或る密偵の遺憾。
※ネーベル王国密偵 カラス視点になります。
砦に移動したオレ達は、国境警備隊隊長と近衛騎士団長、そしてオレと姫さんと害悪とに分かれた。近衛騎士団長から姫さんの護衛を一時的に任されたオレは、用意してもらった部屋で簡単な説明を受けた。
陛下からの密命を受け、辺境へやってきた姫さんが現状に至るまでに何が起こったのか。そして薄ら笑いを浮かべる元同僚が、なんだって姫さんと一緒にいるのかを。
「それで、コイツと一緒にいた訳だ」
「……はい」
腕組みをしてふんぞり返るオレの前で、姫さんは小さくなって返事をした。借りてきた猫のような様子から察するに、オレが不機嫌な事は伝わっているらしい。
「なぁ、娘さん」
溜息を吐き出すと、姫さんの細い肩がビクリと揺れた。
「……はい」
応えたのは、姫さんらしくもない小さな声。
でも生憎と、可哀想だから見逃してやろうという気持ちは微塵もなかった。
「アンタが雇用を受け入れるか否かの返事を、即答しなかったことは評価する」
「え?」
想定していなかった方向に話が流れ、姫さんは虚を衝かれたように顔をあげる。
姫さんは、世間知らずのお嬢様ではない。
甘い部分はもちろんあるが、自分の立場や影響力をちゃんと把握している。
敵国の暗殺者であったラーテを、自分一人の判断で王城に入れては駄目だと理解しているからこそ、返事を保留しているのだろう。
ただ、「協力してくれたのに、放り投げる事は出来ない」と顔に書いてあるのが問題だ。
理想を追い求めているのに、現実もちゃんと見えている。姫さんのそういう部分は、密かに気に入っている。真っ直ぐなところも、嫌いではない。
……でも、今回は別だ。
徐に腕組みを解き、ドアを指差す。
「元いた場所に戻してきなさい」
「そんな! そんな事言わないで、お母さ……カラス!」
誰がお母さんだ。
「駄目だ。どうせオレが面倒見る羽目になるんだから」
「父様には自分で言うわ。カラスに面倒はかけないから!」
捨て犬を拾ってきた娘との押し問答みたいになってきた。これでは本当に母親だ。冗談じゃない。
視界の隅で肩を震わせている男の存在に苛つきながら、オレはグシャグシャと自分の髪を掻き毟った。
この野郎……今、「わん」って言ったの聞こえたからな。笑ってんのも見えてるから。姫さんの見てないところで、細切れにして捨ててやりたい。
「コイツは昔の知り合いでね。たちの悪さもよく知っている。こんな厄介な奴、アンタの手には負えない」
名前を呼んだ時点で察しはついていただろうが、わざわざ明言したのは、コイツの危険性について理解して欲しかったからだ。
「優しげな見た目に騙されると、痛い目にあうのがオチだ」
「……見た目通りの紳士だとは思っていないわ」
姫さんは眉を下げて、苦笑いを浮かべる。
オレは彼女の言葉に、目を丸くした。
「酷いなぁ、お嬢さん。オレは君に対しては、誠実な紳士のつもりだよ」
「誠実な紳士は人を試したりしません」
姫さんは、冷たい目でラーテを一瞥する。
ラーテは至極楽しそうに目を細める。今まで見た事のない、満足そうな表情だった。
「じゃあ、訂正。これから先は君にだけは誠実であると誓おう」
「!」
姫さんは少し驚いたような顔をしているが、オレが受けた衝撃の方が大きかった。ラーテは、無駄な嘘は吐かない。嘘を吐くのではなく表情で、ラーテに都合の良い勘違いをさせるのが常だ。
自分が不利になるような条件を、わざわざ口にするなんて有り得ない。しかも、姫さんはその言葉の重要性を理解していないにも拘らず、だ。
つまり、姫さんに対しての言葉というよりも、オレに聞かせる為のもの。本気で姫さんに仕える気があるのだと宣言したのだ。
「……相変わらず、性格悪い」
舌打ちすると、ラーテは胡散臭いほど爽やかな顔で笑った。
「褒め言葉として受け取っておくね」
「どんだけ前向きなんだよ」
ぼそっと呟いた嫌味は聞こえているのだろうが、黙殺された。
本当に食えない男だ。目を伏せたオレは、溜息一つで苛立ちを逃した。
「……娘さん」
「はい?」
「コイツはオレが預かる」
姫さんは一瞬、驚きの表情を見せたものの、すぐにその顔つきは凛々しいものへと変わる。言葉の意味を正しく理解したであろう姫さんに、オレは誇らしさと同時に苦々しさを感じた。
なにが悲しくて、自国の宝に虫がたかるのを手伝わなければならないのか。
「アンタの手元に返せるかどうかは、アンタのお父様次第だと思って」
姫さんは唇を噛み、迷いを振り切るように瞳を伏せる。再び顔を上げた姫さんは、真剣な表情でラーテを見た。
「私は、必ず貴方を迎えに行くとは言えない。それでもいい?」
姫さんは馬鹿正直に、言わなくていい事を言う。本当に駆け引きが下手な人だ。でも、それでいい。その青さと、高潔さ。相反するような思慮深さこそが、人を惹き付けるのだから。
現にラーテは不満そうな素振りを全くみせず、鷹揚に頷いた。
「もちろん。お買い得だって事を、ちゃんと証明してくるから待っていて」
こうしてオレは、物騒極まりない元同僚という名の荷物運搬を請け負った訳だ。
姫さんを近衛騎士団長に託し、ラーテを連れて、先に王城を目指す。
足に報告書を括り付け、空へと放す。黒い相棒は、了解とばかりに上空を三度ほど旋回してから、空の彼方へ消えていった。
「さて、じゃあ宜しくお願いしますね。先輩?」
にっこり笑うラーテを一瞥し、オレは馬の腹を軽く蹴った。ラーテも同じように馬を走らせる。
その辺に埋めて帰りたい。捨てて帰るとネーベルが汚染されそうだから、きっちり焼却処分して、清々しい気持ちで帰りたい。
「それにしても、久しぶりだね、カラス。まさか生きているとは思わなかった」
「お陰様でなんとか。殺しても死ななそうなアンタと違って、繊細だからね」
「あはは、面白ーい。昔の君ならともかく、今の君はオレと大差ないくらい図太くなっているじゃないか」
「殺されたいの?」
嫌味を綺麗に打ち返してきやがった。
コイツとあとどれだけ一緒にいなきゃならないんだ。城に到着するよりも、心労でオレが倒れる方が先なんじゃないか?
やっぱり、その辺に埋めて帰ろう。姫さんには、色々頑張ったんだけど駄目だったと報告して、その辺で捕まえてきた犬でも代わりにあげよう。それがいい。そうしよう。
「まだ君には殺せないと思うよ」
ラーテはうっそりと笑う。纏う雰囲気が一変した。
心情的な甘さを指摘しているのではなく、技術的に劣るのだと真正面から告げられて、オレは本気の殺意を覚える。
「……さっさとくたばれ、老害」
吐き捨てると、ラーテは目を細める。さっきまでの胡散臭い顔に戻ったラーテは、酷いなぁと空々しい声で言った。
本当に、忌々しい。
なんだって姫さんは、こんな一歩間違えば劇薬になりかねない危険物を拾ってきたのか。
もう一度溜息を吐き出したい気持ちを抑え、オレは再び馬を走らせた。




