転生王女の憂鬱。(2)
病院や薬の話をしているうちに、城にある温室の話題になった。
ユリウス様は興味がある様子だったので、案内する流れとなり、今は皆で温室に向かっている最中だ。
「王城の温室に入れるなど、夢のようです」
ユリウス様はうっとりと目を細める。
珍しいものが大好きな彼らしい反応に、私は苦笑した。
「ご期待に沿えるかは分かりませんが、私の好きな場所の一つなので、気に入ってくださったら嬉しいです」
「マリー様のお気に入りの場所に案内していただけるなんて、とても光栄ですよ」
機嫌良さげな美男子は、眩いばかりの笑顔を振りまいている。
廊下の端に控えて道を譲ってくれているメイドさん達が、恋に落ちてしまうから気をつけてほしい。慌てて顔を伏せたメイドさん達は、耳まで真っ赤だ。
ごめんよ……。この罪作りな人は、さっさと温室に片付けるから、お仕事頑張ってくださいね。
「……叔父上」
にこにこと笑うユリウス様とは対象的に、ゲオルクは渋面を作っていた。
なにがそんなに腹立たしいのか、眉間には深くシワが刻まれている。
「子供ではないのですから、少しは落ち着いてください」
冷たく言い放つゲオルクは、ユリウス様とは違った魅力がある。華やかな美貌と相反する冷えた眼差しに、別のメイドさん達が撃ち抜かれたようだ。
優しげな紳士も、クールな貴公子も、どちらも需要あるよね。うん、分かる。
私は男前な騎士一択だけどな。
「棘のある言い方だなぁ。もしかして、ヤキモチかい?」
「なっ!?」
不機嫌そうに噛み付いていたゲオルクだったが、ユリウス様の切り返しに目を見開く。一拍遅れで、肌がサッと赤く色付いた。
美青年の赤面も需要が高いと思う。
ただ残念なのは、既にさっきのメイドさん達から距離が離れており、ゲオルクの赤面を見られたのは私とユリウス様、それから護衛のクラウスだけって事だ。
「おや、図星だ」
「馬鹿馬鹿しい……!」
「君も思っている事を、素直に口に出せばいい」
ユリウス様は面白がるように甥っ子の頭を撫でる。
ゲオルクはその手を、煩わしそうに叩き落とした。
微笑ましいやり取りを、私は微苦笑して見守っている。隣のクラウスも同様に笑って……いや、ないな。なんだ、その虚無顔。チベットスナギツネだって、もうちょっと愛想いいと思うよ。
「……あの、マリー様っ!」
「……えっ、あ、はい?」
クラウスに気を取られていた私は、自分が呼ばれていると暫く気付かなかった。
我に返ってから、ゲオルクを見上げる。
白皙の美貌が、うっすらと上気した。
「僕も、その……案内していただけて嬉しいです」
恥じらうようにゲオルクが目を伏せると、長い睫毛が揺れる。
女子である私よりも色気があるってどういう事?
というか、言葉の意味がよく分からないんですけど。
「確かゲオルク様は、温室をご覧になった事がありましたよね?」
以前に城へ来た時、ルッツとテオが温室を案内したような。
軽く首を傾げて問うと、ゲオルクは唖然とした顔になった。
「いえ、そうではなく……いや、確かに案内はしてもらったのですが」
あ、しまった。
社交辞令を深く突っ込んでは駄目だったか。
改まって言うから、深い意味でもあったのかと思っちゃったけど、ユリウス様のいう「光栄です」と同じ意味合いだったのね。
どうしようかと視線をユリウス様へと向けると、慌てるゲオルクの背後で腹を抱えて笑っている。
あれ、なんか昔もこんな光景を見たような。デジャヴュ?
「相変わらず締まらないなぁ、うちの甥っ子は」
「……余計なお世話です」
「一番大事な部分を省くからそうなるんだよ」
「わ、分かっていますよ!」
一番大事な部分ってなんぞ?
会話に加わろうにも、要の部分を理解していないので難しい。
手持ち無沙汰の私は、視線を二人から外す。ふと窓の方を向くと、ガラス越しの庭園に人影があるのを見つけた。
「!」
遠目でも分かる長身に、引き締まった体躯。近衛の騎士服を格好良く着こなしているその後姿は、見間違えるはずもない。
レオンハルト様。
心の中で呼ぶだけで、胸が暖かくなった。
数週間ぶりに大好きな人の姿を見られて嬉しい。それが遠くからでも、後ろ姿であっても。
気付かれていないのをいい事に、レオンハルト様の姿をじっくりと堪能する。広い背中を眺めているだけで、幸せな気持ちになった。
しかし、その小さな幸せは、次の瞬間には急速に萎んでしまう。
レオンハルト様の隣に、小柄な女性を見つけてしまったから。
柔らかそうなシフォンベージュの髪は、肩口までのミディアムボブ。
長い睫毛に飾られた大きな目は榛色。色彩が全体的に薄いのか、肌は抜けるように白い。小柄で細身だが、胸はふくよかという羨ましくなるような体型。
乙女ゲームではなく、男性向けの恋愛ゲームのキャラとしても通用しそうな美少女……神子姫ことヒロインが、レオンハルト様の隣にいた。
えっ……可愛い。可愛すぎでは?
神子姫が可愛いのは知っていたつもりだったけど、私の想像を遥かに超える可愛さなんですけど。
神子姫の可憐な姿を見て、私の焦燥感は大きくなる。
あんなに可愛い子が傍にいたら、好きになっちゃわないかな。
キリキリと痛む胃を押さえながら見守っていると、神子姫はレオンハルト様を見上げて、なにかを話しかける。
言葉を交わしているうちに、神子姫は、ふにゃりとはにかむように笑った。
だ、だだだだ駄目、だめええええ! 止めて!
好きになっちゃう! 惚れてまうやろおおおおお!
ぽぽぽんとお花が咲きそうな可愛らしい笑顔を見て、私は心の中で悲鳴をあげる。
めちゃくちゃ可愛い子に、めちゃくちゃ可愛く笑いかけられて、心が動かない成人男子がいるだろうか。いてほしい……いてほしいけれども……!
恐る恐る、レオンハルト様の顔を見る。
神子姫に応えるように、レオンハルト様は控えめに笑っていた。
ごく普通の笑顔だというのに、胸が少しだけ痛い。
別の女性に笑いかけないでなんて、馬鹿な事を言うつもりはないのに。勝手に一人で思いつめて、苦しくなってしまう自分が恥ずかしかった。
レオンハルト様の行動を縛る権利なんて、私にある訳ないのに。
分かっていても、願ってしまう。
どうか、私を見て――と。
「……レオン、さま」
口から洩れた呟きはとても小さくて、誰の耳にも届かずに消えた……はずだ。
しかし、視線の先のレオンハルト様は、まるで私の声が聞こえたかのように偶然にも振り返ってくれた。
窓ガラス越しで、しかも距離もあるのに、目が合ったのが分かる。
私を見つけたレオンハルト様の目が軽く瞠られ、次いで、とろりと解けた。
「……っ!」
いつもは鋭い目を甘く細める。形の良い唇は、「姫君」と言葉を形作ってから弧を描いた。
機嫌が良いなんて言葉では片付けられない。とても嬉しそうに、レオンハルト様は相好を崩した。
狡い。
そんな風に笑いかけられたら、勘違いしてしまいそうだ。
私が思う十分の一でも、思いを返してもらえるんじゃないかって、期待してしまう。
レオンハルト様と目が合っていたのは、ほんの十秒足らず。
神子姫に付きそう形ですぐにどこかへ行ってしまったけれど、その後の私は、一日上機嫌だった。