表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
178/393

或る密偵の憂い。

※ネーベル王国密偵カラス視点です。

 


「お連れしました」


 国境警備隊隊長を伴い、執務室に入る。陛下は書類から顔を上げずに、平坦な声で「暫し待て」と告げた。


 追いついてきた近衛騎士団長は、扉の前で待機するらしい。

 人払いはしてあるが、万が一の時の為に見張りしてくれるのは有り難い。


 閉めた扉に背を凭れ、腕を組む。だらけた格好だが、無礼だと咎める人間もいないし、陛下はそんな事気にしない。

 緊張した面持ちの隊長は、直立不動の姿勢で待つようだ。


「座っていろ」


 長い指がぞんざいな動作で、ソファーを指す。

 少し躊躇してから、隊長は言われた通り腰掛ける。オレはこのままでいいやと思ったが、「お前もだ、カラス」と名指しされてしまったので、渋々隊長の隣に座った。


 カリカリと一定の速度でペンが走る音だけが、室内に響く。

 特にやることもなく暇なので、陛下の顔を不躾に眺める。絹糸のようなプラチナブロンドが、白皙の美貌に影を落とす。薄い青の瞳は透明度が高く、光が差さずとも全く美しさを損なわない。整いすぎた顔立ちは人間味が薄く、彫像のようだ。


 男の顔がいかに整っていようとも意味がないと思っていたが、ここまで綺麗だと性別を超越して見惚れてしまう。もちろん、下世話な意味ではない。芸術品を眺める感覚に近いかな。


 姫さんも整った顔立ちだが、色彩以外はあまり似ていないように思う。

 それはたぶん、姫さんが表情豊かだからだろう。彼女の美しさの源が内側から溢れる生命力ならば、陛下は真逆だ。無言で動きを止めている時が、一番美しい。

 陛下の場合、少しでも話そうものなら、顔の造作なんてどうでもよくなるくらい、迫力があるからな。いや、視線一つ寄越されただけでも、硬直する人間は多いだろう。


 そんな事をぼんやり考えていると、コトンとペンを置く音がした。

 陛下はサインを終えた書類を適当に積み上げると、席を立つ。


「待たせた」


 そう言って陛下は、オレ達の向かいのソファーへと腰を下ろした。

 隣に座る隊長は、ゴクリと喉を鳴らす。背筋を伸ばした彼と、陛下は目を合わせた。


「久しいな、リーバー。壮健か」


 無表情で淡々と言われると、嫌味なのかどうかの判別も難しい。

 まぁ、裏切り者に対して『よお、元気か?』なんて嫌味以外の何ものでもないが。


「……お久しゅうございます。愚かな行為をしでかした挙げ句、おめおめと生き延びて、御前まで参りました」


 隊長は真面目な顔をしたまま、頭を垂れた。

 陛下はつまらんと言いたげな顔で、フンと鼻を鳴らす。


「言い訳一つしないか」


「弁解の余地もございません」


 クソ真面目に隊長は返す。


「私は、北方の辺境の砦という重要拠点をお任せいただいたにも拘らず、敵の甘言に惑わされた裏切り者です。どうか裁きを」


「そう急くな」


 陛下は腕を組み、溜息を吐く。


「暫く会わなかった間に、随分と真っ直ぐな男になったものだな。どいつもこいつも捻くれた性格を矯正されおって。まったく、一体どこの猪の影響だ」


 陛下は『どいつもこいつも』の辺りで、冷めた目でオレを一瞥した。性格を矯正された覚えはないが、つい目を逸らす。

 猪突猛進ばかりするどこかの娘さんの影響を、全く受けていないと言えば嘘になるからだ。


 それにしても、エルンスト・フォン・リーバーは、オレの目には元々真っ直ぐな男に見えていたが、そうではなかったという事か。

 ……いや、言われてみれば、愛する女以外の全てを捨て去る一途さは、真っ直ぐとは言い難いな。狂気や歪みと呼ぶに相応しい。


 隊長は僅かに口角を上げる。


「傲慢で身勝手な行動ばかりとった私ですが、お陰で目が覚めました。あの方のひたむきなまでの真っ直ぐさは、私には美点に思えます」


 隊長の言葉を聞いて、陛下は眉間に皺を寄せる。


「アレに振り回される人間の多さを知っていて、それを言うか」


「それもあの方の人徳かと」


「人徳ね。……まぁ、いい」


 呆れ混じりに呟いた陛下は切り替えるように、一度目を伏せる。

 再び現れた薄青の瞳は、普段の冷徹な光を取り戻していた。


「本来ならば数日かけて調書をとり、処分を検討するところだが、お前の立場と影響力を考慮すると悠長に構えている訳にもいかん。内々に事を済ませたい」


 姫さんの予想した通り、陛下は隊長の裏切りを表沙汰にするつもりはないらしい。

 敵国との国境にある防衛地点が内部分裂していますよ、なんて宣伝しても良い事は一つもないからな。


「報告は受けているが、改めて聞く」


 一呼吸開けて、陛下は口を開いた。


「ラプター王国の間者に内通し、我が国の情報を渡した事に間違いはないか」


「はい。間違いございません」


 恭しく頭を垂れた隊長に、陛下は目を眇める。


「ならばエルンスト・フォン・リーバーには、事故にあってもらおう。国外への任務へ向かう途中で、馬車が谷底に落ちたのだ」


 秘密裏に死ねと、陛下は眉一つ動かさずに命じた。


 こうなるだろうという予想はしていたが、姫さんの顔が脳裏を過ぎって、なんとも苦い気持ちになる。

 姫さんは自分の立場というものを理解しているので、陛下を恨みはしないはずだ。おそらく納得もする。

 でも、きっと悲しむだろう。納得した自分を責めて、苦しむのだろうな。


「御意に」


 隊長は即答した。

 その潔さが今は恨めしい。だが、責めるのはお門違いだろう。自分の命を諦めているのではなく、彼にはそれ以外の選択肢がない。

 無駄に足掻いても、周囲の人達を苦しめるだけだと分かっているからこその即答だ。


 隊長は、死を宣告されたとは思えない穏やかな顔つきだった。


「ならば、カラス。この男は、お前に任せよう」


「……かしこまりました」


 一瞬、声が詰まりかけた。

 ネーベルに来てからの日々があまりにも平和で、自分がどういう存在なのかを忘れかけていた。オレの手はとっくに血塗れだ。今更、誰を殺そうと変わらないじゃないかと、自嘲気味な独り言を心の中で呟く。


 表情に変わりはないはずだ。

 しかし隊長はオレの顔を見て、眉を下げる。


「陛下。厚顔ながらも、お願いがございます」


「なんだ」


 隊長の言葉に、陛下は気を悪くした風もなく続きを促す。


「誰の手も煩わせる事なく、最期は自分の手で終わらせる事をお許しください」


 自害する許可を、と隊長は言う。

 おそらくは、オレを気遣って。二度と姫さんの目を正面から見られなくなってしまうオレの為に。


 情けない。もうじき死ぬ人間に、何を言わせているんだ、オレは。


「余計な気遣いは無用だ。仕事はきっちり遂行する」


「しかし……」


 ぴしゃりと跳ね除けても、隊長はオレを心配そうに見る。

 アンタは自分の心配でもしていろと、言ってやりたい。


 陛下はオレ達二人を順番に眺めてから、呆れたと言いたげに眉を顰めた。


「お前達は何を言っている」


 オレはたぶん、間の抜けた顔をしていることだろう。隊長の方に視線を向けると、困惑した目とかち合った。


「誰がお前に死ねと言った。私は、エルンストを消すと言っただけだ」


「おそれながら、陛下。お言葉の意味を詳しく教えていただけますか」


 戸惑いながら隊長が問いかける。


「お前は、何も持たない名無しの男になる。地位も家族も仲間も全て、今日限りで捨てろ。これからはネーベル王国の影として、残りの人生の全てを国に捧げよ」


 隊長は、驚愕に目を見開く。

 オレも同じように動揺しているが、受けた衝撃は比ではないだろう。


「それ、は……あまりにも、私に都合が良い気が」


 掠れた声を絞り出す隊長は、酷く狼狽している。


「お前を哀れんでの措置ではない」


 陛下は常と変わらず、冷えた眼差しで隊長を見た。


「お前を殺しても、我が国に利はない。だが、このまま要職に就かせてもおけない。そして理由を公開出来ない以上、適当な場所に飛ばすのも、解任するのも難しい。ならば、その命を使い潰すくらいしか、残された道はないというだけの話だ」


 丁度、使える手駒を増やしたいとも思っていた、と淡々と呟く。


 手駒とか、使い潰すとか物騒極まりない言葉が並ぶ。

 実際、全てを捨てて生きるのは決して楽な道ではないだろう。大切な家族にも仲間にも、もう自分だと名乗る事さえ出来ず、孤独に生きて孤独に死ぬのだから。


 それでも、最悪ではない。

 死んだら、それで終わりだ。生きていれば、なにか出来る。もしかしたら大切な人達を、影から守る事だって出来るかもしれない。


「どうしても死にたいというなら止めはしないが、どうする。密偵をやるか?」


「……謹んでお受けいたします……っ」


 くしゃりと顔を歪めた隊長は、震える声でそう言った。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[良い点] 確かに理由を言えない以上リーバを処分することはリーバを慕う人間(しかも辺境の軍)の離反を招く事になり、利は全く無いのですが・・・。この判断には他の理由があるとも思いますね。 [気になる点]…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ