或る王女の溜息。(2)
※前回に続き、ラプター王女 ユリア・フォン・メルクル視点となります。
前回のお知らせでご報告出来なかった特典情報を、活動報告にて追記しました。
お時間があれば、目を通していただけたら嬉しいです。
長い沈黙の後、叔父は目を伏せて長く息を吐き出す。
「全く……馬鹿な真似をしてくれたものだ」
ソファに身を沈めて天井を仰いだ叔父は、腹の上で手を組んだ。
呟く声には苦々しさが込められている。
「宰相や将軍は、相変わらず遠ざけられたままか。彼等が傍にいてくれたら、国王の暴走を止められたかもしれないのにな」
「国王は魔王に固執しております。お二人が進言しても、聞く耳を持たなかったでしょう」
ラプターが強国としての体裁を保てていたのは、側近達の力によるところが大きい。それを理解しているからこそ国王も、側近の話には比較的耳を傾けていたように思う。
しかし、魔王に関する事は別だ。
いくら苦言を呈しても、聞き入れられない。
それどころか目障りだと、有能な側近達は遠ざけられてしまった。
「くだらない。魔王なんて手に入れても、持て余すだけだろうに」
吐き捨てるような叔父の言葉に、私は軽く目を瞠る。
『魔王』という名は世界中に知れ渡っているが、殆どの人間にとってはお伽噺の中の悪役に過ぎない。
夜更しする子供を寝かし付ける為の脅し役。遠い過去の話ですらなく、ただの作り話の中だけの存在だ。
我が国では何故か悪役ではなく、失われかけた命を救う役割で描かれる事が多いが、それだけの差。魔王が実在すると信じているのは、おそらくごく少数。国王と、幼い子供くらいのものだろうと思っていた。
だが今の叔父の発言は、魔王の存在そのものを否定していない。存在を肯定した上で、不要と言っているように聞こえた。
不機嫌そうに眉を顰めていた叔父は、ふと私の顔を見る。疑問が表情に出ていたらしい。数秒考えた後に叔父は、「ああ」と何かに思い当たったように短く呟いた。
「そういえば、君は王女だから知らないのだね。ラプターには王族の男子だけに教えられる古い伝承が存在するんだ」
「……それは、私が聞いても宜しいのですか?」
「伝承なんて仰々しい言い方をしているが、どこまで本当なのかも分からない妄想の類だと僕は思っている。でも一応は、ここだけの話にしておこうか」
叔父は軽い口調で話し始めた。
「妄想?」
「ああ。ラプター王家は、魔王の血を継いでいるというとんでもない妄想だ」
呆気に取られた私の口から、「は」と気の抜けた音が洩れる。予想外なんてものじゃない。欠片も想像していなかったところに、話が飛んだ。
遥か昔、私達の祖先である一族の長が病に倒れた。
不治の病で余命僅かだと悟った長は、神に縋り、どういう手段を用いたのかは不明だが、魔王の依代となる。
そうして健康な体と強大な力を手に入れた長は、周辺の有力な部族を残さず一掃して、ラプター王国を建国した。
残念ながら世界を統一する前に封印されてしまったが、彼の子が次代の王となり、魔王復活を夢見て伝承を残した……らしい。
叔父の話を頭の中で簡単に纏めた私は、額に手を当てて項垂れた。
「……お待ち下さい」
比喩ではなく頭痛がする。
魔王が実在すると仮定しても、おかしな点が多すぎた。
私の様子を眺めていた叔父は、同調するように苦笑を浮かべる。
「だから妄想だと言っただろう。願望と言い伝えが混ざり合って、既に原形をとどめていないのではないかな?」
「左様でございますか」
声に疲れが出たが、取り繕う気も起きなかった。
我が国の始祖は、自我を保ったまま魔王の依代となった。そして、その子孫である王家の人間ならば魔王の制御も可能だと、国王はそう考えているという事か。
その強大な力を使い、世界を手にしようと。
「そこまで聞いて、君はどう思う? 魔王は必要かい?」
「不要ですわ」
即答すると、叔父は満足そうに頷いた。
「その伝承が全て事実だとしても、制御できるという根拠はなに一つ明記されていないではありませんか。手に入れても身を滅ぼすだけです」
「僕も同感だ。そんな危険物をネーベルが保管してくれるというのなら、永遠に預けておけばいい」
合理主義である私達の意見は一致した。
いかに壮大で浪漫溢れる話であっても、利益がないと分かったのなら続けても意味がない。使い方の分からない武器などゴミ以下だ。
「では無駄話はこの辺にして、もっと有意義な話をするとしようか」
「そうですわね。私達に残された時間はあと少し。民が凍え、飢え死ぬ前に決着をつけなければなりません」
民なくして国は成り立たない。
愛だの慈悲だのの話ではなく、民が飢えて死ねば国もいずれ死ぬ。貴族だけ生き残っても、働く人間がいなくなれば終わりだ。
「首を挿げ替えるのは決定事項として……協力者を増やすのが先か」
ソファの背凭れから身を起こした叔父は、乱れていた前髪を掻き上げて後ろへと流す。現れた瞳にさっきまでの空虚さは無い。
「宰相や将軍と話がしたいが、不用意に僕が近づけば国王は警戒するだろうな」
短絡的な愚王であっても、己の権力を脅かす者への牽制は怠らない。叔父はその最大の被害者である為、よく理解しているのだろう。
「私がまず接触致しますわ。宰相閣下のご息女とは面識がございますの」
「では、そちらは任せよう。筆頭公爵であるイッテンバッハ公には、僕が会いに行く。頭は固いが話の通じない人ではない。交渉次第では引き込めるだろう」
イッテンバッハ公と聞いて、気難しい老人の顔が思い浮かび、私は眉を顰めた。
「あまり危ない橋を渡るのはお止めください」
「心配してくれるのかい?」
私の懸念を理解しているだろうに、軽口を叩く叔父を睨みつける。
「ええ、私自身を心配しております。殿下の軽率な行動は、私の破滅にも繋がるのですから」
心中するのは御免だと言外に言えば、叔父は肩を竦めてみせた。
「僕だって命は惜しい。でも、多少は無茶をしなければ間に合わなくなる」
「だとしても、殿下が倒れたらこの国は終わります。もっと慎重に動いていただかなくては」
「では、取引に使える手札を仕入れて参りましょうか」
叔父と私の会話に、男の声が割って入る。
声の方向を見ると、バルコニーへと続くガラスの扉が開いていて、その横の壁に背を預けるようにして何者かが立っていた。
暗色の外套を頭から被っている為、顔は見えない。
しかし体付きと声で、若い男だろうと推測出来た。
さっきまで気配をまるで感じなかった。
おそらく密偵か、暗殺者。
不躾に会話に割って入ったのだから、叔父の子飼いの密偵の線は消えた。かといって、私達が標的ならば声をかける訳もない。
現状に危機感を覚えた貴族の密偵か。いや、探るまではしても接触は本人がするだろう。だとしたら、もしや。
「もしかして君はネーベルの密偵かな?」
叔父は私と同じ結論を出したようだ。
問いかけた声は平時のままで、欠片も動揺が含まれていなかった。
「ネーベルからの接触を待ってはいたけれど、そう簡単に潜入されると複雑な気持ちになる。王城の警備は相当、杜撰らしい」
叔父は困ったように眉を下げ、苦笑する。
落ち着いた様子の男を眺め、少し考える素振りを見せた。
次いで、何かに思い当たったような表情をする。
「そういえば、国王が優秀な手駒に裏切られたと激昂していた事があったな。珍しく気に入って重用していたようだから、余計に許せなかったようだが……もしや君がそうか?」
叔父の言葉に、密偵らしき男は返事をしない。
ただ外套の影から覗く口元は、薄く弧を描いていた。
「なるほど。それなら城の構造も兵士の配置も、分かって当然という事か」
叔父の言葉が事実ならば、この男は危険だ。
しかし、ネーベルとの橋役に手を出す訳にはいかない。
そもそも、既に情報は全てネーベル王国に渡っているだろう。
この男一人始末しても、何も変わらない。寧ろ事態が悪化するだけ。
従う以外に、生き残る道はない。
「……ネーベルの国王陛下は、素晴らしいお方ですのね」
喉元に刃を突きつけて、助けてやるから命乞いしろとは。
ネーベル国王は人格者だと聞いていたが、性格が良いという訳ではなさそうだ。少なくとも、あの素直で裏表のなさそうな王女とは似ていない。
「手助けは不要でしたら、このまま大人しく帰りますよ」
男は世間話のような調子で、飄々と告げる。
「民に罪はないと心を痛めるでしょうから、一度だけ手を伸ばしたに過ぎません。拒まれたのなら、それまでです」
主語はない。それでも私と叔父の思い浮かべた人物は同じだっただろう。
ネーベル王国の逆鱗であり、至宝と呼ばれる少女。
「抗うのも、衰退の道を選ぶのも、貴方達の自由です。……オレとしては、地図上から綺麗サッパリ消えてくれた方が嬉しいですし」
男は、ぞっとするような声音で言い捨てる。
それなのに口元に笑みが浮かんだままである事が、余計に不気味だった。
目の前にいる存在が、正体不明の化け物のように見えて酷く恐ろしい。
「……一応抗いたいのでね。力を貸してもらえるかな」
苦い声で言った叔父に、男は是と頷いた。




