転生王女の悪報。
閉じた目蓋越しに光が差し込む。
眩しさに、急速に意識が浮かび上がった。手をかざして遮ったソレは、朝日なんて生易しいものではない。
うっすらと目を開けると、カーテンの向こう側の太陽は随分高い位置まで昇っていた。昼前くらいだろうか。随分と寝過ごしてしまったようだ。
良く寝たお陰か、頭はすっきりしている。
昨日まで悩まされていた頭痛もなく、気持ちのよい目覚めだ。
もう起きなくちゃとは思うのに、微睡んでいるのが気持ちよくて体を起こせない。もうちょっとだけ、と誰に言うでもない言い訳を心の中で呟く。
寝返りをうつと、ふわりと柔らかなものが触れた。
「……?」
寝ぼけた頭で、柔らかいものの正体を考えるが思い当たらない。
ふわふわと柔らかくて、温かい。それに、とっても良い匂いがする。
すん、と鼻を鳴らしながらすり寄ると、何かが髪を撫でる。そっと抱き寄せるそれが誰かの手だと気付いて、私はぱっちりと目を開けた。
目の前に迫っているのは、豊かな谷間。夜着の襟ぐりから覗く白い肌が眩しい。身動ぐとふるりと揺れる二つの山は、私が憧れてやまないものだ。
恐る恐る視線を上げると、細い首筋と形の良い顎。ふっくらとした唇は、口紅を塗っていないのに紅く目の毒だ。通った鼻梁に、綺麗なラインを描く柳眉。長い睫毛に縁取られた青い瞳が、じっと私を見つめている。
起き抜けだからか少し潤んだ目は、キラキラと宝石の如く輝いていた。
「……おはよう、ローゼ。具合はどう?」
掠れた声は、私が男だったら鼻血ものだったと思う。
朝から色気をこれでもかとばかりに垂れ流している美女に、私は目を見開いた。
昨日のあれこれは夢ではなかったのは、嬉しいんだけど。
でもさ……。
「母様、なんで一緒に寝ているの?」
私が聞くと、母様は不思議そうな顔で首を傾げた。
「当たり前でしょう」
「あ、当たり前って……」
「一人で寝ていて、体調が急変したらどうするの。それよりも、熱は?」
母様は前髪を搔き上げて、額と額をこつりと合わせる。
幼い子供のような扱いに、私は戸惑う事しか出来ない。小さい頃だって、こんな風に看病された記憶はないけれど。
「下がっているわね。良かったわ」
間近にある美貌が、ふわりと緩む。
目を細める母様は、女神様みたいに綺麗だった。
ふわふわと笑っていた母様は、ふと何かを思い出したみたいに真剣な顔になる。
私の頬を両手で包んで、瞳を覗き込んだ。
「ローゼ?」
「はい?」
「昨夜は何か、怖い夢を見なかった?」
夢?
母様の言葉を鸚鵡返しして、首を傾げた。
思い返そうとしても、特に記憶に引っかからない。
父様と母様が来る前は、長い夢を見ていた気がするけれど……内容は覚えていないし。母様に手を握ってもらってからは、気持ちよく眠れていた。
「見ていないと思う」
「体におかしなところはない? どこか痛かったり、苦しかったりは?」
喉はまだヒリヒリするけれど、昨日よりは楽になった。頭痛も吐き気もないし、一晩でかなり回復したようだ。
「大丈夫」
返事をすると、母様は安堵の息を零した。
「そう」
どういう意味なのかと考えていると、ドアがノックされた。
身を起こす母様につられて、私も起き上がる。「お会いしたいと……」と困ったように告げる護衛は、いつかの夜を思い出させた。
そうして私達が誰何する前に、扉が躊躇いなく開く。
「邪魔をするぞ」
夜着のままの王妃と王女に申し訳無さそうな顔をするでもなく、堂々とした態度の人物は、想像通り父様だった。
そういえば、母様が夢じゃなかったって事は、父様も現実だったんだよね……。
整いすぎた顔をぼんやり眺めていると、私の肩に母様が手を置く。
細い手が私を抱き寄せる。目を丸くして見上げると、母様は真剣な顔で父様を見つめていた。
「……?」
驚きに、言葉がすぐには出てこなかった。
母様の目つきは鋭く、とてもじゃないが会えて嬉しいというものではない。子猫を取られまいと牙をむく母猫のような様子に、私は唖然とした。
父様は、やれやれと言いたげな顔で息を吐く。
「なにもとって喰おうという訳ではない。そう威嚇するな」
「ならば私も同席させてくださいませ」
「元よりそのつもりだ。二時間ほど経ったら、また来る。それまでに支度を済ませておけ」
父様と母様の会話は、私には全く意味が分からない。でも当人同士には通じ合っているようで、話はすぐに終わった。
訳が分からないと目で訴える私に、父様は手を伸ばす。汗で張り付いた前髪を上げ、大きな手が額に触れた。
「熱は下がったようだな。気分は?」
「良いです」
「そうか」
返す父様の声は淡々としているが、手付きは昨夜と同じく優しい。
何故か「体に異常はないか」とか「なにか夢は見なかったか」とか、母様と同じような質問をされて、一つ一つ答えを返した。
「ならいい」
私の乱れた前髪を指で直してから、父様は背を向けた。
一体、どうしたんだろう。
父様も母様も、何を心配しているの?
「ローゼ」
父様の背中を見送っていた私の意識を引き戻したのは、母様の呼びかけだった。
「着替える前に、体を拭きましょうか。汗をかいて気持ち悪いでしょう?」
「お風呂は……」
「駄目よ。今は熱が下がっていても、完全に治った訳じゃないわ。お風呂は明日以降にしましょうね」
聞き分けのない子供を宥める口調で言われ、力なく項垂れる。
かなり汗をかいたのでお風呂でさっぱりしたかったけれど、仕方ない。小さく頷くと、母様は笑顔で私の頭を撫でた。
なんか、幼子のような扱いをされているのが気恥ずかしい。でも嫌ではないのだから、複雑だ。
ベッドから下りた母様は、侍女達に色んな指示を出している。
お湯と布だけでなく、食事を用意するようお願いしているみたいだ。
それからのんびりと支度を済ませた私達の元に父様がやってきたのは、約束通り、ちょうど二時間経過してからだった。
父様に続いて入ってきた神子姫の姿を見て、私は驚く。
神子姫は、酷く居心地悪そうに周囲をキョロキョロと見回していたが、私の姿を見つけると目を輝かせる。
頬を紅潮させた彼女は、私に向かって駆け出そうとした。
「あのっ!」
「フヅキ殿」
しかし父様の低い声に呼ばれ、ぴたりと足が止まる。
恐る恐る父様を見上げた彼女は、冷えた視線を受け止めて、しゅんと項垂れた。
ベッドの上で上半身を起こした私の方へと、二人はやってくる。
そしてベッドの傍に立つ母様は、私を二人から庇うように立った。
「まだ体調が思わしくありませんの。手短にお願い致しますわ」
「すぐに済む」
呆れ顔の父様は、母様にそう返してから私を見た。
「お前が倒れている間に、面倒な事態になった」
「面倒な事態?」
父様の言葉に、首を傾げる。
すると父様は眉を顰めて渋面を作った。
「ああ。石が割れた」
「…………え?」
あっさりとした返答に、理解が追いつかない。
きょとんと目を瞠ったまま、言葉を頭の中で繰り返す。
イシガワレタ……石が、割れた?
石と言われてすぐに思い浮かぶのは、とても物騒なものなんだけど。
え、違うよね? 違うと言って。
「石が、割れた? ……嘘、ですよね?」
顔を引き攣らせながら私が言うと、父様の隣にいた神子姫が、居た堪れなくなったかのように顔を覆う。
さっきから嫌な予感しかしない。
なんか熱がぶり返してきた気さえする。
「残念ながら、事実だ」
淡々とした父様の声が、酷く遠く聞こえた。




