転生王女の哀情。
パスカル小隊長と別れ、私達は可能な限りの速さでリーバー隊長の自宅を目指す。
「っ、ぐ」
疲労と寝不足で体調は最悪。大きく揺れる度にこみ上げてくる吐き気を、無理やり顔をあげて、冷たい空気と共に飲み下す。
「姫君、大丈夫ですか」
耳元に直接、レオンハルト様の声が響く。振り返る事は出来ないけれど、たぶん心配そうな顔をさせてしまっているんだろう。
それでも、泣き言を言う気はなかった。
「平気です」
前を向いたまま、なるべく平静を装って告げる。でもたぶん、私の強がりは筒抜けなんだろう。大きな手が、励ますように私の手を一度握って離れた。
砦より近いと言ったのはその場しのぎの嘘ではないはずだが、随分と遠く感じる。
地平線から顔を出したばかりだった太陽は、どんどんと高くなり、ポツポツと点在している民家からは、煮炊きの煙が上り始めた。
人々の営みが、時間の経過を嫌というほど感じさせる。
刻一刻と過ぎていく時間に、焦りを感じているのはたぶん私だけではない。
広大な畑が両脇に続く道を抜けると、ポツンと立つ一軒の家が見えてきた。小さなカントリーハウスを思わせる建物だ。
目的地はどうやら、あそこらしい。
リーバー隊長は着くなり、馬から飛び降りて玄関に向かって駆けていく。その速さに驚きと焦りを感じながら、私はレオンハルト様に馬からおろしてもらった。
「ラーテ、貴方は……」
「オレは留守番しとくよ。ここで馬と待ってるね」
ラーテは笑って、ひらひらと手を振る。彼に手綱を任せ、私とレオンハルト様はリーバー隊長の後を追った。
「戻ったぞ!」
返事を待たずにドアを開け、中へと入っていく。
荒々しい靴音とリーバー隊長の声だけが、屋内に響く。家の中は、驚くほどに静かだった。人の気配が、殆どない。
静かな室内と相反するように、早鐘を打つ心臓の音が煩い。
背筋がザワザワする。なぜか、落ち着かない心地になった。
「スヴェン、いないのか!?」
「旦那様……っ」
何度目かの呼びかけに、声が返る。
現れたのは細身の男性。綺麗な白髪を後ろに撫で付け、執事服を着こなした品の良さそうな、六十すぎくらいの紳士だ。
「スヴェン! ティアナは!?」
細い肩を掴み、リーバー隊長は詰め寄る。
スヴェンと呼ばれた男性は、リーバー隊長の視線から逃れるように俯く。
深く皺が刻まれた目元に陰が落ちて、表情がよく分からなくなった。けれど、乾いてヒビ割れた唇が震えているのが見えた。
「奥様は……っ」
唇と同様に、声も震えている。
消えた言葉の先を問いかけるのは、酷く恐ろしい事のように感じた。
間に、合わなかった……?
まともに働かない頭で導き出す結論は、感情論で捏ね繰り回した結果よりも余程シンプルだった。故に、残酷な現実を突きつける。
奥の部屋から、すすり泣く声が聞こえてくる。家人らしき女性達が、身を寄せ合いながら出てきた。
現状が一つ一つ、子供に言い含める大人の言葉のように、分かりやすく私の予想を肯定する。
間に合わなかったんだ――。
頭の中で言葉を繰り返す。
ぐわん、と目の前の景色が揺れた。
「マリー様!」
ふらりと蹌踉めきそうになる私を、レオンハルト様が支えてくれた。
触れた手は、ひやりと冷たい。見上げたレオンハルト様の顔色も、紙のように白かった。
「だい、じょうぶ、です」
倒れている場合じゃない。
凭れ掛かっていたレオンハルト様から体を離し、一人で立つ。
視線を向けると、リーバー隊長は無言で立ち尽くしていた。横顔からは、感情を読み取ることは出来ない。ただじっと佇む姿は、落ち着いているようにも、放心しているようにも見えた。
どれだけ時間が経ったのか分からない。数十分にも、数秒にも感じた。
沈黙を破ったのは、リーバー隊長だった。
「……そうか」
リーバー隊長は、取り乱したりしなかった。
静かな声で呟いた彼は、スヴェンさんの肩を労るように撫でる。
「妻に……ティニーに会ってくるよ」
ふらりと歩き出したリーバー隊長は、家人の女性達の横をすり抜けて奥の部屋へと入っていく。
彼にかける言葉は、なにも思いつかなかった。
「……お客様をもてなしもせず、申し訳ありません。お飲み物をご用意致しますので、どうぞこちらへ」
呆然と佇む私達に声をかけたのは、スヴェンと呼ばれた執事の男性だ。
我に返った私は、慌てて頭を振る。
「どうか、お気遣いなく」
固辞しようとするが、スヴェンさんは青白い顔で微笑む。「動いていた方が、気が紛れるのです」と泣き腫らした赤い目で言われてしまって、それ以上食い下がる事は出来なかった。
別室に通された私は、ぼんやりと室内の様子を眺める。
白い漆喰壁に、明るい色味の木の梁。張り出した窓は、木の飾り格子の嵌った両開き戸。カーテンは小花模様の厚手のものと、レースの組み合わせ。煉瓦の暖炉に、飾り棚に並べられた陶器の人形。可愛らしい紐で纏められたドライフラワー。
貴族の邸宅というよりは、童話の中に出てきそうな可愛らしいお家。外側も内側も、女性の好みそうなもので統一されている。
リーバー隊長が奥様の好むものを集めてつくったんだろう。
雇っている人もおそらく最小限。
きっとここは、奥様が心安らかに暮らす為に建てられた、奥様のためのお城なんだ。
「姫君」
私を驚かせないためか、静かな声で呼びかける。
レオンハルト様は棒立ちになっていた私の手を取り、「座りましょう」とソファーへと導いた。
誘導されるがままに腰を下ろしたのは、ベージュ生地に花模様の布張りソファー。テーブルと揃えの猫脚は色合いからしてウォールナットだろう。
小さくて可愛らしい家具と華やかな内装。何処を見ても、リーバー隊長には全然似合わない。でも、だからこそ、奥様への愛に溢れていた。
「……っ」
ヒクッと喉が引きつったような音をたてる。目頭が熱い。手のひらを握りしめて、涙の衝動をやり過ごす。
悲しいのか、苦しいのか、それとも怒っているのか。
自分の感情さえも、把握出来ない。
自分がやった事が間違っているとは思わない。
奥様を魔王の依代にするなんて、絶対にしちゃいけない事だと理解している。でも、こんな風に愛情の欠片を目にしただけでも揺らぐ。
なんとか出来なかったのかな。
本当に、私にできることはなかったの?
「姫君」
レオンハルト様は私の前の床に跪く。俯いた私を下から覗き込んだ彼は、ソファーの上に放り出された私の手に、上から手を重ねた。
掌に爪が食い込むのを咎めるみたいに、ゆっくりと開かされる。指の間に指が入り込んで絡め取られた。
「貴方は貴方に出来る最善を尽くした」
「っ……!」
「傷つく度に、自分を責めるのは止めてください。もっと、何か出来たはずだなんて、全てを背負わなくていいんです。貴方は貴方自身にだけ厳しすぎる」
レオンハルト様は眉を下げて、困り顔で言った後に苦く笑う。
ネガティブな方向へと落ちていく私の思考は、彼にはダダ漏れだったようだ。
「……エルンストの痛みも苦しみも、奥方の思いも、オレ達には分かりません。二人が互いに向けた思いは、二人だけのものだ」
繋いでいない方の手が、私の頭を優しく撫でた。
レオンハルト様の手のぬくもりが、頑なな私の心も解いていく。
そうだ。何か出来たかもなんて傲慢だ。
ましてや、二人の苦しみを理解しようなんて、独りよがりもいいところ。そんなの誰も望んでない。
「オレ達に出来る事は、静かに待つ事。……それだけです」
レオンハルト様の言葉に、私は小さく頷いた。
ずび、と鼻を鳴らして目元を擦ろうとすると、レオンハルト様は優しく眦を緩め、滲んだ涙を拭ってくれる。
いつもは子供扱いされたと複雑になる、世話好きの兄みたいな仕草が、今はただ心地よかった。




