召喚神子の焦り。
※ 異世界より召喚された神子姫こと、ゲームのヒロイン、文月 花音視点です。
紙袋の中身は、綺麗な狐色に焼けた美味しそうなクッキー。
小分けになっているソレを見て私が真っ先に思い浮かべたのは、美しくも可愛らしい女性の姿。某夢の国のお姫様達よりも可憐なプリンセス。
『クッキーを焼こうと思っているのですが、宜しかったら花音様も一緒に作りませんか?』
私を誘ってくれた彼女の言葉に、一も二もなく頷きたかったけれど、あいにくと先約があり断ってしまった。
すごく、すごく行きたかったのに。レオンハルト様もこんな神イベントがある時に、約束なんて取り付けないでほしかった。お世話になっているので反故するつもりはないけど、ちょっとだけ恨んでしまいそうだったのは内緒。
断られても彼女は気分を害した様子もなく、気にしないでと笑ってくれた。優しい。
たぶんこのクッキーも自惚れでなければ、私とレオンハルト様の分なんじゃないかと思う。
それなのに、そんな優しい彼女に私はなんてものを見せてしまったの……!?
ここにクッキーが落ちているという事は、たぶん、おそらく、見られたと思う。彼女の好きな男性に、私が抱きついているという決定的瞬間を目撃された。
最悪だぁ……。彼女の目線で言うと、私は完全に横恋慕した挙げ句に奪おうとしている嫌な子じゃないですか……。
違うのに! 確かにレオンハルト様はすごく格好良いと思うけど、そんなんじゃないのにー!!
「フヅキ殿?」
怪訝そうな声で呼ばれ、私はのろのろと顔を上げる。
たぶん酷い顔色であろう私を気遣う表情で覗き込み、レオンハルト様は「どうされたんですか?」と訊ねた。
説明するのもしんどい。
でも、言わないと余計に拗れちゃう。
「このクッキーの持ち主、たぶんローゼマリー様です」
「……は」
唖然とした声が、形の良い唇から洩れる。
端整な顔が、私と同じくどんどんと青褪めていく。
「今日はクッキーを焼くって言ってました。たぶん私達に届けにきてくれたんだと思います」
「……っ、……それは、つまり」
レオンハルト様が絞り出した声は、酷く掠れていた。
その先を口にするのを恐れるように途切れた言葉を、私が繋ぐ。
「さっきの、見られたかもしれません」
その仮定は、私にとってもレオンハルト様にとっても、最悪なものだった。
よりにもよって一番見られたくない人に目撃されるとか、どんなタイミング。私は前世で大罪でも犯したんですか、神様。
どんよりした気持ちで、天を仰ぐ。
澄み渡る空は、私の世界のものと同じ色をしていた。でもこの空は、私の住む街とは繋がっていない。
異世界転移なんてラノベの中だけの出来事だと思っていたものが、まさか我が身に降りかかるなんて考えた事もなかった。
容姿も学力も並。性格も普通。運動神経は普通の人より鈍いくらい。
そんな私が異世界に召喚されるなんて、何かの間違いだと思う。
ラノベみたいにトラックに轢かれるとか、高い所から落ちるなんて事もなく、気づいたら知らない場所。
そして私を取り囲む綺麗な顔をした人達。しかも、映画や海外ドラマに出てくる俳優さん達よりも、絵画や彫像の方が近いと思える現実感のない美形ばかり。
キラキラと輝いているようで、直視すると目が潰れそう。顔面偏差値高すぎでは??
美形に囲まれて喜ぶような心の余裕は一切なくて、寧ろ不安で泣きたかった。
ラノベなら、王子様が安心させるように微笑みかけてくれる場面だよねと現実逃避してみるけれど、誰も助けてくれない。
というか、話す王様の背後で棒立ちしていた美青年が王子様だったらしい。微笑みかけるどころか、無表情で一言もしゃべらなかった。
そんな中、私の前に跪いて微笑みかけてくれたレオンハルト様に一瞬だけトキメいてしまったのは、仕方のない事だと思う。
レオンハルト様も美形だけど、優しい表情をするから怖くなかった。
大人の男性だからか、私に気づかせないように先回りして気配りするのが上手。でも同じくらい、線引きするのも上手い。あくまで仕事であって私情ではないと分かるから、勘違いはしなくて済んだ。
頼る人のいない異世界で、緊張と不安に押し潰されそうになっていた私を救ってくれたのは、騎士様じゃない。王様でも王子様でもない。
『怖かったでしょう? もう我慢しなくても、大丈夫ですよ』
そう言って笑いかけてくれたのは、絵本の中から抜け出してきたようなお姫様だった。
私のせいで魔王の封印が解かれてしまったかもしれないのに、一言も責めずに、『貴方のせいではない』と、白く柔らかな手で私の涙を拭ってくれた。
抱きついて泣き出した私の背を、宥めるようにずっと優しく撫でてくれた。めちゃめちゃいい匂いがした。
異世界に来てからたくさん素敵な男性に会ったけれど、一番素敵なのはお姫様だ。
細くて柔らかくて、とっても良い香りがするし、見た目は可憐で儚げな美少女だけど、誰よりも格好良い。
私にとっては誰よりも素敵な王子様。
そんな憧れの人に、敵認定されるなんて絶対に嫌!!
ぐっと拳を握りしめ、決意も新たに前を向く。
ショックが大きすぎたのか、真っ青な顔色で固まっているレオンハルト様の腕を掴み、大きく揺さぶる。
「レオンハルト様っ! 固まっている場合じゃありませんよ! 追いかけて説明しないと、勘違いされちゃいます!」
「!」
勢いよく顔をあげたレオンハルト様は、そのまま走り出そうとする。野生動物のように見事な身のこなし。
でも走り出す寸前で、私の存在に気付いて足を止めた。
焦燥の滲む顔で私と廊下の方角とを見比べてから、ぐっと色んなものを飲み込んだ。
「フヅキ殿、一度部屋までお送りします」
今すぐにでもローゼマリー様の元へ駆け出したいでしょうに、職務を忘れないレオンハルト様は立派だ。
彼の手を煩わせないよう素直に従うべきだとは分かっていても、私は首を横に振る。
「嫌です。私も連れていってください」
私だって言い訳したい。
レオンハルト様だけなんて狡い。
レオンハルト様は困ったように眉を顰めたけれど、諦めたように溜息を一つ吐き出す。問答している時間が惜しいのだろう。行きますよと短く告げた後、踵を返した。
周辺には既にローゼマリー様はおらず、近辺を探し回っても姿は見当たらない。
最終的にローゼマリー様の私室へと向かうと、いつも傍にいる護衛騎士の方が入り口に立っていた。
確か名前は……クラウスさん、だったと思う。
爽やかな笑顔を浮かべているイメージがあった彼は、萎れた花のように項垂れている。しょぼんとした力ない様子は、飼い主に叱られた大型犬にも似ていた。
しかし、私とレオンハルト様の存在に気付いた彼はすぐに表情を取り繕う。
「クラウス」
「お疲れ様です、団長。何か御用でしょうか」
普段どおりを装ってはいるものの、ローゼマリー様の傍にいる時よりも表情が硬い。
「いや。……ローゼマリー様は、お部屋にいらっしゃるのか?」
「……? はい。おられますが」
歯切れの悪いレオンハルト様を、クラウスさんは訝しむように見る。
「出来れば、話がしたい」
「話、ですか」
少しの間、考え込んでいたクラウスさんの表情が、何かに思い当たったように一変する。
垂れ目がちの翠緑の瞳を眇め、私とレオンハルト様をじっと見比べた。僅かな違和感も見逃さないと言いたげな視線だった。
「団長……ローゼマリー様に何かしましたか」
疑問形ではない言葉をぶつけられ、レオンハルト様の肩が微かに揺れる。当然、それをクラウスさんは見逃さなかった。視線は剣呑さを増し、彼の手が剣の柄に掛かる。
「やっぱりアンタが原因か」
憎々しげに、掠れた声でクラウスさんは吐き捨てる。
一触即発の空気に耐えきれず、私は二人の間に割って入った。
「あ、あのっ、誤解なんです! レオンハルト様じゃなくて、私のせいなので、ちゃんと説明させてほしくて!」
「お静かに」
鋭い視線に射抜かれた私は、そろそろと後退りながら「ひゃい……」と情けない声で返事をする。
「……確かに、姫君を傷付けたのはオレだ」
レオンハルト様は硬い声で告げる。
「オレの軽率な行動が、あの方を苦しめた」
表情にも声にも、後悔がありありと滲んでいる。
けれどクラウスさんは絆されず、寧ろ視線は更にきつくなっていく。腰に佩いた剣がカチャリと音をたてるのを聞いて、背筋が凍る。
「後で好きなだけ殴れ。なんなら斬ってくれても構わない。……だから、少しでもいい。話をさせてくれ」
ぐっと拳を握り込み、レオンハルト様は真っ直ぐにクラウスさんを見据える。
「オレは……姫君を失いたくない」
希うような、切ない声だった。
横で聞いているだけの私が赤面してしまう程に、ただ一人だけに向けられた真っ直ぐな想い。飾らない言葉だからこそ、ダイレクトに伝わる。
レオンハルト様がどれだけ、ローゼマリー様を思っているか。
長い沈黙が落ちる。
苦々しい溜息を、クラウスさんは吐き出す。一度伏せた翠の瞳が、再びレオンハルト様に向けられる。
「……お引取りください」
クラウスさんの目には、さっきまでの鋭さはない。
それなのに彼は、拒む言葉を紡ぐ。
食ってかかろうとした私を制するように一瞥し、言葉を続けた。
「ローゼマリー様は今、お休みになっております」
さっきの静かにしろって注意は、ローゼマリー様を起こすなって意味だったんだ。
「話したいのなら、ローゼマリー様が落ち着かれてからにしてください」
それが、クラウスさんの最大限譲歩出来るラインなのだろう。
レオンハルト様も彼の意図を理解し、ほっと肩の力を抜く。クラウスさんはレオンハルト様を軽く睨んで、「さっきの、忘れないでくださいね」と恨みがましい声で呟いた。
レオンハルト様は苦笑して頷く。
数日後、この整った顔がボコボコにされてしまうのだろうかと想像して、私は首を竦めたのだった。




