転生王女の当惑。
テオとルッツの二人と別れてから、さっそくクーア族の皆のところへ寄る事にした。
薬に関する資料置き場として使われている部屋を覗くと、丁度、目当てであるリリーさんがいた。
資料を手に真剣な顔でヴォルフさんと話し合っていた彼女は、私の存在に気づくと目を丸くする。次いで目を輝かせ、資料をヴォルフさんへと押し付けるように渡してから、駆け寄ってきた。
「マリー様!」
「こんにちは、リリーさん。お仕事中にお邪魔しちゃってごめんなさい」
「いいえ。今、丁度暇していたところなんです」
笑顔で言い切られて、なんて返したら良いか分からず言葉に詰まる。
だって、さっきまで明らかにお仕事していたよね。
「お茶の準備をしてくるので、掛けてお待ち下さい」
「お構いなく。すぐに帰りま……すん」
帰りますので、と言い切れなかった。
しゅんと萎れたリリーさんを前に、誰がそんな無慈悲な事を言えるというのか。
結果的に、間抜け且つどっちだか分からない言葉になってしまったけれど本望だ。
「えっと、少しだけお話していきたいなと」
「はい!」
笑顔に戻ったリリーさんを見送ってから部屋に入ると、ヴォルフさんが苦笑していた。
「急ぐ用事もないなら、ゆっくりしていきなさいよ」
ヴォルフさんに手振りで勧められて、椅子へと腰掛ける。
彼は山積みの本を別の机へと移してから、布巾でテーブルを拭いた。
「クッキーを焼いてきたんです。皆さんで召し上がってください」
「ありがとう。アンタの手料理好きだから嬉しいわ」
クッキーが大量に詰まった箱を手渡す。箱に顔を近付けたヴォルフさんは、「良い匂い」と言って眦を緩めた。
「そっちは、これから別の誰かに届けるの?」
私が横に退けた紙袋の存在に気付いたらしく、ヴォルフさんはそう訊ねる。
他意のない言葉だったが、私は過剰反応してビクリと肩を跳ねさせた。するとヴォルフさんは、目を眇める。ははーん、と言い出しそうな意地悪な顔だ。
「さては、あの色男に届けるつもりね」
黙り込んだ私を見て、ヴォルフさんは呆れたように溜息を吐く。
「アンタってば、分りやすい子ねぇ」
「い、一応、他の人にも届ける予定です」
紙袋の中身は、クッキー入りの小箱とリリーさんお手製のお茶。
レオンハルト様の分と花音ちゃんに渡す分、あとは兄様の分。ただ兄様は忙しくて会えるか分からないので、無理だったら自分で食べるつもりだ。
いつもお世話になっているので、クラウスにもちゃんと箱入りのものを渡そうと思ったけど、いつまで経っても食べずに飾って置かれる未来が見えた気がしたので、ラッピングなしで渡した。
それでも「家宝にします」とか言い出したので、その場で食べさせた。放っておくと、騎士の宿舎が大変な事になってしまう。
それと、ミハイルの分をどうしよう。
一応は持ってきたものの、会える機会がない。ヴォルフさんに渡した方が確実だと思うので、お願いしようかな。
そう考えていると、扉が開いた。
カップの載ったトレイを持ったリリーさんと共に入ってきたのは、今思い浮かべていた人物……ミハイルだった。
おそらくリリーさんの手伝いを申し出たのだろう。ティーポットと菓子皿を持った彼は、私を見て柔らかな笑みを浮かべる。
「こんにちは、王女様」
久しぶりに会ったミハイルは、クーア族にすっかり馴染んでいた。
「ミハイルさん、手伝ってくださってありがとうございます。良かったら一緒にお茶して行きませんか?」
「ありがとう」
人とのコミュニケーションが苦手だった彼だが、その名残は殆どない。リリーさんと会話する姿は、もはやただのイケメンである。
お茶を入れるリリーさんを、さり気なく手伝う気配り上手なところも素晴らしい。流石、乙女ゲームの攻略対象と感心する。ポテンシャルの高さ半端ない。
ゲームの魔王は妖しい魅力のお色気担当だったけれど、現在のミハイルは、柔らかな物腰と笑顔が魅力の癒やし担当だな。
小柄で細身な美少女リリーさんと、長身痩躯の美青年ミハイルの組み合わせは、とても眼福。乙女ゲームのスチルを見ているようだ。
「ニヤニヤしてんじゃねぇよ、ブス」
「!」
背後からの指摘に、私は慌てて両手で顔を押さえる。
やばい。お姫様としてアウトな顔をしていなかっただろうか。
顔を押さえたまま、恐る恐る振り返ると、呆れ顔のロルフと目が合った。
「ブスがもっとブスになってんぞ」
く、悔しい。酷い顔していた自覚があるだけに言い返せない。
そう歯噛みをしていた私だったが、思わぬところから援護が入った。
「……それ、まさか王女様の事じゃないよね?」
咎めるというよりは、心底不思議そうな顔でミハイルは首を傾げる。
対するロルフは虚を衝かれたように目を丸くした後、きまり悪そうに視線を逸らす。おや、珍しい反応だ。
「いや、えーっと……」
「それとも、もしかしてロルフは目が悪いのかな?」
口籠ったロルフに、まさかの追い打ち。しかも悪意がないから余計に辛い。
「み、ミハイル。そのくらいにしてあげて」
笑いを堪えながら、ヴォルフさんが助け船を出す。
隣のリリーさんも珍しく笑いを堪えているのか、肩が細かく揺れていた。
どうやらロルフは、ミハイルには強く出られないらしい。そういえば以前、病の治療にあたっていた時に、尊敬の眼差しを送っていたっけ。
そっぽを向きながらだったが「すまん」と小さな謝罪が聞こえた。
面白いものを見せてもらえたので、特別に許してあげようと思う。
クーア族の皆とお茶した後、花音ちゃんのお部屋へと行ってみたけどやっぱり留守だった。残念だけど明日また行ってみて、駄目なら自分で食べるしかないかな。
仕方なく自室へと戻っている途中で、私は足を止めた。
「……あら?」
長い廊下の先。
中庭へと続く通路へと曲がろうとしているのは、私が探していた人ではないだろうか。
遠くて顔までハッキリ見えないが、小柄な少女と長身の近衛騎士の組み合わせは、城内では珍しい。それに、あの服のシルエットは花音ちゃんのセーラー服以外ないと思う。
それにレオンハルト様を私が見間違える筈ないという、妙な自信もある。
良かった。クッキーが駄目になる前に渡せそうだ。
二人の後を追って、中庭へと向かう。
でも距離があったせいで、途中で姿が見えなくなった。いくら中庭が広いとはいえ、まさか見失うとは思わなかった。
「どこに行ったのかしら?」
「お探ししますか?」
「お願い」
クラウスに手伝ってもらいながら、二人の姿を探す。
見頃を迎えたダリアの花壇や、まだ蕾の秋バラの前には姿がない。小高い場所に立つガゼボにも人影はなかった。
キョロキョロと辺りを見回しながら先へと進む。
綺麗に剪定された庭木は、迷路のように視界を阻んで私の行く手を遮った。
「……、……」
遠く、小さな話し声が聞こえた気がする。
声の方向を目指して進んでいくと、やがて二つの人影が見えた。
想像していた通り、それはレオンハルト様と花音ちゃんだったが、二人はやけに険しい顔つきをしている。
深刻な雰囲気に気圧されて、私は足を止めた。
話の内容は遠くて聞こえない。でも、大切な話をしているようだし、万が一にも聞こえてしまったらまずいだろう。出直すべきかな。でも、待っていたら終わるかも。
足元を見つめながら考え込む。そうして、やっぱり出直そうと決意した私は、外していた視線を二人へと戻す。
そしてそのまま、凍りついた。
視線の先では花音ちゃんがレオンハルト様に抱きつく形で、二人が寄り添っていたから。




