転生王女の夢現。
とても長い夢を見ていた気がする。
といっても、内容は覚えていない。
頭の中はぐらぐら煮立てられたみたいに混沌としていて、まともに働いてくれない。しかも鈍い痛みが絶えず襲ってくる。
その上、喉も痛いし、気持ち悪い。
健康優良児であった私には珍しい具合の悪さ。遠い記憶の中から引っ張り出した感覚の中で符合するそれは、いわゆる『風邪』。
夜中に薄着でずっとウロウロしていたのだから、当然といえば当然の結果だ。
思考は常に霞がかっていて、何かを考えようとしても上手く纏まらない。砂の城が波にさらわれていくように、端からサラサラと解けていく。
ぼんやりしているうちに眠って、うっすら起きたと思ったらまた眠っての繰り返し。
たまに傍に人の気配があった気もするけど、よく覚えていない。
目が覚めると辺りは暗くて、部屋の中には誰もいなくて。馬鹿みたいだけど世界で一人ぼっちになったみたいな心細さを誤魔化す為に、無理やり目を閉じた。
病気の時に心細くなるのは、異世界でも変わらないみたい。
そうして夢なのか現実なのか分からない曖昧な時間を、どれくらい過ごしたのか。
ふと喉の渇きを覚えて、目を覚ました。
室内は薄ぼんやりと明るい。
明け方か夕暮れかと思ったけれど、どちらでもない。控えめな光源は枕元のランタンで、カーテンの隙間から見える外は真っ暗だ。
辺りは静寂に包まれており、時折響く紙が擦れる音だけがやけに大きく聞こえた。
一定のリズムで響くそれは、どうやら枕元にいる誰かが本のページを捲る音のようだ。不快な音ではなく、寧ろ落ち着く。
ウトウトと微睡み始めた私だったが、喉の痛みに意識を引き戻される。
小さく咳き込むと、傍にいる誰かが動く気配がした。
「起きたか」
その声が誰のものなのか、すぐには思い当たらなかった。
低い美声に聞き覚えがない訳ではない。ただ、この場にいるはずのない人だったから、頭が自動的に違うと判断したのだろう。
ならば誰だと考えようとしても、収まらなくなってしまった咳の辛さでそれどころではない。生理的な涙が滲んで視界での判別も難しい。
体を横向きにして丸まりながら、苦しさに耐える。
すると大きな手が、労るように背を擦った。
誰のものかも分からないのに、不思議と不快ではなかった。
暫くして咳が止まると、ようやく苦しさが少し緩和される。
仰向けの体勢に戻って、呼吸を繰り返していると、目尻から零れ落ちた涙を拭われた。
「手伝ってやるから、少し体を起こせ。喉が渇いただろう」
言われるがままに差し出された腕に身を預けると、背中にクッションが差し込まれる。熱があるからか、少し動いただけでもダルい。
体を戻された私がクッションにぐったりと体重をかけていると、口元に吸い飲みが近付いてきた。
喉が渇いていたのは確かなので、ぱかりと口を開く。
幼い子供みたいだと頭の端っこでは思うけれど、今は取り繕う元気もない。
流し込まれる少量の水が、腫れた喉元を流れ落ちる感覚が心地よかった。
何度かに分けて水を飲み、落ち着いたところで深く息を吐き出す。
喉の痛みが和らいだお陰か、また睡魔が戻ってきた。
うとうととしながら、枕元の椅子に座る人を見る。
テーブルに吸い飲みを置いてから、洗面器に浸した布を絞る。そんな生活感のある姿が、物凄く似合わない。
絞った布を私の額に乗せようとした人が動くと、クセのないプラチナブロンドの前髪の奥、薄青の瞳と目が合った。
「……とうさま?」
いやいやいや、そんな訳ないでしょ。馬鹿なの自分。
ぼろりと零れ落ちた自分の呟きに、ついツッコミをいれる。
三人の子供の父親とは思えない美しい顔が、にこりともせずに口を開く。
「なんだ」
返事をされてしまい、目の前のこの人が父様である事が確定した。
つまり、これは……。
「ゆめ……?」
頼りなく掠れた自分の声に、頭の中で頷く。うん、これは夢だ。
心細くなって見る夢が父様とか、ちょっと納得できない部分はあるけれど、夢だ。夢以外にあり得ない。
夢の中の父様は、呆れ顔で溜息をつく。
「なんでもいいから、さっさと眠れ」
ぴしゃりと少々乱暴に、額に布が置かれた。
冷たい感覚があるように感じたけれど、きっと気の所為。
「なんで、とうさまが?」
自分の夢ながら、キャスティングが不思議でならない。
私の夢なんだから自問自答するしかないのだろうが、つい目の前の父様(仮)に聞いてみた。
父様は器用に片眉を跳ね上げる。
「丈夫だけが取り柄の馬鹿娘が、熱を出したと聞いたのでな。阿呆面を見に来た」
「…………」
無言で眉間にシワを寄せる。
なんて無駄なクオリティの高さ。こんな部分まで完全再現しなくていいのにと、自分の想像力の逞しさに毒づいてみる。
優しい父様なんて、確かに想像できないけどさ。
こんな時くらい、甘やかしてくれてもいいのに。……いや、怖いな、ソレ。父様じゃないわ。
「客人を庇ったそうだな」
「……へ?」
「異世界からの客人を庇ったと聞いた」
にこやかな父様の想像図を頭から振り払っていると、淡々とした声で話しかけられた。
間の抜けた声で聞き返すと、似たような言葉を繰り返される。
「よくやったと言うべきなのだろうな」
父様の声は平坦で、誉められているとは思えなかった。
前もこんなセリフを言われた気がするから、その時の回想が混ざっているんだろうか。勝算もなしに突っ込んでいくイノシシ娘を放置出来ないとかなんとか。思い出したら腹立ってきた。
馬鹿娘で、イノシシで、阿呆面で。
年頃の娘になんて事を言うんだと食ってかかりたいが、しょせんソレも独り言。自分の想像に吠えるとか馬鹿みたい。それに、何一つ否定できないし。
「あの娘は、他の世界から借り受けている大切な存在だ。傷つける訳にはいかない。その点のみ考えると、お前の判断は確かに正しかった」
父様の低い声が、耳に心地よい。
夢うつつの状態のまま、口を開く。
「……正しいとか、正しくないとか、そういうのは分からないです。ただ、誰にも傷ついてほしくないだけ」
「甘ったれた考え方だな」
ふん、と馬鹿にするみたいに鼻を鳴らす。
夢は深層心理の象徴だと誰かが言っていた気がするけど、私は叱られたい願望でもあったんだろうか。
実際に誉められたものではないと理解しているから、困り顔で笑った。
「そうですね」
父様はそんな私を見て、眉を顰める。
無表情がデフォルトである父様が、苦虫を噛み潰したような顔をしていた。珍しい。というか、私の想像力って何気に凄いな。
「そうやってお前は、親よりも先に死ぬのか」
苦い声を聞いて、私は目を丸くした。
予想外すぎる言葉に、反応が出来ない。
思わず言葉を失くした私を放置し、父様は扉の方向を振り返る。
「お前も言ってやったらどうだ」
誰かそこにいるんだろうか。
私からは誰も見えないが、父様は構わずに話しかけ続けた。
「いつまで扉の前をウロウロしているつもりだ。護衛の騎士達が哀れになる。さっさと入ってこい」
身内に語りかけるような口調からして、兄様だろうか。
私の夢の、次の登場人物が気になって顔を傾ける。
額からずり落ちそうになった濡れた布を押さえながら、私が見守る中、扉が開く。
おずおずと躊躇いながら入ってきたのは、闇の中でも艶やかに咲く薔薇の如き佳人。
いつもはツンと取り澄ました美しい人は、叱られる前の子供みたいに頼りなさげな表情で、足元に視線を落とした。
父様よりも、あり得ない人がそこにいる。
これが私の願望だというのなら、なんて愚かで、……我ながら、なんて健気な。
小さく笑ったのに合わせて、ほろりと生理的な涙が零れ落ちた。
「……かあさま?」
「!」
私が呼びかけると、母様の姿をした幻は弾かれたように顔を上げた。




