転生王女の感謝。
※ほんの少しだけ時間が遡ります。
前の章「或る密偵の遺憾。」で、カラスが砦を出る前の辺りです。
「近衛騎士団長のところまで送る」
先に王都へ戻るというカラスを見送ろうかと思っていたのに、逆にそう言われてしまった。
砦内の移動なのに少し過保護ではないかと思ったけれど、魔王を封印した石を持っているからかと思い当たり、素直に甘える事にした。
「オレは?」
「その場で『待て』だ。出来ないなら捨ててくから」
にやにや笑うラーテを一瞥し、カラスは言い捨てる。
ラーテを部屋に残し、二人でリーバー隊長の執務室を目指した。
重厚な扉をノックするが、いくら待っても返事がない。
「……移動しちゃったのかしら?」
斜め後ろのカラスを振り返ると、彼は首を横に振った。私には聞こえなくとも、高性能なカラスの耳には室内の音が聞こえているのだろう。という事は単純に、話し合いの最中でノックに気付かなかっただけか。
躊躇していると、カラスが「入れば?」と軽く背を押した。
「でも、話の邪魔をしちゃうかも……」
「アンタは聞く権利がある」
カラスの言い方に多少の引っかかりを覚えつつも、扉を開ける。蝶番が軋む音に被せるように、バキッと大きな音が響いた。
私の目に映るのは、握りしめた拳を突き出した姿勢のヴォルター副隊長と、仁王立ちのリーバー隊長だ。
ヴォルター副隊長は激しい怒りを無理やり押さえつけているのか、威嚇する獣のように荒い息をしている。対するリーバー隊長は殴られたのだろう左頬を真っ赤に腫らしながらも、足を踏ん張って立っていた。
私はその光景を呆然と見つめながら、自分が入室のタイミングを間違った事を理解する。
見てはいけない場面を見てしまった。
分かっていても、どうしたらいいか分からない。
棒立ちする私には気付いていないのか、会話は続く。
「貴方には失望しました」
吐き捨てるような声だった。
「奥様を愛してらっしゃるのは知っております。失うかもしれないという時に悪魔に囁かれれば、惑う気持ちも分かる。それでも……それでも、私は貴方が許せない。貴方を慕う隊員達を迷いなく切り捨てられるならば、何故、責任ある立場など受けた!?」
ヴォルター副隊長は、リーバー隊長の胸倉をつかむ。
「貴方の罪は、貴方一人の罪ではない。国王陛下は公正な判断をしてくださるでしょう。ですが、大多数の人間はそうではない。裏切り者の率いていた隊が、今後、まともな扱いを受けられると本気で思っておられるのですか」
「!」
思わず息を呑む。
甘ったれな私はそこまで考えが至らなかったが、副隊長の言い分はもっともだった。所属する一人の行動が、そのまま団体の評価へと繋がってしまう事は間々ある。
私とは違い、リーバー隊長は動揺している様子はない。腫れた頬も血が流れる唇もそのままに、静かにヴォルター副隊長の視線を真っ向から受け止めている。
「姫君」
いつの間にか私の隣へと来ていたレオンハルト様が、気遣わしげな表情で私を覗き込む。
「殿下……」
私の存在に気付いたらしいヴォルター副隊長は、声を詰まらせる。
「とりあえず、もう少し小さな声でね。誰かに聞こえちゃまずいでしょ」
扉を閉めながらカラスが言う。ヴォルター副隊長は僅かに俯き、リーバー隊長から手を放した。
室内に気まずい沈黙が落ちる。
視線を斜め下に固定したまま、暫し逡巡している様子だったヴォルター副隊長は、意を決したように私を見た。
見つめられて戸惑う私の前に、彼は跪く。
「ヴォルター様?」
苦しげな表情で、ヴォルター副隊長は頭を垂れた。
「貴方様の信頼を裏切る形になってしまった事、申し開きのしようもございません。副隊長という立場にありながら、異変に気づかずにのうのうと暮らしていた自分が、恥ずかしい。この命を捧げた程度で贖える罪ではありませんが、どのような処分も喜んでお受け致します」
「貴方の罪ではないでしょう」
「いいえ。すぐ傍にいた上官の裏切りにさえ気付かないなど、軍人にあるまじき愚鈍さ。責任はエルンスト・フォン・リーバーと、私、イザーク・ヴォルターにあります。今すぐにあの男の首を斬り落とし、己の首も掻っ切れと仰るならば、すぐにでもそのように」
そう言ってヴォルター副隊長は、剣の柄に手をかける。
私は青くなりながら、慌てて頭を振った。
「止めてください!」
そんなものは望んでないし、正直、見たくない。
「ヴォルター様。もし貴方に罪があるというのなら、裁くのは私ではありません。そして同じく、リーバー様を裁くのも貴方の役目ではありません」
ヴォルター副隊長は弾かれたように顔をあげた後、恥じ入るみたいに瞳を伏せた。
「……貴方様の仰る通りです。感情的になって、申し訳ありませんでした」
今度はゆっくりと、首を横に振る。
冷徹な彼が感情的になっているのは、それだけリーバー隊長を信頼していたからだ。そして、部下であり仲間である隊員達を、必死に守ろうとしているから。
唇を引き結び、表情を変えずに立ち尽くすリーバー隊長も、きっと同じ。一言も弁解しないのは、大切な仲間を裏切ってしまった自覚があるからだろう。
どうにかしてあげたいと思うのは、たぶん傲慢だ。
簡単に踏み込んでいい問題ではないし、それに私のような小娘に出来る事なんてないに等しい。
……それでも、謝罪一つで済ませたくない。
自分を一つも正当化しない人達の前で、『助けてあげたいけれど無理な理由』なんて言いたくなかった。
「レオン様、カラス」
私は二人を振り返る。
すぐ傍に立っていたレオンハルト様は、短く返事をして、扉に凭れかかっていたカラスは、無言で小首を傾げる。
「情報は、どこまで洩れているでしょうか?」
「エルンストの家人達には、口外を禁じておきました。エルンストが信頼して話した二人は、古くからリーバー家に仕えている者達ですので、言われずとも洩らしたりはしないでしょうが」
唐突な問いに戸惑う事なく、レオンハルト様は淀みなく答えてくれた。
そして引き継ぐみたいに、今度はカラスが口を開く。
「ラプターにも情報は洩れてないはずだよ。ラーテは口封じも兼ねて、ラプター側の刺客を全員消したみたいだし、そもそもあの男は自分しか信用していないから。砦内も、執務室周辺に人影はなかったから大丈夫でしょ」
つまり、リーバー隊長の裏切りを知るのは私達だけ。
心の中で呟いた言葉が聞こえたかのように、カラスは冷たい目で一言付け加えた。
「でも、握り潰せないよ」
「……分かっているわ」
一瞬揺らぎそうになったが、情報を握り潰すつもりはない。
どんなに『そうしたい』と思っても、してはいけない事がある。人として、王族の一人として。
小さく頷くと、カラスは満足そうに笑う。
よく出来ましたと言いたげな顔は、以前は試しているみたいに見えたのだが、最近になって躾をする保護者の顔に見えてきた。
「おそらくですが、リーバー様の罪状は国民に発表されません」
私がそう言うと、ヴォルター副隊長は目を瞠る。
「どのような処分になるにせよ、別の名目で公表されるはずです」
今回の事件を公表するのは、リーバー家はもちろんの事、国境警備隊にも大きなダメージとなるが、国も無傷とはいかない。
国境警備隊の隊長が裏切ったという事実は、国防や国家の信頼問題にまで影響を及ぼす可能性がある。
ならば、公表は愚策。
とはいえ、無罪放免をしてしまえば、前例をつくる事になる。
だとしたらおそらく、リーバー隊長の処分は内々に行われる。
最悪の場合だったとしても、病や事故と発表されるだろう。
「だとしたら、隊員達を……守ることが出来る……?」
ヴォルター副隊長は、小さな声で呟いた。
呆然と佇む彼の白い顔に、僅かに血色が戻り始めている。それを暫く見守っていた私は、少し躊躇してから口を開いた。
「ヴォルター様は先程、私の信頼を裏切ったとおっしゃいましたよね?」
「はい」
理知的な美貌が、苦痛を堪えるみたいに歪む。
ああ、やっちゃった。責めるために繰り返した訳じゃないのに。
「確かに、リーバー様は一度だけ揺らぎました。ですが、一度だけです」
「一度でも二度でも同じことです」
頑なな口調で、ヴォルター副隊長は告げる。
「そう、なんでしょうけど。でも、貴方達の協力なくしては、私は目的を成し遂げられなかったのも事実なんです」
私の言葉に、驚いたのはヴォルター副隊長だけではなかった。
無表情だったリーバー隊長は、驚きと困惑の表情を浮かべている。
でも、これは事実。
リーバー隊長が神殿の場所を調べてくれなかったら。ヴォルター副隊長の民話の資料がなかったら。私はきっと、魔王まで辿り着かなかった。
「それに、国境警備隊の皆さんが守ってくださるから、私達は安心して暮らしてこられたのです」
リーバー隊長という実力者が砦の隊長だった事は、ラプターへの牽制にもなっていただろう。
それに国境警備隊の皆がこの地を守っていてくれたからこそ、戦争は起こっていない。ゲームの中のように、悲惨な状況に追い詰められずに済んだ。
「一度の過ちでも、なかった事には出来ません。けれど同じように、貴方達の助力や功績も、なかった事にはならない」
たとえ綺麗事だと言われても、これだけは伝えたい。
「守ってくださって、ありがとうございます」
たくさん協力してくれて、ありがとう。
いつも守ってくれて、ありがとう。
たぶん他にもいっぱい、感謝するべき事は沢山あるけれど。これ以上はきっと、嘘くさくなるから、これくらいが丁度いい。
「……もったいない、お言葉です」
図らずも重なった二人の声は、同じように掠れていた。
相変わらず甘いね、なんて言いながらカラスは部屋を出ていく。そのまま王都へ帰るのだろう。
レオンハルト様は、何も言わずに微笑む。
優しく細められた黒い瞳は、カラスの眼差しに少し似ているような気もしたけれど、不思議と子供扱いされているとは思わなかった。




