転生王女の吃驚。
くあ、とあくびが洩れる。
普段なら我慢するところだが、今は夜中の自室。見ているのは可愛い愛猫だけで、はしたないと注意される事もない。見上げてくるクリクリお目々が呆れているように見えるのは、気の所為だ。うん、気の所為。
読みかけの本に栞を挟んで、テーブルの上に置く。
寝る時間には少し早いけれど、今日はもう休もう。
旅の疲れもあるが、何より、明日は圧迫面接開催日。英気を養う為にも、可愛いネロと温かい布団に癒してもらうんだ。
ひざ掛けにしていたショールを羽織り、ソファーから腰を上げる。
ネロは呼ばずとも、足元へと駆け寄ってきた。すり、と足首に頭を擦り付ける可愛い子を抱き上げてから、一度足を止める。
テーブルの上に置いてある小さな箱を、ちらりと盗み見た。
手のひらサイズの小箱の中身は、大変な思いをして入手した石が収められている。
このまま放置していい訳ないよね……?
でも正直、肌身離さず持っていたい物ではない。枕元に置いておくと、なんか悪夢を見そうだ。
カラス経由で父様に渡してしまいたかったけれど、指示されなかったという事はおそらく明日まで持っていろって意味だろうし。
暫く箱を睨みつけていた私だったが、にゃーん、とネロに促されて覚悟を決めた。箱を掴んで、ベッドへと向かう。
一晩くらい、我慢だ、我慢。
「魘されていたら、起こしてね?」
抱き上げたネロに話しかけると、小首を傾げた。ああ、かわいい。
この子が一緒ならきっと、悪夢になんて負けない。
だらしなく頬を緩めた、その時。
ふいに扉が鳴った。
「えっ?」
驚きに、思わず声が出た。
まだ真夜中とは呼べないが、決して人を訪問していい時間帯ではない。
しかも私は、成人を目前に控えた王女だ。
「……はい」
聞き間違いかと思いながらも、返事をする。
「遅くに申し訳ございません。……その、お会いしたいと仰っているのですが」
申し訳無さそうな護衛騎士の声が、訪問者の存在を告げた。
突然の訪問者と聞いて頭に思い浮かんだのは、魔導師誘拐事件の夜。夜中に前触れもなく訪れた兄様を思い出して、体が強張った。
また何かあったのだろうか?
「どなたですか?」
緊張に掠れた声で誰何する。
「私だ。入るぞ」
返ってきた声が誰のものであるか考える間もなく、ドアが開いた。
現れた綺麗な顔を、唖然としながら眺める。
理解が追いつかない。何故とかどうしてとか、非常識にも程があるとか、色んな言葉が思い浮かぶけれど、声には出せなかった。
ぼかーんと口を半開きにして見上げる私を一瞥し、その男は鼻で笑う。
「間抜けな顔だな」
「!」
瞬時に驚愕が怒りに塗り替えられる。
しかし男は私の様子を気にした風もなく、すたすたとソファーへと歩いていく。どっかりと腰掛ける姿は、堂々としているというより図々しいと思う。
早く座れと言わんばかりに視線を寄越され、怒鳴りたい気持ちを懸命に我慢した。
ここでブチギレても、この男が反省なんてする筈もない。それどころか、夜中に騒ぐなとかふざけた文句を言われるのがオチだ。
さっきまで座っていたソファーへと戻る途中、私の腕からするりとネロが下りる。賢い愛猫は面倒事を察知したのか、チリンチリンと涼やかな鈴の音を響かせながら、ベッドへと向かった。
癒やしに逃げられてしまった私は溜息を一つ吐き出して、覚悟を決める。
男の向かいの席に座って、早々に口を開いた。
「どのようなご用件でしょうか? 父様」
「仕事が思いの外、早く片付いたのでな。用がなければ来ては駄目だったか?」
何言ってんだ、コイツ。
駄目に決まってるでしょうが。
綺麗すぎる顔を眺めながら、私は心の中で呟いた。
これを言ったのが兄様なら、照れつつも喜ぶだろう。だが、相手は父様だ。
軽く首を傾げる仕草は、恐怖以外の何ものでもない。早く帰れと塩を撒きたいところだが、そうもいくまい。
「……夜遅くに淑女の部屋を訪問するほど、なにか急ぎの用があったのかと」
「淑女」
何故、そこだけオウム返しした!?
無表情なのに馬鹿にされているような気がする。いや、たぶん絶対馬鹿にしている。
「お仕事が早く終わったのでしたら、私の事などお気になさらず。たまには夫婦水入らずで、ゆっくり過ごされたら如何ですか?」
暇なら母様の機嫌でもとってこいよ、と言外に追い出してみる。
しかし、父様が簡単に思い通りになる筈もなく。
「ならばお前も共に来るか。親子の交流も同じくらい大切だろう?」
サラッと提案してきたが、そんな恐ろしいイベントに参加するのは絶対にゴメンだ。
父様だけでも辛いのに、そこに母様の上乗せとか。とんだ苦行じゃん。私の胃の耐久度を試したいの?
「とても魅力的なお誘いですが、遠慮しておこうと思います。父様が会いにいってさしあげたら、きっと母様は喜びますよ」
引き攣った笑みを浮かべると、父様は何故かじっと私の顔を眺める。
「お前が行ったら、喜ばないと?」
「えっ?」
当たり前過ぎる問いに、思わず素で驚いてしまった。
何を真顔で言っているんだろう。母様が私の訪問を喜ぶ訳ないでしょうが。
たぶん心の声は全部、顔に出ていたと思う。「なるほど」と端的に呟いた父様は、それ以降黙ってしまった。
どうしたんだろう。
この人が、親子の不和で悩むような可愛げがあるとも思えないし。
不思議に思いつつも見守っていると、父様は俯けていた顔をあげた。
「まぁ、いい。冗談はこのくらいにしておこう」
無表情でそんな事を言って、勝手に話を切り上げる。なんだろう、この自由人。
アンタの冗談は面白くない上に分かり難いと、誰か突っ込んで欲しい。
ジト目で見る私を無視し、父様は私が持っている小箱へと目を向ける。
「それが、例のものか」
言われて、膝の上の箱の存在を思い出す。
頷いてから、机の上へと置いた。
「はい。ご所望の品です」
父様の方に向けて、箱を慎重に開ける。
中に収められた拳大の石を見て、父様は軽く眉を顰めた。
これが? と言いたげな目に反感は湧かない。
どう見ても、道端で拾ってきた石ころだもんね。逆の立場だったら、私だって疑うと思うし。
かといって、本物である証拠を出せと言われても困る。割って魔王を出さない限り、証明なんて出来ない。
どうしたものかと悩む私の予想を裏切って、父様は『本物か』とは問わなかった。
「そうか」
父様は静かな声で、そう一言だけ告げる。
傍若無人な父様らしからぬ様子に、私は戸惑う。薄青の瞳が、石から私へと向けられ思わず身構える。
「よくやった」
想像していた言葉とはあまりにもかけ離れていて、一瞬、なんて言われたのか理解出来なかった。




