転生王女の突撃。(3)
膝を抱えて座り込んでいた私だったが、ふと我に返る。
ここはレオンハルト様の執務室だ。クラウスが見張ってくれているとはいえ、いつ誰が訪れるか分からない。それに何より、レオンハルト様が起きてしまったらまずい。
さっさと退散しなければ。
そう思うのだけれど、上手く立ち上がれない。よろよろ、ふらふらと体が揺れる。生まれたての子鹿の如き有様だ。
壁に手をつきながら、なんとか体勢を整える。
こんな情けない姿をクラウスに見られたら、なんて言われるか分からない。
どうにか平常心を取り戻さなければと、深呼吸を数回、繰り返した。
頬に手を当てて、熱が引いたのを確認する。
もう一度深呼吸をしてから、内側からそっと扉を叩いた。
ゆっくりと扉が開き、「今なら大丈夫です」と小声で促されるのに従い、静かに部屋を出た。
「見張っていてくれて、ありがとう」
「いえ。用事は……」
お済みになりましたか、とたぶん続くはずだったんだと思う。
しかし言葉は不自然に途切れた。私の方を向いたクラウスの笑顔が凍りつく。
こ……こっわ!!
思わず、「ひぇ」と引き攣った悲鳴が洩れる。
それくらい、クラウスの顔は怖かった。
目をカッと見開いたまま無表情で見下ろされる恐怖と言ったら、筆舌に尽くし難い。いつも爽やかな笑顔だから差が際立って、余計に恐怖を煽る。
人でも殺しそうな顔しているんだけど何で?
ていうか、瞳孔開いてないか?
「く、クラウス……?」
恐る恐る声をかけるが、返答はない。
チャキ、という硬質な音が鳴り、視線をそちらへ向けると、クラウスは腰に佩いた剣の鍔を親指で押し上げていた。
ちょ、まままま待って!! なんだか知らんが待ってぇええええ!
「クラウスっ! ここ、城! 城の廊下!」
手をぶんぶんと振りながら、なんとか剣を抜くのを止めさせようとする。カタコトになっているけど知ったことか。
慌てふためく私を無言で眺めていたクラウスは、数秒の間をあけて、今度はにっこりと笑った。しかし、細められた目は全く笑っていなくて、余計に怖い。
「貴方様に仇なす不忠者は、誰であろうとも容赦致しません。獅子だか狼だか知りませんが、己の理性一つ飼い慣らせない獣は、今すぐ処分してしまいましょう」
背筋が凍るような完璧な笑みと、つらつらと淀みなく紡がれる低い声に圧倒されていた私だったが、内容を理解してから目を丸くする。
「えっ?」
クラウスが言う獅子とは、おそらくレオンハルト様の事だろう。
彼が不忠者だとか、私に仇なすとか、意味が分からない。
ぽかんとした私にクラウスは手を伸ばす。
「……御髪が乱れております」
とても不機嫌そうな声で言いつつ、クラウスは私の髪を整える。
言われた言葉が脳に浸透し終えると共に、私の顔は瞬時に沸騰した。
「……っ」
抱き締められた記憶が鮮明に蘇り、赤くなった顔を隠すように両手で覆う。
「やはり処しますか」
人でも殺してきたのですかと問いたくなるような凶悪な顔で、クラウスはボソリと呟く。
「止めて!? な、何もなかったから、剣を収めて頂戴」
「しかし……」
「なかったと言っているの」
重ねて言うと、クラウスは溜息を吐き出す。
剣の鞘と鍔が合わさる音がして、「かしこまりました」とクラウスは答えた。その前に、チッと舌打ちが聞こえた気がしたが、気の所為だと思っておこう。
いつまでも廊下で問答していては誰かに見つかりかねないので、さっさと退散する事にした。自室へと戻る途中で、ふと思いつきルートを変更する。
「不眠に効く薬?」
久しぶりに会ったクーア族の皆は、私を温かく出迎えてくれた。
書類整理をしているヴォルフさんを手伝いながら用事を伝えると、彼はパチパチと瞬いた。
「アンタ、眠れていないの?」
作業の手を止めたヴォルフさんは、私の方へ身を乗り出す。頬を両手で挟まれて、親指で目の下を押さえて眼球を覗き込む彼は、お医者さんの顔をしていた。
「私じゃないんです」
野性味の強い美貌が間近に迫り、私は慌てて身を引こうとする。でも顔を固定されているので失敗に終わった。
「じゃあ誰」
「……えっと」
目を合わせたまま問われて、私は口籠る。疚しい事なんて無い筈なのに、つい視線を彷徨わせてしまう。
ヴォルフさんは、私の様子を見て何かを察したように目を眇めた。
至近距離でじっと見つめられて居心地の悪さを感じていると、ヴォルフさんと私を引き離す形で、クラウスが間に入った。
「近い」
「相変わらず優秀な番犬ね」
端的に告げて睨むクラウスに、ヴォルフさんは肩を竦めて苦笑した。
「そこの兄さんが不眠になるとは思えないし……もしかして、あの色男かしら?」
あの色男も、そんな繊細そうには見えなかったけど、と付け加えるヴォルフさんに、私はなんと答えていいのか分からなかった。
色男だけでは、レオンハルト様の事だと判断するのは早計。
でも、おそらくは十中八九正解だろう。ヴィント王国の辺境の村で、一応二人は会っているし。それに私の恋心は各方面にバレバレらしいし。
赤い顔で黙り込む私を、ヴォルフさんは黙って見ている。
今日一日で何度も赤面しているのだから、そろそろ落ち着いてもいいのに。すぐ顔に出る自分が情けない。
「……面白くないわー」
腕組みをしたヴォルフさんは、不貞腐れた子供みたいな顔で呟いた。
「純粋で純情なうちの主人が、あんな百戦錬磨っぽい色男の毒牙にかかるなんて。騙されて泣かされるんじゃないかと心配で見ていられない」
「そんな人じゃありませんよ」
どうだか、とヴォルフさんはそっぽを向くけれど、本気で言っている訳ではなさそうだ。
病が蔓延している村にやってきて、共に働いていたレオンハルト様が、悪い人ではないとヴォルフさんも知っているだろうし。
「今は優しくても、結婚したら豹変する男だっているのよ」
「けっこん……」
忠告は耳を素通りして、都合の良い単語だけ拾う私に、ヴォルフさんは苦虫を噛み潰したような顔になった。
「心配だわ……。アンタがお嫁に行く時には、嫁入り道具に紛れてついて行っちゃおうかしら」
溜息と共に吐き出された言葉に、私は吹き出しそうになった。
何故だ。何故私の嫁入り道具が、私の意思とは関係ないところで増えていくんだ。
私が知らないだけで、嫁入り道具という言葉には色んな意味があるのか? なんかの隠語だったりする?
市井では鉄板のジョークか何かなのか。
「……嫁入り道具になるのって、最近の流行りだったりします?」
「は? どんな流行よ、ソレ」
私が聞きたいと心の中でぼやきつつ、「ですよねー」と乾いた笑いを洩らした。
「変な子ね」
ヴォルフさんは不思議そうに首を傾げつつ、席を立つ。戸棚へと近付いた彼は、小さな紙袋を手に取った。
「マリー」
「えっ、わわっ」
ぽん、と軽く投げ寄越された物を、なんとかキャッチする。
紙袋は予想以上に軽く、揺らしても乾いた音が微かに鳴るだけだ。
「それ、リリーが調合したお茶よ。寝る前に飲むと、良く眠れるって評判なの」
ぽかんとした後、手元とヴォルフさんを交互に見る。
ヴォルフさんは、きまり悪そうな顔で視線を逸した。
「ありがとうございます!」
「……お礼なら、後でリリーに言って頂戴」
「はいっ」
リリーさんは甘いものが好きだから、後でクッキーを焼いて差し入れがてら、お礼に行こう。どうせなら沢山焼いて、クーア族の皆で食べてもらいたい。
……レオンハルト様にも、お茶を渡すついでに差し入れてみようかな。
善意半分、下心半分。近い未来の幸せな予定を思い浮かべ、私は小さく笑った。




