転生王女の混沌。
聞いているこちらの胸まで締め付けられるような悲痛な慟哭が止んで、一時間足らず。私達の待つ部屋までやってきたリーバー隊長は、泣き腫らした目を隠しもせずに、私に向かい頭を下げた。
「お待たせ致しました」
真っ赤な目は痛々しいが、落ち着いた様子だ。表情から迷いが消えたように見えるのは、気の所為だろうか。
凛々しい顔つきは、自暴自棄になっているというより、なにかしらの覚悟をした人間のソレに見えた。
「行きましょう」
「……いいのですか」
言ってから、自分の失言に気付く。良いも悪いもない。私の権限では、これ以上の時間をあげる事は出来ないのだから。
それでも、聞かずにはいられなかった。奥様の葬儀にも出られないなんて、辛すぎる。
リーバー隊長は私の思考を読み取ったかのように、ゆっくりと頷いた。
「別れは済ませました。後は信頼できる家人に任せます」
「家人には説明をしたのか?」
今まで黙っていたレオンハルト様が、言葉少なに問う。
確かに、そこは気になる。奥様の葬儀に出られない事だけではない。予想よりも罰が軽くなったとしても、この家でそのまま暮らすのはもう無理だろう。
「代表して二人ほどに伝えた。ティアナ付きの侍女には、強烈なのを一発貰ったよ」
苦笑するリーバー隊長の頬は、よく見ると少し赤くなっている。泣いたせいで目元が腫れていたから気付かなかった。
家人が主人に手を挙げるというのは驚きだが、家族のような関係を築いていたのだと思えば、そう不思議でもないのかもしれない。たとえ相手が主人であっても、間違いだと思えば叱る。それはある意味、理想的な主従関係だと感じた。
「いい気味だ」
腕組みをしたレオンハルト様は、そっぽを向いてフンと鼻を鳴らす。
「……お前が捨てようとしていたものの重みを、ちゃんと噛み締めろ」
ボソリと付け加えられた言葉に、リーバー隊長は軽く目を瞠った。次いで目を細めたリーバー隊長は、「本当にな」と微かに口角を上げる。泣き笑うみたいな笑い方だった。
笑いをおさめたリーバー隊長は、私を見た。視線に応えるように軽く首を傾げると、リーバー隊長は「殿下」と呼びかける。
改まった態度に思わず背筋が伸びた。彼はそんな私を真っ直ぐに見つめた後、深々と頭を下げる。
「え……」
戸惑った私は助けを求めるようにレオンハルト様を見るが、見定めるような厳しい目でリーバー隊長を見つめている。うろ、と彷徨わせた視線をリーバー隊長へ戻すと、それが見えているかのように彼は口を開いた。
「止めてくださって、ありがとうございました」
「!」
虚を衝かれ、目を丸くする。
「愚かなオレは色んなものを傷つけましたが、貴方様のお陰で最後の一歩で踏み止まる事が出来ました。心より、感謝致します」
「そ、そんな立派な事はしていません」
なんか凄く美化されている気がする。
私がした事って、キレて怒鳴り散らしただけだと思うんだ。
確かに止めてくださいとは言ったけれど、それだけ。結局の所、私が一番怒ったのって国を裏切ったとか、魔王を私欲のために利用したって事じゃなくて、レオンハルト様を傷つけようとしたという部分だからね。
恋愛脳の小娘がヒステリーを起こして、お礼を言われるとか訳が分からない。
青くなって顔と手をブンブンと振る私を見て、リーバー隊長は眦を緩めた。
「あの時の殿下は、大層勇ましかった。痺れましたよ」
レオンハルト様の前で蒸し返さないで欲しいと切に願う。
「殿下と妻のお陰で目が醒めました。もう馬鹿な真似はしないと、お約束致します」
「リーバー様……」
少しの間でも、奥様と言葉が交わせたのか。それが無理だとしても、何らかの方法で思いを伝えてくれたのだろう。
リーバー隊長の顔には、悲しみが色濃く残っていたが、それでも真っ直ぐな瞳に嘘はないと思った。
「それと、レオンハルト」
「……なんだ」
リーバー隊長の呼びかけに、レオンハルト様は不機嫌そうに返事をする。
一生許さないと言ったのに、なんだかんだで無視も出来ない。やっぱりレオンハルト様は、優しい人だ。
「何があろうとも、今後、オレは最期まで生き抜く。自分勝手に命を絶ったりしない。……見届けてもらえたら、嬉しい」
リーバー隊長の宣言を聞いたレオンハルト様は、暫し沈黙した後、目を伏せて頷いた。
その後、ラーテと合流した私達は、急いで砦へと戻る。
リーバー隊長の処分がどうあれ、国境警備隊の隊長を続けるのはもう無理だ。
近いうちに大幅な人事異動をする事になるだろうが、仮措置として国境警備隊の指揮を次席であるヴォルター副隊長に委ねなければならない。
それに伴い、もちろん、ヴォルター副隊長には事の成り行きを説明する必要がある。
分かっている。仕方のない事だと理解している。
でも、裏切りを告白するリーバー隊長の心情を思うと辛いし、打ち明けられるヴォルター副隊長の心境も想像するだけでキツい。
砦までの道中、第三者であるはずの私の胃がシクシクと痛みを訴える。
未来に起こり得る騒動を思い浮かべ、こっそりと胃の辺りをさすっていた。
しかし、もうすぐ砦の門が見えるというタイミングで、予想外の騒動が起こった。
街道に面した林の横を通り過ぎようとした時、唐突にラーテとレオンハルト様が、ほぼ同時に身構える。数秒遅れでリーバー隊長が反応した時、風を切るような音を聞いた。
「マリー様っ!」
レオンハルト様は守るように私を抱え込んだが、事態についていけていない私は、目を白黒させるばかりだ。
馬のいななきと剣を抜く音。次いで、誰かが走り抜けるような気配。
敵襲だと判断した私が咄嗟に顔をあげると、黒い外套を翻した人間が、ラーテに襲いかかっているところだった。
なんで、ラーテを?
予想外すぎる展開に混乱してしまう。
馬から飛び下りたラーテを襲撃者はナイフで斬りつける。しかしラーテは攻撃をなんなく躱し、自分もナイフを引き抜いた。
「おかしいな。全員始末したから、追手がかかるにしても、もう少し遅いと思ったんだけど」
ラーテは、失敗したと言わんばかりの苦笑いを浮かべる。命を狙われているとは思えない、のんびりとした口調だ。
相手は問答無用だとばかりに、無言で攻撃を繰り出す。ラーテはその全てを、器用に受け流した。
レオンハルト様に助太刀をお願いしようと思ったが、素人目にもラーテが強い事が分かったので、つい見守ってしまう。
襲撃者の攻撃はかなり早く、少しでも対応が遅れたら命取りなのに。ラーテの行動一つ一つに余裕があるから、なんか大丈夫そうだと無責任にも思ってしまうんだ。
「しかも、なんか懐かしい感じするんだけどな。気の所為?」
ひゅ、と軽く振ったラーテのナイフが、襲撃者の外套のフードを掠める。
フードが背後にストンと落ちて、艶のある黒髪がこぼれ落ちた。
「気の所為だったら、良かったのにな。ここでさよならだ、ラーテ」
その声に、聞き覚えがあった。そして見間違いでなければ、後ろ姿にも見覚えがある。
ゲームの中でも知り合いだったんだよね、そういえば、とか。
でもなんで襲っているんだ、とか。
咄嗟に働くほど、私の脳みそは高性能ではなかったけれど。
止めなければならない事だけは、分かった。
「待って、カラス! それ誤解だと思う!!」
それ、という代名詞が何を示しているのか、自分でも分からないまま、取り敢えず叫んだ。




