転生王女の叫び。(2)
「どういうことだ、エルンスト」
荒らげた訳でもない声は、やけに良く通った。
静かな問いは、平坦だからこそ余計、恐ろしく聞こえる。
しかし、リーバー隊長は怯む様子を見せない。
「どういう、ね」
リーバー隊長は独り言のように呟いた。レオンハルト様から視線を外すと、暗闇に向けて石を放る。石が割れる光景が鮮明に頭に浮かび、思わず顔を手で覆った。
けれど、石が割れる音はいつまで経っても聞こえない。
そっと目を開けると、いつの間にか暗闇の中に一人の男性が立っていた。彼の手の中には魔王の封じられた石が握られている。
「確かにお預かりしました」
こちらに見せつけるかのように石を掲げ、端正な顔に微笑みを浮かべるその人は、村の飲食店で会った青年……ラーテだった。
やはり、ラーテはラプターの人間だったのか。
彼が敵側の人間だと知って、ショックを受けてはいる。でもリーバー隊長の裏切りの衝撃が大きすぎて、頭が働かない。
「こういう事だ」
リーバー隊長が淡々と告げると、レオンハルト様は苦痛を堪えるように顔を歪めた。一ヶ月未満の付き合いである私が、現実を受け止めきれていないのだ。レオンハルト様の痛みは如何ばかりか。想像も出来ない。
「王国を、裏切るというのか」
レオンハルト様が絞り出した声は、激情を押さえつけているかのように掠れていた。視線の鋭さに、向けられた訳でもない私が気圧されそうになる。
けれどリーバー隊長は、動じることなく、さも楽しげに喉を鳴らした。
「裏切る?」
言葉を繰り返したリーバー隊長は、口角を釣り上げる。酷薄に、偽悪的に、笑って言い放った。
「今更だ。もうとっくに、売り渡している」
リーバー隊長は、私を軽く突き飛ばす。
よろける私を見て、レオンハルト様はカッと目を見開いた。
「エルンストォオオオオッ!!」
獣の咆哮のような絶叫が響く。レオンハルト様は床を蹴った。同時にリーバー隊長は、松明を床に投げ捨てる。
上から振り下ろされたレオンハルト様の一撃を、リーバー隊長は剣で受け止める。ギィンと、勢いよく鋼と鋼がぶつかり火花が散った。
「レオン様……っ!」
「おっと、動かないでね」
駆け寄ろうとした私の手を、ラーテが掴む。
「下手に近寄ると、怪我じゃ済まないと思うよ」
ラーテは私を引き寄せて、後退させた。
従うのは悔しいが、ラーテの言う通りだった。レオンハルト様とリーバー隊長の戦いは、目で追うのも難しいくらいの速さで繰り広げられている。いつもの冷静なレオンハルト様ならまだしも、今の彼に私の言葉が届くとも思えなかった。
止めたいと思うのに、止める術が見つからない。
唇を噛み締めた私は、ただ戦いを見守る事しか出来なかった。
行き場のない怒りをぶつけるみたいに、レオンハルト様は剣を振り下ろす。しかし、重い攻撃をリーバー隊長はいとも簡単に受け止めてみせた。
激しい戦闘の最中だとは思えないほど、彼は楽しそうに笑う。
「まさかお前と本気で戦うことになるとはな! いつぶりだ? なあ、レオンハルト!」
「ふざけるな!!」
まるで訓練の最中みたいなリーバー隊長の軽口を、レオンハルト様は一蹴した。怒鳴るのと同時に切り払うように剣を振ると、リーバー隊長は手甲で剣を受け止め、弾き飛ばす。
リーバー隊長は、お返しとばかりに顔目掛けて剣を突き入れた。すれすれで顔を反らして避けたレオンハルト様の黒髪が一房、ハラリと散る。
レオンハルト様はリーバー隊長の胴を蹴って、距離を取った。
薄暗い空間に、荒い呼吸音が響く。
見つめ合っていた二人は、距離をとったまま同時に駆け出した。転がったままの松明が、空気の流れによって大きく揺らめく。壁に照らされた二人の影が、打ち合う度に、硬質な音が建物内に反響した。
「何故だ!! 何故、裏切った!?」
斬り結び、至近距離で睨み合いながらレオンハルト様は叫んだ。
「理由は分かっているんじゃないかっ?」
リーバー隊長は剣の向きを傾け、刃を滑らす。鍔で跳ね上げて袈裟懸けに振り下ろした。レオンハルト様はそれを後方に跳んで避ける。
「察しの良いお前なら、オレが裏切る可能性に気付いていたんだろう。ラプターに何度も先回りされて、『もしや』と思ったはずだ。だが、友情という不確かな感情が、お前の目を曇らせた! 違うか!?」
「お前がそれを言うのか……!!」
振り下ろされた剣撃を、リーバー隊長は打ち返す。
薙ぐように斬り返したリーバー隊長の剣を、レオンハルト様は屈んで避ける。ギギッと耳障りな音と共に、背後の柱に深い傷がついた。レオンハルト様はその体勢のまま、リーバー隊長の足を引っ掛ける。
手をついたリーバー隊長を上から突き刺すが、彼は横に転がってそれを避けた。体勢を立て直すと、逆にレオンハルト様の足元を剣で払う。レオンハルト様は跳躍して回避した。
足元で斬り結び、弾き飛ばして、今度は上で斬り結ぶ。凄まじい速さで繰り返される眼の前の戦いに、息をするのも忘れそうだ。
「騎士様の戦い方じゃねえな、レオンハルト!」
「殺す気でやってるからな。お上品に名乗りを上げたきゃ、あの世でやれ!!」
吐き捨てるように言ったレオンハルト様は、剣を突き入れた。リーバー隊長の頬に赤い筋が走る。間髪入れずに今度は左手を、掌底のように突き出す。胸を突き飛ばされて体勢を崩したリーバー隊長に向けて、レオンハルト様は剣を振り下ろした。
リーバー隊長は、その攻撃をギリギリで受け止める。
「怖い、怖い」
息を乱したリーバー隊長は、喉の奥で笑った。
楽しそうなリーバー隊長に対して、レオンハルト様は酷く辛そうだった。肉体的にではなく、心情的に。見たこともないほど厳しい顔をしているが、怖いというよりは哀しい。あんな顔、見たくなかった。あんな顔をさせたくなかった。
「そんな必死な顔をしたお前は、初めて見るな」
「そうだな。そしてお前が見るのはこれが最後だ」
斬り結んだ体勢で、二人は会話する。
もうちょっと見たかったなあ、とリーバー隊長は、冗談なのか本気なのか分からない口調で呟く。そう言った彼は、砦で私にレオンハルト様の昔話をしてくれた時の、優しい表情で笑った。
「今のお前になら、分かるだろうよ。オレが何故、こんな愚かな行動に出たか」
「……黙れ」
リーバー隊長の言葉に、レオンハルト様の肩が僅かに跳ねる。
今までリーバー隊長の話を流していただけだったのに、何故か今、動揺しているように感じた。
「やっぱり分かるか」
リーバー隊長は嬉しげに目を細めた。
「……なあ、レオンハルト。かけがえのない存在を見つけるという事は、至上の幸福だが」
「黙れ!」
話し続けるリーバー隊長の声を掻き消すように、レオンハルト様は声を荒らげた。
「同時に、失うかもしれない恐怖に、常に付きまとわれるということでもある」
「黙れと言っているだろうが……っ!!」
キィン、と硬質な音が鳴った。
弾き飛ばされた剣が弧を描いて、床に落下する。派手な音と共に床を滑り、壁にぶつかって止まった。
レオンハルト様はリーバー隊長の喉に、切っ先を突きつける。
肩で息をする二人の荒い呼吸の音だけが、室内に響いた。
決着がついた。ついて、しまった。
誰もその場を動かない。
一瞬とも永遠とも思えるような静寂を破ったのは、リーバー隊長だった。
「……殺さないのか?」
凪いだ瞳で、リーバー隊長は問う。軽く首を傾げて微笑む彼の表情からは、焦りも憤りも読み取れない。
もしかして、この結末を予想していたのだろうか。奥様以外の全てを捨てておきながらも、心の奥底では、レオンハルト様に止めて欲しいと願っていたのか。
「…………」
レオンハルト様は無言のまま、ただリーバー隊長を見つめていた。静かなその瞳が、思いつめているようにも見えて、私は息を呑む。
こんなのは嫌だ。こんな結末は馬鹿げている。
「レオン様、止めてください」
私の声は聞こえているだろうが、レオンハルト様は返事をしてくれない。
焦れた私が一歩踏み出すが、ラーテの手に止められた。離してと振り払おうとするけれど、男の人の力には敵わない。
私がもたついている間にも、リーバー隊長はレオンハルト様を追い詰める言葉を続ける。
「オレは王国を、お前の大切な方を裏切った男だ。それでも生かしておくのか?」
「リーバー様っ!」
苛立ちのままに叫ぶ。
もう黙れと、蹴り倒してしまいたかった。私の大切な人を、これ以上追い詰めないで。もう沢山、傷ついているのに、まだ傷を増やそうなんて許せない。
「早くオレを片付けて、殿下と一緒に逃げた方がいいんじゃないか? ラプターの間者が周囲を取り囲んでいるぞ」
「……そうだな」
レオンハルト様は、泣き笑うように顔を歪めた。
その顔に覚悟を見つけてしまった気がして、私は必死に叫ぶ。
「止めて、やめてくださいっ! そんなこと、しなくていいです!!」
見たくないと思った。
正義感ではなく私のエゴで、願う。絶対にその光景を見たくない。
駄々をこねる子供みたいに頭を振る私に、リーバー隊長は苦笑した。
「お優しい殿下、どうか貴方は目を瞑っていてください。レオンハルトが役目を果たすまで」
宥めるような優しい声を聞いた瞬間、脳の神経が焼ききれそうな強い感情が、湧き上がってきた。
感情の高ぶりで、体が震える。
お優しい? 誰が?
レオンハルト様の役目? 何が?
何も分かっていないのに、勝手な事を言うな。
「……んな」
湧き上がった感情は、悲しみではない。苦しみでもない。
ただ純粋な、怒りだけが私を支配していた。
ダン、と思いっきり床を踏みしめた。
視線が私へと集まった瞬間に、大きな声で叫んだ。
「ふっざけんなっ!! レオンハルト様に、そんな事をさせないで!!」
喉の奥から絞り出すように、絶叫する。この世界に生まれて初めて、こんなにも声を出したんじゃないかってくらい、大声で思いを吐き出した。




