踉めくように数歩、後退った。
どうして、とシンプルな疑問が浮かぶ。
レオンハルト様は確かに、私を何度も訪ねてきてくれた。でも面会を拒否している私の気持ちを考慮してか、一度だって直接声をかけるような真似はしなかったのに。
「お咎めは後でいくらでも受けますので、どうか扉を開けてください」
混乱している私は、黙って立ち尽くす事しか出来ない。
胸の前で震える指先を握りしめた。
私に訴えかけるように扉が鳴る。
「話をさせてほしいんです」
聞きたくない。
私は力なく頭を振る。扉を隔てた彼に、そんな拒否が伝わる訳がないのに。耳を手で塞いで、扉から一歩ずつ離れる。
長い沈黙が落ちた。
扉を挟んで膠着状態となった私達は、お互いに無言で相手の出方を待っていた。
どれくらい経っただろうか。
溜息を吐く音が微かに聞こえた。去っていくだろうと考えて、安堵と共に寂しさを覚える。自分で拒否しておいて、そんな資格なんてないのに。
しかし私の予想を裏切って、レオンハルト様は立ち去らなかった。
「ほんの少しだけ、扉を開けてください。僅かでもお顔を見せていただけたら、今日は引き下がりますから」
レオンハルト様の言葉は、譲歩とも言えた。
それでも私は躊躇う。間近で顔を見たら、余計に諦められなくなりそうで怖い。
「お願いします、姫君……」
重ねられた懇願は、レオンハルト様の声とは思えない程に弱りきっていた。切なげな声音に、心を揺さぶられる。
私が彼を困らせていると思うと、たまらない気持ちになった。
異性へむける恋慕でなくても、私の事を大切に思ってくれているのだと感じて、少しだけ満たされる。それと同時に、こんな風にいつまでも振り回していてはいけないとも思った。
彼は近衛騎士団の団長。王家の盾だ。私のような小娘にかかりきりになっていて良いわけない。
目を伏せて、深呼吸を繰り返す。
緊張に早鐘を打つ鼓動を鎮める為に胸を押さえ、もう一度深く息を吸った。
ちょっとだけ。
ほんの数秒、隙間から顔を見るだけ。
そう自分に言い聞かせながら、解錠する。
ドアノブに手をかけて開いた二十センチくらいの隙間からそっと外を覗いた。
レオンハルト様の綺麗なお顔が、想像よりも近い位置にあって驚く。少し仰け反って、扉を勢いで閉めてしまいそうになったけど、なんとか踏み止まる。
レオンハルト様は目を軽く瞠った後、安堵したように眦を緩めた。
私の好きなレオンハルト様の笑顔。……それなのに何故か、違和感を覚える。
黒獅子なんて異名を持つ方とは思えないほど、穏やかで優しいいつもの笑顔と、少しだけ違うような。
普段との違いを見極めようとしていた私は、腕を掴まれた事にすぐには気付けなかった。
「……へ?」
間の抜けた声を零しながら、私は掴まれた腕を見る。
扉の隙間から生えた手に、がっちりしっかり握られていた。
呆然と立ち尽くしている私を置き去りに、今度はガツ、と鈍い音がする。見ると扉の隙間にブーツの爪先が差し込まれていて、ドアストッパーみたいに扉が閉まるのを阻害していた。
冷や汗がブワッと吹き出す。
震える手を引き寄せようとしても、力で敵う筈もなく。痛みはないけど外せないという絶妙の力加減で腕を掴まれたまま、私は恐る恐る顔を上げる。
開いた扉の片側に、もう一方の手が掛かった。
レオンハルト様の墨色の瞳が、すぅっと細められる。形の良い唇が弓形に歪められる様を、為す術もなく見守った。
その笑みは獲物を前にした獣のように、美しくも恐ろしい。
「捕まえた」




