第一王子の驚愕。(3)
普段よりも柔らかな対応でありながらも、根本的な部分は何も変わっていない。懸命に逃げ道を探す子供相手に、容赦なく淡々と退路を塞ぐ。国王はやはり国王だった。
断ってもいいという前提があるので、フヅキはおそらく強制されているとは思っていない。
事実、決定権は彼女にある。
しかし同時に、一番楽な選択肢を隠されているのも事実であった。
『説明を聞かずに、そのまま帰還する』を実行すれば、罪悪感を覚える事もなく日常に戻れるのに。
中途半端に聞いてしまったから、見ないふりが出来なくなっている。
そして、脅されるのではなく、お願いされているから、自分が被害者である意識が殆どないのだろう。
「もし、私になんの力もなかったら?」
「もちろん、すぐに貴方の住む世界へとお帰ししよう」
フヅキが恐る恐る口にした仮定に、国王は即座に頷いた。
彼女はホッと、安堵の息を洩らす。迷った子供が、帰路を見つけたみたいな無防備な顔に、私の良心が痛んだ。
帰る為の条件が『説明を聞く』から『なんの力もなかったら』へと、フヅキに不利な方に移行している。
それにさえ、フヅキは気付いていない。
ローゼも素直で腹芸の出来ない子だと思っていたが、あの子だったら、この分かりやすい罠に気付いただろう。
帰れるという一点に注目しすぎて、他を見失っている。
目の前に現れた帰路が、丁寧に舗装された回り道だとも知らずに。
「では、能力があるかどうかを確かめさせてもらっても構わないという事だろうか」
「……試すだけなら」
国王の問いに、フヅキは躊躇している様子だった。
しかし暫しの沈黙の後、そう言って頷く。
「協力、感謝する」
ふ、と息を吐いてから国王はそう告げる。いつも通りの無表情が、人の悪そうな笑みに見えた気がした。
「無理だったら、帰してくださいね? ほんとのほんとにですよ?」
「ああ、必ず。約束しよう」
フヅキが念押しすると、国王は鷹揚に頷く。
無理ならばこちらとしても、フヅキを留め置く理由もないのだから当然だろう。しかしフヅキはこちらの思惑など欠片も気付かぬ様子で、気の抜けた顔で笑った。
罠にかかった子ウサギが、きょとんと首を傾げている絵が思い浮かんで、気まずいことこの上ない。
だからといって、騙されるなと忠告するつもりもなかった。所詮、私も加害者側の人間なのだ。
「なら、とっととやっちゃいましょう! 何処に魔王が封印されているんですか?」
フヅキが意気込んで拳を握ると、国王は取り出した小さな箱を机の上に置く。
手のひらの上に丁度載る大きさの立方体で、深い藍色に銀の縁取り。飾り気はないが、頑丈そうだ。
留め金を外して箱を開けると、衝撃を和らげる役割の布に包まれた拳大の石が収まっている。
フヅキはその石を、まじまじと眺める。丸く瞠られた目は、石と国王との間を何度も行き来した。
「え……、コレですか……?」
フヅキは困惑した様子で石を指差す。
私も実物を見るのは初めてだったが、どう見てもただの石ころだ。特筆すべき点は見当たらない。
しかし、国王は至極真面目な顔で頷く。
「えっ、でも、コレ……」
その顔を見たフヅキは、開きかけていた口を閉ざす。
「これは、ただの石でしょう」と言いたかったのだと推測する。しかし、誰も異を唱えない状況下で主張する勇気はなかったのだろう。
「……分かりました。触っても何ともならないですか?」
「この通り、問題ない」
国王は自らの手で石を持ち上げてみせる。
そのまま差し出されて、フヅキはゆっくりと手を近づける。熱さを確認するように、一瞬だけ指先で突くのを何度か繰り返した後、恐る恐る掴み上げた。
「コレを壊せばいいんですね? せーの……っ」
フヅキが両手で包み込んだ石を高く持ち上げた瞬間、国王を除く全員が身構える。
そのまま床に叩きつけようとしているのが、理解出来たからだ。
しかし国王は落ち着いた様子で、頭を振る。
「そうではない。ただ壊しただけでは、魔王が復活する可能性が高い」
「ひえっ!?」
フヅキは今更になって青褪める。手の中の石をしっかり持とうとしているが、慌てているせいで、逆に何度も取り落しかけた。
この少女の行動を見守っているだけで、胃が痛い。
「じゃ、じゃあ、どうすれば……?」
「貴方の力を使って、その中に封じられている悪しき力を浄化、もしくは消滅させてほしい」
「……具体的には?」
「前例がないので方法は不明だが、まずは力を注いでみてはどうか」
フヅキは「力をそそぐ」と国王の言葉を鸚鵡返ししながら、石を撫でる。
両手で擦ってみたり、力を込めて握ってみたりと試行錯誤している様子だが、どれも物理的に見えた。
暫くして手を止めた彼女は、顔を上げる。
「ぜんっぜん、出来る気がしません……」
眉を八の字に下げて、フヅキは弱音を吐く。
国王は、考える素振りを見せた後、「アルトマン」と呼びかけた。
「魔力はどうやって込める?」
「魔力とはおそらく性質が違いますので、余計な癖をつけてしまう可能性もございますが、宜しいでしょうか」
「構わない。糸口を掴めなければ、いくら時間をかけても無駄になる」
「かしこまりました」
アルトマンはフヅキに向き直り、丁寧に教示する。
血が巡るが如く、心臓から体中へと送られる力を、指先へと集める。目を閉じたフヅキは、アルトマンのその言葉に従って、想像図を頭の中に思い描いているようだ。
素直な気質であるフヅキは、言われたままを行う。
その様子を黙って見守っていたが、視界的な変化は起こらなかった。
室内に沈黙が落ちる。
十分間以上集中していたフヅキは、目を開ける。水から顔をあげたみたいに、プハッと詰めていた息を吐き出した。
「ごめんなさい、無理っぽいです」
そう言ったフヅキの顔は、申し訳無さそうにも、安堵しているようにも見えた。おそらく、その両方が彼女の正直な気持ちなのだろう。
広げてあった緩衝用の布の上に、石を置く。
そこで、ふと何かに気付いたのか、フヅキは手を止めた。
「ん……? なんだろ、これ」
フヅキは、手についていた粉らしきものを払う。
白い布の上に、灰色の粉がパラパラと落ちた。
「あっ、ごめんなさい。布が汚れちゃいますね」
焦りながらフヅキは、布の上の粉を床に払い落とそうとする。
「待て」
それを止めたのは、国王だった。
「アルトマン、確認を」
「はい」
アルトマンは「失礼します」と断りを入れてから、フヅキの手を柔らかく掴んだ。
慎重な手付きで粉を落とした後、布の上のものと一緒にして観察する。石と粉とを見比べ、手にとって確認したアルトマンは国王を見た。
「おそらくですが、石の一部が劣化して砂状になったものと思われます」
「やはりか」
アルトマンの報告を聞いて、国王は短く呟く。
「えっ? で、でも、持った時の表面は、ツルツルでしたよ?」
「だから、それが貴方の力なのだろうな」
「……わたしの?」
フヅキは自分の両手に視線を落とす。
握っていた手を開いた彼女は、可視化出来ない力を探るように、じっと掌を見つめた。
「少々時間はかかりそうだが、貴方の力は有効である可能性が高い。どうか我らに力を貸してはもらえないだろうか」
「ええっと……、助けたいのは山々ですけど、帰らないとパパとママが心配するし」
「アルトマン。召喚した時間に帰す事は可能か?」
「今は、あちらの世界からフヅキ様を一時的に切り離し、お借りしている状態です。お帰しする時は歪みが起こらないよう、同じ時間の同じ場所になるでしょう」
「で、でもでも、私、戦えないですし、足手まといになっちゃいますよ?」
「貴方が戦う必要はない。傷一つつけずにご両親の元へお帰しする為、国一番の騎士を護衛につけよう」
なんとか逃げ道を探すフヅキだったが、端から言い訳を潰されていく。
留まらなくてすむ理由が思い浮かばなくなったのか、青い顔で俯いたフヅキの前に、一人の男が進み出た。
優雅な動作で跪く男に、少女の視線が吸い寄せられる。
「レオンハルト・フォン・オルセインと申します」
短い挨拶を述べたレオンハルトを見て、少女の青褪めた顔が赤くなった。




