転生王女の突撃。
活動報告にてお知らせを更新しました。
お時間ある方は目を通していただけると幸いです。
あれから、レオンハルト様と会えていない。
誤解を解きたいと思っても、会えなければ無理な訳で。
それに何をどう話すのかも、決まっていない。
怖かったから震えてたんじゃないんです。発情してました! って?
痴女じゃん! 控えめに言っても変態じゃないか! 無理、却下!! レオンハルト様に軽蔑されたら生きていけない!
恥ずかしさのあまり、腰掛けたソファに拳を叩き込もうとした私は、ギリギリで留まった。握りしめた拳を解き、視線を端へと向ける。
真っ黒な毛並みの猫は、ソファの上に置かれたラタンの籠の中で丸まっていた。
そう。愛猫ネロが、私の元へと戻ってきたのだ。
「ネロ」
籠を覗き込んで、小さな声で呼ぶ。
特に反応はなく、微かな寝息に合わせて腹の辺りが上下している。
怪我はもう問題ないらしいけれど、まだ本調子じゃないのか、殆ど寝て過ごしている。
でも、帰ってきてくれただけで嬉しい。
そっと毛並みを撫でると、ピクリと体が揺れた。
片目が開き、億劫そうな動作で顔をあげる。室内だからか、いつもより濃い青の目が私を捉えた。しかし、興味を失ったのか、瞳はすぐに閉じられる。
煩わしいとでも言いたげに身を捩ると、私に背を向けてしまった。
人の手によって傷付けられたのだから、警戒されるのも仕方ないのかもしれない。寂しくても、時間をかけた方が良さそうだ。
もしかしたら、怪我した場所に触っちゃった可能性もあるし。
「ごめんね」
傍にいては、ゆっくり休めないだろう。
図書室にでも行こうかと、ソファから立ち上がる。
もう一度視線を向けるが、ネロは全くこちらを見ない。
仕方ないって自分で言い聞かせたばっかりなのに、なんか無性に悲しくなって、つい溜息が零れる。
レオンハルト様に会えないし、ネロには嫌われるしで踏んだり蹴ったりだ。
「……ローゼマリー様」
「!」
呼ばれて我に返る。
俯いたまま立ち尽くしている私をどう思ったのか、クラウスが気遣うような目で見ていた。
「図書館に行こうと思うの。ネロが寝ているみたいだから、静かにね」
笑って誤魔化すと、クラウスは難しい顔で黙り込む。
暫し考え込んでいた様子だった彼は、何かを決意したような表情で顔を上げる。
ゆっくりと口を開いたクラウスの思いがけない提案に、私は目を丸くして数秒固まった。
それから十数分後。
私は城内にある一室の前に立っている。
重厚なマホガニーの扉を見つめたまま動けずにいる私を、小声で「ローゼマリー様、お早く」とせっつくのは護衛騎士であるクラウスだ。
そして私が凝視している扉は、近衛騎士団長の執務室。即ち、レオンハルト様の仕事部屋の入り口である。
何故、こうなったのか。
それはクラウスの提案に端を発した。
『団長に会いに行きましょう』と彼は言った。
クラウスの情報によると、今頃の時間帯、花音ちゃんはイリーネ様の講習を受けているそうだ。花音ちゃんの力は魔力ではないものの、力の使い方は似ているらしいので、魔導師長であるイリーネ様が適任であると判断された模様。
そしてその時間を使って、レオンハルト様は溜まっている通常業務を捌いているとの事。
つまり執務室にいる可能性がかなり高いって事だけど……。
職務に忠実なレオンハルト様のところへ仕事中に行っては、迷惑なんじゃないかと、私は尻込みした。
邪魔をしたくないという建前を口にしつつも、本音は煩わしいと思われたくないだけ。
でもクラウスは、誤魔化されてはくれなかった。
『会いたくありませんか?』とシンプル故に逃げ場のない質問をされ、私は覚悟を決めた。だって、会いたくない訳がない。いつだって、私はレオンハルト様の傍にいたいのだから。
とはいえ、王女である私が近衛騎士団長の執務室に用事なんてある筈もなく。
もし誰かに見られたら、レオンハルト様に迷惑がかかるかもしれないという懸念があったので、人目に付きにくいルートを選んでコソコソとやってきた。
そして到着したのはいいものの、怖気づいている。今ココです。
「ローゼマリー様」
「わ、分かったわ」
半目のクラウスによる「早くしろ」と言う圧力に負け、深呼吸してから控え目に扉をノックする。
「…………」
いくら待っても、返事がない。
もう一度、今度はさっきよりもハッキリと扉が鳴った。しかし応答はない。
「留守?」
落胆と安堵。半々の気持ちで呟くと、クラウスは頭を振った。
「いえ。いるはずなんですが……もしかしたら、隣接する部屋で仮眠をとっているのかもしれませんね。最近は、夜遅くまで仕事をされていたようですし」
言われて思い出すのは、レオンハルト様の青褪めた顔と目の下の隈。
寝不足なのは間違いないだろう。
「じゃあ、尚更お邪魔する訳には……」
「私はここで見張っていますね。人が来たら適当に対応しておきますので、三十分程度でしたら確保出来るかと」
クラウスは私の言葉を遮って、淀みのない声で続ける。
懐から懐中時計を取り出して時間を確認した彼は、扉を開けて私の背を押す。
「えっ、ちょ……っ?」
「お早めにお戻りくださいね」
戸惑う私の前で、重厚な扉はバタンと閉まった。
クラウスの強引さに、私は開いた口が塞がらない。
以前から私の話を聞いてくれない傾向はあったけれど、いつもとは違う方向性で意見を無視された気がする。
でも、もちろん怒りはしない。
クラウスの行動は、間違いなく私の為のものだったからだ。
落ち込んでいる私を見ていられなくて、手を貸してくれたクラウスに感謝こそすれ、恨むなんて有り得ない。
ありがとう。でもちょっと心の準備をさせてほしかったと思いつつ、私は小さく笑った。
初めて入った執務室は、主人の好みを反映するように落ち着いた色合いで統一されていた。華美な装飾は一切なく、本棚や執務机、時計など必要最低限のものしかない。
机の上には積み上がった書類の山が二つ。おそらく、決裁済みと未決裁に分けられているのだろう。短時間で戻るつもりなのか、羽根ペンとインク壺が出しっぱなしになっていた。
そして分厚い本がぎっしり詰まった本棚の横には、扉が一つ。
クラウスの予想が正しければ、ここにレオンハルト様がいるはず。
なんの変哲もない扉を上から下までじっくりと眺め、ゴクリと喉を鳴らす。
逃げ出したい気持ちを無理やり押さえ付けて、ゆっくりとドアノブに手をかけた。
「……お邪魔します」
蚊の鳴くような声で言いながら、ドアを開ける。
極度の緊張により手が震えているせいで、カタカタと小さな音が鳴ったけれど、中から反応はない。
開けたままの姿勢で往生際悪く固まっていた私だったが、勇気を振り絞って部屋の中を覗き込んだ。
薄手のカーテンを閉めているからか、室内は薄暗い。
シンプルな木製のコートハンガーには、放り投げたように無造作な状態で騎士団の上着が辛うじて引っかかっている。
狭い部屋の中にはベッドはなく、窓際にソファが置いてあるだけだ。
そしてそこに長身の男性が一人、横たわっていた。




