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転生王女の夢現。(2)

 


「…………」


 ふっくらとした紅い唇が、言葉を紡ごうとして止まる。

 唇から零れ落ちかけた言葉は、結局は音にならずに喉の奥に消えた。


 母様は足を縫い止められたかのように、入り口の辺りから動かない。

 父様は事態を静観しているし、私は私で何と声をかけたらいいのかが分からない。室内に気まずい沈黙が落ちた。


 俯いたまま立ち尽くす母様は、そのまま夜の闇に消えてしまいそうな儚さがあった。


 見守っていれば、きっといつか消えてしまうのだろう。

 何も語らず、何の痕跡も残さず。明日の朝に目覚めたら、記憶からも消える。


 それでいい、いつも通りの日常に戻るだけ。

 そう思うのに、黙って見守る事が出来ない。幻のまま終わらせてしまうのが、何故か少しだけ怖い。


 でも具体的に何をしたらいいのかも分からず、ただ悪足掻きするみたいに体を動かす。

 手をついて体を起こそうとしたら、カクンと腕の力が抜ける。そのまま体勢が崩れた。


「あっ」


「ローゼ!」


 ベッドから落ちそうになった私に向かって、母様が手を伸ばす。

 しかし入り口にいた母様が間に合う筈もなく、私は衝撃を覚悟して目を閉じた。


「……?」


 いつまで経っても、痛みがやってこない。

 恐る恐る目を開けると、至近距離に父様の綺麗な顔があった。


「何をやっている」


 父様は私の体を抱き留め、ついでに額から落ちた布まで華麗にキャッチしてくれたらしい。呆れたように呟いた父様が布を雑に放り投げると、洗面器の中にポシャンと落ちた。ナイスコントロールです、父様。


 父様の肩越しに見えた母様は、手を伸ばした体勢のまま固まっていた。

 私と目が合うと、厳しい表情がほっと緩む。指先からも力が抜けて、上げていた手はゆるゆると下りた。


「病気の時くらい、大人しくしていろ」


 苦々しく呟いた父様は、抱え上げた私をベッドの上に下ろす。

 厳しい口調とは裏腹に手付きは優しくて、どうしたらいいか分からなくなる。


 布団を掛けられながら視線を彷徨わせると、また母様と目が合った。でも今度は、すぐに逸らされる。

 ちらりと背後を気にする母様は、そのまま逃げ出してしまいそうだ。


「……かあ、さま」


 小さな声で呼ぶと、母様の肩が揺れる。

 いつまで経っても返事はない。


 短い嘆息と共に沈黙を破ったのは、父様だった。


「呼んでいるぞ」


 静かな声には、責める色も宥める意図も含まれてはいない。ただ事実のみを渡そうとする声に背を押されたのか、母様は一歩踏み出した。


 ゆっくりと、一歩、また一歩。

 近付いてきた母様は、私の枕元まで来て立ち止まる。


「後はお前に任せるか」


 本を持った父様は、そう言って椅子から立ち上がる。


「父様」


 母様と二人にされても、何を話したらいいのかが分からない。思わず縋るように呼ぶと、父様はフンと鼻を鳴らす。

 手が伸びてきて、ぐしゃりと髪をかき混ぜられる。


「さっさと治せ」


 雑に私の頭を撫でてから、父様は部屋を出ていった。

 残されたのはぼさぼさ頭の私と、棒立ちする母様だけ。


 さっきまで以上に、沈黙が気まずい。

 困った私は、取り敢えず座ってもらおうと口を開きかけた。


「か、……っ」


 声の代わりに、ひゅう、と掠れた音が出る。喉の奥に何かが張り付いたみたいな衝動を堪え切れずにそのまま咳き込むと、喉の奥と胸が鈍い痛みを訴えた。

 咳を一瞬我慢しようとしたせいか、おかしな力の入れ方をしてしまったらしい。


 息苦しさに浮かんだ涙で滲んだ視界に、青褪めた母様の顔が映った。


「……か、さま……?」


 中途半端に手を開いたまま、母様は立ち尽くす。キョロキョロと辺りを見回す彼女は、狼狽えている様子だった。


「く、薬? いえ、医者を呼んできた方がいいわね。少し待ちなさい!」


「えっ」


 言うなり母様は小走りで入り口へと向かう。

 たぶん真夜中だろうに、侍医を叩き起こす気だろうか。ただの風邪なのに。


「か、かあさまっ! 待って!」


 体を起こそうとすると、母様は青い顔で駆け寄ってくる。


「な、何故起きようとするのです! ちゃんと横になっていなきゃ駄目でしょう!」


「いえ、あの、うぷっ!?」


 顔の上まで布団が引き上げられて、思わず呻いた。


「お医者様も薬もいりません。ちょっと咳が出ただけなので、大丈夫です」


 なんとか顔を出して、医者はいらない事を訴えると、母様は困ったように眉を下げる。


「そんなに苦しそうなのに、大丈夫なはずないでしょう!?」


「ただの風邪なので、安静にしていたら治ります。あ、頭を冷やしたいので、布を絞ってもらってもいいですか?」


 お医者さんの安眠は、どうやら私の手にかかっているらしい。

 何か仕事を与えておけば大人しくしてくれるかと思い、洗面器を指差した。


「これね? 分かったわ」


 母様の関心がそちらに移ったので、安堵の息を吐き出す。

 目を伏せて一息ついてから、ふと母様に看病なんて出来るのか不安になった。


『ちゃんと絞ってくださいね』と注意しようとしたのと、額にびしゃりと絞りの甘い布が置かれたのはほぼ同時だった。


 うん、冷たい。びっしょびしょです。


「あとは? あとは何をしたらいいのかしら?」


 意気込む母様に、生温い笑いがこみ上げてくる。

 水が飲みたいとか言ったら、更なる惨事が予想出来た。


「なにも。後は何もいらないです」


「……えっ」


 静かな声で答えると、母様は小さな驚きの声をあげる。

 戸惑う声は、置いてきぼりにされた子供のように頼りのないものだった。


 狡いなぁ、と思う。そんな顔されて、突き放せるはずがないでしょう。


 へらりと緩く笑って、手を伸ばす。


「何もいらないから、……傍にいてください」


「っ……」


 母様は戸惑いがちに、私の手に触れる。ゆっくりと両手で包み込んだ母様は、先程まで父様が座っていた椅子に腰掛けた。


 再び落ちた沈黙を、今度は気まずいとは感じなかった。


「……ね」


「え?」


 小さな呟きを拾えずに、聞き返す。

 母様は私の手の形を確かめるように握りながら、「大きくなったのね」と一言一言区切るように告げた。


 目を丸くした私が見上げると、視線がかち合う。母様は自嘲めいた苦笑いを浮かべる。


「今更、とは言わないの?」


 私はパチリと瞬きをする。


 母様はどうやら、私に責められる覚悟があったらしい。

 今更……確かに、今更なんでと思わない訳ではない。でも、それ以上に戸惑いが大きかった。


「……母様は、私に興味がないのだと思っていました」


 正直に心情を吐露すると、母様の形の良い眉が下がる。目を伏せてから、吐息を零した。


「そう思って当然だわ。貴方にもヨハンにも、何もしてあげなかった。……私は貴方達から逃げたのよ」


「逃げた?」


 言葉を繰り返すと、母様は頷く。


「そうよ。嫌われてしまうくらいなら、自分から離れて行こうと思ったの」


 母様の言葉は想像もしていないものだったけれど、疑う気は起こらなかった。

「勝手でしょう?」と悲しげに笑う瞳に、嘘はないように見えたから。ぽつり、ぽつりと紡がれる独り言めいた言葉を、黙って聞いていた。


 断片的な言葉はピースの足りないジグソーパズルみたいで、組み合わせても全体的な絵は見えてこない。でも、なんとなく輪郭だけは伝わってくる。


 それで分かったのは、母様がとんでもなく不器用な人だって事。


 父様を必死に振り向かせようとして、私とヨハンを部屋に閉じ込めて。それで家族が出来上がるんだと思っていた。そんな歪な形をしたものが、家族だと信じていた。本物を知らないから。


 私が母様に反抗して、やっと手元に誰も残っていないと気付いたんだろう。

 必死にかき集めようとした家族は、もはや欠片さえも残っていなかったのに。


 ヨハンが留学して、私が旅に出て。母様は一人きりの部屋で何を思っていたのだろう。


「貴方達がいなくても、平気だったわ。……平気、だったのに」


 きゅうと、母様の手に力が籠もった。

 僅かな痛みに顔を上げた私は、そこで息を呑む。


 母様の顔が、くしゃりと歪んだ。泣くのを堪えているような表情は、酷く歪で。それなのに何故か、言葉を失うくらい、ただ只管に綺麗だった。


「二度と会えなくなるとは、考えた事がなかったの」


「……かあ、さま」


「嫌われて憎まれる以上に怖い事があるなんて、知らなかったわ。本当に馬鹿みたい。なくしかけて初めて気づくなんて、出来の悪い低俗な劇のようだわ」


 驚きと共に、父様の言葉が思い浮かぶ。


『そうやってお前は、親よりも先に死ぬのか』


 そう言った、父様の顔も。


「嫌いでもなんでもいいから、目の届かないところへ行かないで頂戴」


 包み込んだ私の手に、額を押し当てた母様の手は、小さく震えている。


 母様の表情と父様の言葉を噛み締めて、私の中にストンと一つの結論が落ちてきた。


 ああ、私――ちゃんと愛されていたんだ。


 不器用で分かり難い人達だけど、ちゃんと愛を注いでくれていた。

 その事が、すごく、すごく癪だけど……泣きそうなくらい、嬉しかった。


「母様」


 呼ぶと、潤んだ青い瞳が問うように向けられる。


「眠るまで、手を握っていてくれる……?」


 母様は目を瞠った後に、戸惑うみたいに視線を彷徨わせる。

 それでも手は離さず、そっぽを向いたまま頷いた。形の良い耳が赤いのはどうしてだなんて、問うだけ野暮というものだろう。


 小さく笑うと、母様はじろりと睨んでから、布団を肩口まで引き上げてくれた。


 どうか、これが夢ではありませんように。

 そう願いながら、私は目を閉じた。


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― 新着の感想 ―
[一言] やめてよォ…家族愛には弱いんだからさぁ…(´°̥̥̥ω°̥̥̥`)
[良い点] 最新話が待ちきれずに、読み始めて3周はしたでしょうか。 毎回紡がれるお話は、それぞれの人物に躍動感と生命力に溢れていて読んでいてとても楽しいです。母様のあの一見冷たい態度も今回不器用さ故と…
[一言] なんか 途中から そんな気はしてました 娘が不器用だから(笑) 親もかな? と 兄と弟も大概ですが ほんとに 不器用な 愛すべき人達ですよね
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