転生王女の帰還。
カラスに遅れる事、一日。
国境警備隊の指揮を一時的にヴォルター副隊長に託し、私達は城へと帰還した。
到着するとカラスが現れ、リーバー隊長を何処かへ連れていこうとする。
一緒に行きたいが、きっと駄目だろう。私は邪魔になるだけだ。
リーバー隊長の後ろ姿をじっと見つめていると、カラスが苦笑した。
「すぐにはどうこうしないから、そんな顔しないでよ」
自分ではどんな顔をしていたか分からないけれど、たぶん情けない表情をしていたんだと思う。カラスは茶化すみたいに、「アンタの番は明日らしいから、自分の心配でもしてな」となんとも不吉な言葉を残して消えた。
レオンハルト様は私をクラウスへと預けてから、カラス達の後を追った。
ラーテの事も気になるけれど、その話も明日のようだし。
取り敢えず、疲れたので自室に戻ろうと顔を上げるとクラウスと目が合う。久しぶりに会った専属護衛騎士は、満面の笑みを浮かべていた。
「お帰りなさいませ!」
キラキラと輝く目と、紅潮した頬。若干上擦った声でそう言った彼の背後に、ブンブンと振っている尻尾の幻覚が見えるようだ。
「た、ただいま……?」
勢いに気圧されつつも返すと、クラウスは更に笑み崩れる。
「お帰りになる日を、指折り数えてお待ちしておりました。再び貴方様の護衛の任に就ける事は、この上ない喜びでございます」
甘ったるい笑顔から、思わず目を逸らす。直視すると目を痛めそうだ。食事はまだなはずなのに、物理的に胸焼けがする。
おかしいな……。クラウスもすっかり落ち着いたと思ったんだけど、勘違いだったんだろうか。
でも、レオンハルト様に突っかかったりしなかったし。ただ単に、久しぶりだからクラウスのテンションに慣れていないだけなのかな。
「護衛に戻るという事は、体の方はもう大丈夫なのね?」
諸々の問題発言をスルーし、気になっていた部分だけを問う。
するとクラウスは嬉しげに目を細めた。最早、イケメンでも許されないレベルに顔面が崩壊している。でろっでろだ。
孫に向けるおじいちゃんの眼差しと同じ種類に見える。強請ればお小遣いくらいくれそうな勢いだ。
「心配してくださったのですね。ありがとうございます。体調は万全ですし、問題なく戦えます」
頼もしい言葉に頷いてから、ふと思い出す。
お小遣いはいらないけれど、おねだり、もとい、話しておかなければならない事を。
話しかけるタイミングを図っていると、クラウスは何かを思い出したような顔をした。
「ローゼマリー様。お部屋に戻る前に、ご案内したい場所があるのですが」
「? 分かったわ。お願いできるかしら」
生まれ育った城の中で、案内したい場所ってなんだろうと思いつつも了承する。クラウスが私を危険な所に案内するとも思えないし。その辺りは信頼している。
その案内したい場所とやらにつく前に、話しておいた方がいいかな。
こほん、と一つ咳払いをしてから、さも今思い出したという体で話しかけた。
「……そういえば、クラウス。まだ、そうと決まった訳じゃないんだけれど」
「はい?」
じゃれつく子犬のように、キラキラとした目でクラウスは返事をする。
久しぶりに会うと、光度が半端ないな……。
若干目を眇めつつ、話を続けた。
「もし、私に護衛が増えるとしたら……」
言った瞬間、体感温度が数度下がった気がした。
ざわりと一瞬で鳥肌が立ち、続く言葉を飲み込む。
恐る恐るクラウスの方を窺うと、彼は笑顔のまま表情を凍りつかせていた。
悲鳴を上げそうになったのを、既のところで堪える。
キラキラとした目から、ハイライトが消えたように見えるのは目の錯覚だろうか。そうだ、見間違いだ。差し込む光の角度が変わっただけ、うん、絶対そう。
「ク、クラウス?」
自分に言い聞かせながら、一歩後退する。
震えた声で呼びかけると、翠の瞳はにっこりと三日月の形に細められた。
「万全だと思っていたのですが、耳の調子があまり良くなかったようです。もう一度、お聞きしても?」
「…………」
クラウスの完璧な笑顔を見つめながら、私は無言で震えた。
こっわ。なにこれ怖い。
足元を纏わり付いていた子犬に、唐突に噛まれた気分だ。
ヤンデレ属性なんていらないの。お願い、どっかに捨ててきて。
「ローゼマリー様?」
軽く首を傾げたクラウスの顔は、子犬とは言い難い。爽やかな変た……ではなく、爽やかな護衛騎士は狼の顔で笑った。
逃げ出したくなる気持ちを叱咤して、ゴクリと喉を鳴らす。
ここで逃げ出しても何の解決にもならない。ていうか逃げても絶対ついてくるし。
深く呼吸をしてから、クラウスと目を合わせた。
「護衛とはちょっと違うけれど、私に協力してくれる仲間が増えるかもしれないの」
そう言うと、クラウスの顔から迫力のある笑みが消えた。
パチパチと数度瞬いた彼は、少し考える素振りを見せてから「かしこまりました」と恭しく応えた。
「……えっ」
笑顔で脅しておいて、それだけなのか。
戸惑う私を見て、クラウスは少し笑った。さっきの怖い笑顔ではなく、いつもの笑顔ともちょっと違う。年上だと感じさせる落ち着いた笑みだ。
「貴方様の味方ならば、敵対する理由がございません」
「クラウス……貴方」
過去のクラウスに聞かせてやりたいセリフだな。
私の味方であるレオンハルト様に突っかかりまくった人の言葉とは思えないわ。
心の中でツッコミながらも、言葉には出さない。
彼が本気でそう思っているのなら嬉しい変化だからだ。
「完全に貴方様の味方であると確認が出来れば、ですが」
「……えっ?」
不穏な空気を肌で感じた私は、足を止める。
私が立ち止まった事に気づいたクラウスは、数歩先で振り返った。如何されましたか、と問う彼におかしなところはない。
さっきまでの凄みのある笑顔ではなく、普段のクラウスだ。
でも、それが余計に怖い。
「今の言葉は、どういう意味?」
「意味ですか? そのままです」
クラウスは、きょとんと目を丸くした。
「白とも黒ともつかない者を、貴方様のお傍に置く事は出来ません。疑わしい野良犬は、噛み殺してしまうかもしれませんね」
冗談めかして言うが、目が笑っていない。
あはは、と軽やかに響く笑い声に、私はひくりと口の端を引き攣らせた。
クラウスは確かに、前と変わった。
私を守る事を第一に考えてくれているみたいだし、私の意思を無視したりもしない頼もしい護衛になったと思う。
ただ、ちょっと……ううん、結構扱いが難しくなってないですか?
そして、ラーテと相性が良くなさそうだなって思うんだけど、これって考えすぎ?
加入予定の仲間の顔を思い浮かべ、私は無意識に胃の辺りを押さえた。




