転生王女の熟考。(2)
「まず魔王と魔力の関係について、お話しましょう」
イリーネ様は暫しの沈黙の後、そう切り出した。
「魔王の依代となった人物の多くは、魔導師であったという事はご存知ですよね」
「はい」
静かな問いかけに頷く。
魔王という強大な敵に立ち向かうには、大きな力を持つ魔導師の協力は欠かせない。
しかし彼等は物理攻撃に対する防御力が弱く、戦いの中で命を落とす事が多い。つまり魔王の傍にあった器が、たまたま魔導師であったと当初は考えられていた。
しかし、幾度目かの魔王との戦いで気付いた者がいた。
魔導師ではない器を選んだ魔王は、以前よりも弱い、と。
もちろん、人一人で敵うようなものではない。
それどころか、一個師団も簡単に壊滅させられるだろう。魔王は腐っても魔王だ。
しかし、人類が一丸となって戦えば、もしやと。
そう――、『手が届く』と感じさせた。
「しかし、全てではありません。そして魔導師以外の器で蘇った魔王は、明らかに弱体化しておりました。故に、魔王は依代の持つ魔力を増幅させる力を持つと推論します」
イリーネ様の言葉は、私が以前考えた『魔王は魔力増幅装置』という仮定を肯定するものだった。
「つまり魔王にとって依代の魔力は、大きければ大きい程都合が良いという事。しかしそうすると、魔導師以外を器に選ぶ理由がありません。ですが実際に何度か、魔導師以外を依代として復活しております。それらから導き出される答えとして、魔王が依代に入る為には、いくつか条件があるのだと私は考えました」
「条件ですか?」
「一つは距離、もしくは時間です」
「……なるほど」
私はイリーネ様の言葉を聞いて、独り言のように零す。
「魔王は魔導師以外の器を選んだのではなく、選ばざるを得なかったと」
魔導師の器が近くになかったから、他で代用した。
となると魔王は器なしでは移動出来る範囲が限られる。もしくは器なしの場合、存在出来るタイムリミットがあると考えられるという事か。
簡単に纏めた考えを告げると、イリーネ様は頷いた。
「魔王にとって魔力は戦う為の武器であるのと同時に、自身を保つ為に必要な栄養源なのではないかとも考えられます。あくまで仮説の一つですが」
私達にとっての水や食事に相当するものが、魔王にとっての魔力。
それが事実なら、魔導師を魔王にさえ近づけなければいいのではと考えそうになるが、そんな簡単な話でもないのだろう。
「そして、もう一つが器の状態です。ごく最近、死亡した人間でなければならないのだと、私は考えておりました。しかし、ラプター王国の持つ情報で、それが誤りである可能性がでてきたのです」
「死亡でなくとも、怪我や病気などによって生命活動が低下した体も選択肢に入るという事でしょうか」
イリーネ様は軽く目を瞠った後、『是』と返した。
「姫様も気付いておられたのですね」
「ラプター王国の民話でも、その可能性を示唆しておりましたから」
ラプターの持つ情報が正しいかどうかは別として、最悪の場合を想定するなら無視は出来ない。
「どこまでが範疇となるのかの予想ができません。もしかしたら、完全に乗っ取るには死体の方が都合がよいだけで、生者の体にも憑依出来るのだとしたら……とても厄介です」
イリーネ様の険しい表情を見つめながら、私も青褪めた。
器の生死が関係ないのなら、非常に厄介だ。一度逃してしまえば、取り返しのつかない事になる。
あくまでも想像の話で根拠はないにしても、最悪を想定するならば対処も考えておかなければならない。
「で、ですが、魔力がなければ存在を保てないのでしたら、対処法もありますよね」
無理に明るい声を出してみたが、動揺は隠せていなかった。
場の空気が緩むどころか、イリーネ様の表情はより厳しくなった気がする。沈痛な面持ちの彼女は、暫し逡巡してから口を開いた。
「……魔導師である私達さえ近寄らなければ、処分も可能であると当初は考えておりました。昔と違い、魔法が使える人間は一握りですから」
イリーネ様の話し方が、過去形である事に嫌な予感がした。
当初は考えていた、という事は、今は違うと言っているも同然だろう。
魔法が使える人間は、一握り。これは間違いではない。
ネーベル王国以外では、魔導師の存在は確認されていないし、我が国でも少数。しかも、年々その数を減らしている。
その認識が間違っていないのなら、考え方を変えるべきかもしれない。
「『魔法が使える事』と『魔力を持っている事』は、同じではないと……?」
私が呟くと、イリーネ様は驚きを示す。
「やはり、姫様は聡明な方ですね」
返ってきたのは、言外に私の言葉を肯定するものだった。
言った私の方が、驚いてしまう。
まさか正解だなんて、思っていなかった。
当たっていても嬉しくない。寧ろ、おかしな考えだと笑い飛ばして欲しかったのに。
「もしかして、この国の民は……いえ、世界中の人が、魔力を持っている可能性があるとおっしゃるのですか」
「かつて、この世界の人間は皆、魔法が使えました。子孫である私達は徐々にその力を失くしていったと思われていましたが、ゼロではないのかもしれません」
尾てい骨などの痕跡器官のようなものだろうか。
退化の過程で用をなさなくなっても、形だけが残るというソレと同じ。私達は魔法を使えなくとも、ごく微量の魔力を持っているのだとしたら。
この世界のどこにも、安全な場所はない。
「それで、異世界からの召喚という話になるのですね」
「はい。過去から現在に至るまで、魔法及び魔力の痕跡のない世界から人を招く事が目的となっております」
魔法のない世界。
それで、前世の私が生きていた世界――地球が当て嵌まる訳だ。正しくは、『私の生きていた世界に、よく似た世界』かもしれないけれど。
しかし、魔力を持っていないから、器にされる心配はないとして、だ。
「招いて……そこから、どうするのでしょう?」
神子姫が石を破壊して、彼女が憑依されなくても、周りに人がいたらアウト。
立入禁止にしたとしても、もしもの場合がある。事故でも故意でも、どちらにせよリスクが大きすぎる。
「まさか、石を押し付けて持って帰らせるなんて事はしないですよね?」
恐る恐る聞くと、イリーネ様は苦笑いを浮かべた。
「候補の一つに上がっているのは、事実です」
やっぱりー……。
嫌な予感が当たった事を理解して、ズキズキと痛む頭に手を当てる。
一番手っ取り早いし、安全だ。
でもそれは、あくまで『この世界にとって』。
「魔力がなくなれば魔王は存在出来ないという仮定が正しければ、有効な手でしょう。しかし違った場合、私達は違う世界に災厄を押し付けてしまう事になります。ですので、その案はあくまでも最終手段」
私は少しだけ安心して、ホッと息を零す。
魔王と魔力の考察が正しいと証明されてからなら、引き取って欲しいけれど。前世の故郷に脅威を押し付けたいとは思えない。
「異世界からの召喚には、もう一つの目的があります」
「目的?」
鸚鵡返しすると、イリーネ様は少し考える素振りを見せた。
「目的、というと少し語弊があるかもしれませんね。異なる世界からの召喚によって齎される効果に期待していると言えば良いのでしょうか」
そこからの説明は、私自身、ちゃんと理解出来たかどうか怪しい。
なので、分かった部分だけざっくりと纏めてみると。
世界から世界へと渡るには、器にも魂にも大きな負荷がかかる。
その為、世界の境界を越える時に、大きな力を得るらしい。
それが、自分の奥底に眠っていて、生命の危機を前にして呼び覚まされたものなのか。
神と呼ばれる大いなる存在によって与えられたものなのかは、解明されていない。
からくりは分からないけれど、魔力を『陰』とするなら、『陽』。『マイナス』なら『プラス』となるような、相対する力を持つ者を召喚するつもりのようだ。
荒唐無稽な話だと言った父様の気持ちも分かる。
雲をつかむような話だ。
でも、同時に私は知っている。
奇跡を体現するような、可愛らしい少女の存在を。




