転生王女の悪報。(2)
頭が痛い。
額を押さえながら俯くと、母様が心配そうに覗き込む。
「ローゼ、具合が悪いのなら横になる?」
「ありがとう、母様。大丈夫です」
世話を焼いてくれようとする母様を手で制し、不格好な笑みを浮かべた。
たぶん引き攣っているけれど、そこは見逃してほしい。
ぶっ倒れて、そのまま現実逃避したいけれど、何の解決にもならない事は分かるのでしない。
ちらりと父様を見ると、相変わらず何を考えているのか分からない顔をしていた。
重大な発表ならそれなりの表現をしてくれと思ったが、父様にそれを求めるのは無謀というものだろう。
「……分かりました」
長い溜息を吐き出すと、神子姫の肩がビクリと大きく揺れた。
彼女を責めるつもりはなかったのに、結果的に威圧してしまっている状況に気付いた私は、慌てて頭を振った。
「フヅキ様、顔を上げてください。貴方のせいではありません」
出来るだけ優しく語りかけたつもりだったけれど、神子姫は食べられる直前の小動物みたいにプルプル震えている。涙目で私を見る彼女に、罪悪感が刺激された。
かわいい……ではなく、可哀想に。
こんなに怯えて、父様に何を言われたのか。
神子姫の隣に立つ父様を軽く睨むと、彼の眉間のシワが増えた。
「敵の侵入を許した我が国の手落ちですのに、フヅキ様を責めたのですか?」
「違っ、誰にも責められていません! でも、わたしのせいなんです! 私が……」
答えたのは父様ではなく、神子姫だった。
必死に訴える彼女は、そのまま過呼吸とかで倒れてしまいそうな危うさがあってハラハラする。
手を伸ばして、神子姫の右手にそっと触れる。
落ち着いてと宥める気持ちで彼女の手を軽く握ると、神子姫は目を瞠る。大きな目が潤んで、目尻に涙が浮かんできた。
それを懸命に手の甲で拭いながら、神子姫は口を開く。
「いつもは立派な箱に入れていたのに、勝手に袋へ移し替えちゃったんです。寝る時も身につけていたら、もっと早く消滅するかなって思って」
なるほど……。
あの夜、首から下げていた袋に入っていたんだね。逃げる時に転んでいたから、割れたとしたらそのタイミングだろう。
「わた、私が、とんでもない事を……」
「貴方のせいではありません」
震える声を絞り出す神子姫を見上げて、もう一度繰り返す。
「これは不幸な事故です。それに責任は、貴方を無理やり呼び寄せた我が国にあります」
手を軽く引くと、神子姫はゆっくりと私へ近付く。
大きな瞳からほろりと零れ落ちる涙を拭ってから、安心させる為に笑いかけた。
「怖かったでしょう? もう我慢しなくても、大丈夫ですよ」
「っ……!」
息を吸い込む掠れた音がした後、神子姫の顔がくしゃりと歪む。
両腕を広げた神子姫は、私にしがみつくみたいに抱きつく。
唐突に抱きしめられて驚いたけれど、子供のように泣く神子姫をどうして引き剥がせようか。
細い肩を小さく震わせて、しゃくりあげる彼女の背を、私はそっと撫でた。
神子姫の肩越しに見えた父様は、呆れ顔ではあったが黙ったまま見守っている。
そして母様は微笑ましいものを見るような目で私達を見てから、父様に向き直る。
「これで疑いは晴れまして?」
「まだ判断は出来ん。暫く様子を見る必要がある」
なんの話だろうか。
父様と母様の話には主語がなくて、本筋が見えない。
疑問顔を向けている私に気付いた父様は、ふ、と息を吐き出す。
「石が割れたと言っただろう」
「……? はい」
それはもう聞いたと目で訴えると、呆れを表すように薄青の瞳が細められた。
「そして割れた時に、一番近くにいたのはお前だ」
神子姫が転んだ時に割れたのなら、当人である神子姫を除くと確かに私が一番傍にいた事になる。
で、何が言いたいのかと考えるまでもなく、思い当たった。
「……なる、ほど」
呟く声は、動揺に掠れていた。
石が割れた、つまり魔王の封印が解かれたとなると、次の問題は『誰が器となったか』だろう。
そして、割れた時に傍にいた私の中に、魔王がいる可能性もある。否、現時点で一番可能性が高いと言っても過言ではない。
それで父様と母様は、やたらと私の体調を気にしていたのか。
夢を見たかって聞かれたのも、その一環というか、手がかりを探る感じなのかな。
冷静に考えようとしてはみるものの、正直、頭がパンクしそう。
自分の中に魔王がいるかもなんて、考えた事もなかった。もし……もしも、本当にそうなってしまったら、どうしたらいいんだろう。
私の意識は残るのだろうか。
侵食されて消えていくのかと考えるだけで、背筋が凍る。消えるのは怖い。それに、私の体が私の大切な人達を傷つけるのも、すごく怖い。
大切な仲間も、友達も、家族も、私が傷つけるの?
『姫君』
レオンハルト様の笑顔が思い浮かんで、胸が軋むような痛みを覚える。
私はレオンハルト様の事も、殺そうとするのかな。
そしてレオンハルト様も、私を殺そうとするんだろうか。
レオンハルト様に剣を向けられる想像をするだけで、息が止まりそうになった。
「だいじょうぶ、です」
ぎゅうっと私の両手を握り、神子姫は言った。
泣いたせいで充血した目が、真っ直ぐに私を映す。
「貴方は、魔王になんかなってない」
「フヅキ様……?」
「だって、私が抱きついても大丈夫だったでしょう? 魔王だったらたぶん、私の事を嫌がると思うんですよ!」
お、おう?
神子姫の勢いに気圧されながら、私は釣られるように頷く。
神子姫の必死な訴えをまとめると、どうやら彼女が私の元へ連れてこられた目的はこれだったようだ。
私が魔王の器となっていたら、天敵である神子姫を拒絶するんじゃないかって事らしい。
ただ、封印の解かれた魔王にとって神子姫との直接的な接触が、どれ程の効果があるか分からないので、すぐには判断がつかないと。
それで父様は、様子見だと言っていたんだな。
「あっ! それとも、もしかして嫌でした!?」
神子姫は青くなって、体を離す。
私は咄嗟に否定して、首を大きく横に振った。
「嫌ではありません! 良い匂いがしました、し……」
いやいやいや、これはアウトでしょ。変態だもん。王女の皮を被った変態の発言だもん。
否定しなきゃと焦るがあまり、言葉を取り繕えなかった。欲望ダダ漏れのセリフがぽろりと零れてしまったが、もう取り返しはつかない。
恐る恐る神子姫を見ると、大きな目が真ん丸に見開かれている。目尻に残っていた涙が一粒、ぽろりと零れ落ちた。
柔い頬から耳まで、サァっと一瞬で赤く染まっていく。
ふっくらとした唇が、空気を食むように何度か動いた。
鮮やかな変化に見惚れていた私は、派手に響いた手を打つ音を聞いて我に返った。
音のした方を見ると、苦い顔をした父様と目が合う。
「ひとまず、お前の状態に問題がなさそうなのは分かった」
「……はぁ」
気の抜けた返事をすると、父様は更に苦い顔になる。しかし何も言わずに、神子姫へと話しかけた。
「フヅキ殿。協力、感謝する。もう確認は終わったので、離れてもらって構わない」
「えっ、あっ、ひゃいっ!」
真っ赤な顔の神子姫は、飛び退くように私から離れる。
そろそろと後退る動きは、何故かぎこちない。油切れのブリキロボットみたいだ。
そのまま退室しようとする神子姫の後に、父様は続こうとして足を止める。
私をじろりと睨んでから、小さな声で「誰彼かまわず誑かすのは止めろ」と告げた。
「……は?」
「普段は物分りのいい大人の顔をしているようだが、アレは案外、お前に関する事は狭量かもしれんぞ。あまり振り回すな」
「……意味が分かりません」
さっきから、主語を抜いて話すのを止めてほしい。意味が分からない。アレってなにさ。
私が一体、何をしたっていうんだ。
レオンハルト様以外を、誑かすつもりも、振り回すつもりもないぞ。
立腹する私を放置し、父様は神子姫と共に部屋を出ていった。




