転生王女の焦慮。(2)
お爺さんと別れた私達は、すぐに村を後にした。
ピックアップされた村の候補のうち、残りは一つ。これ以上の遅れは許されない。取り返しのつかない事態になる。
強行軍になると忠告してくれたレオンハルト様に、私は無言で固く頷いた。
行きは一日半以上かけた道程を、半分の時間で駆け抜ける。
休憩を何回か挟んだが、ほぼずっと馬の上。丈夫だと思っていた三半規管が、怪しげになってきた。何度か旅をしているうちに、体力にも自信がついてきたところだったが、勘違いだったかもしれない。振り落とされないように、しがみついているので精一杯だ。
目的地の村に辿り着いた時には、辺りは真っ暗になっていた。
私は既にヘロヘロのヨロヨロで、レオンハルト様に支えられながら馬をおりる始末だった。お荷物で、誠に申し訳ない……。
レオンハルト様は神殿には直接向かわず、宿屋に私を連れて行った。
支えなくしては歩くことも出来ない、要介護な私を連れて歩くのは危険だと判断したのだろう。レオンハルト様は、ベッドに座らせた私の前に跪いた。
「一人で様子を見てきます。一時間程で一度戻りますので、貴女は宿から決して出ないでください。いいですね?」
念を押されて、私は小さく頷く。
私が一緒に行く方が危険度は増すだろうと、分かっていても心配だ。暗闇の中、一人で歩くレオンハルト様を思い浮かべるだけで、心臓がきゅうと引き絞られるみたいに痛む。
不細工な顔で俯く私を見て、レオンハルト様は苦笑した。ぽん、と頭に大きな手が置かれる。
「心配しないで。危ないことはしないと約束します」
「……はい」
スカートを握りしめて、噛み締めていた唇を解く。
「気をつけて」
笑ったつもりだけど、たぶん失敗した。レオンハルト様が、困った顔をしていたから。
「待っている間、体を休めてくださいね。寝てしまっても構わないから」
過保護なレオンハルト様は、自分の身ではなく私のことばかり心配していた。
出て行くレオンハルト様を見送って、ベッドに戻っても眠る気にはならなかった。体は疲れ切っていたけれど、目を閉じても睡魔はやって来ない。
ベッドを下りて、意味もなく部屋の中をウロウロしてしまう。窓際に近付いて、そっと木戸を押して開けた。
凍りつくような冷たい空気が、するりと首筋を撫でて部屋の中へ入ってくる。
見下ろしても真っ暗で、景色は殆ど見えない。家々の窓から洩れる光と、煙突から立ち上る煙だけがうっすらと視認出来る程度だ。何処に神殿があって、何処にレオンハルト様がいるのか、全然分からない。
不安ばかりが大きくなって、頭の中の他の情報を押し出そうとする。窓枠を掴む手に力が籠もって、パキリと木が軋む音をたてた。
怖い。待つって、どうしてこんなにも怖いんだろう。
ルッツとテオが誘拐された時も、海賊と戦うクラウスを待っていた時も、同じ感覚を味わったのに全然慣れない。時間の流れが異様に遅く感じて、待つしかできない自分の無力さを痛感するんだ。
「……っ?」
視界の隅で、一瞬何かが動いた気がした。
慌てて身を乗り出して目を凝らすが、暗闇の中ではよく分からなかった。一瞬、レオンハルト様が帰って来たのかと思ったが、そんな訳ない。彼は、「落とし物をした」とか理由をつけて、宿の人にランプを借りたはずだ。
犬とか猫かもしれない。でも、もしラプターのスパイだったら。
そう考えたら、心臓が痛いくらい大きく脈打った。
木戸を閉めて、入り口に向かって駆け出す。
ドアを開けようとしたところで、立ち止まった。ドアノブにかけた手を、逆の手で掴む。
待っててって、言われたでしょう、わたし。
今、レオンハルト様を追いかけて、一体何が出来るっていうの。敵を倒すどころか、自分の身さえ守れないのに。逆にレオンハルト様を危険に晒してしまいかねない。
私に出来る最善は、彼を信じて待つこと。
「……だいじょうぶ、だいじょうぶ」
掠れた声で繰り返して、深呼吸をする。
「大丈夫、大丈夫」
レオンハルト様は強いんだから。
誰にも負けたりしない。絶対に、私のところに戻ってきてくれる。
「……だ」
何度目かの大丈夫を呟こうとした、その時。唐突に扉が鳴った。
控えめなノック。起きているかと聞こうとしたんだと思う。でも私は、「おき」までしか聞かずに扉を勢いよく開ける。
転がる勢いで飛び出してきた私に、レオンハルト様は目を丸くしていた。
「……マリー?」
戸惑いながら私を呼ぶレオンハルト様は、元気そう。怪我を負っている様子もない。
安心して、一気に力が抜けた。
「マリーっ!」
膝から崩れ落ちた私を、レオンハルト様が咄嗟に抱きとめてくれた。具合が悪いのかと心配そうな顔で覗き込む彼に、頭を振る。
「安心して、力が抜けただけ」
「……っ」
息を呑む音がした。支える腕に力が籠もる。
「すまない。心配させてしまったんだな」
「ううん。こうして無事に帰ってきてくれたんだから、もういいの」
へらりと笑うと、レオンハルト様もぎこちないながらも笑い返してくれた。
「ところで、どう……だったの?」
「ああ」
レオンハルト様は扉を閉めると、私をゆっくりと立ち上がらせた。誘導されるがままに、ベッドへと向かい、縁に座る。
テーブルと椅子なんて気の利いたものはないので、レオンハルト様は立ったままだ。彼は少し逡巡した後、私と目を合わせた。
「結論から言うと、ありませんでした」
ひゅ、と喉が乾いた音をたてた。
次いで、心臓が走り始めたみたいに鼓動を早めていく。じわりと手のひらに汗が滲んだ。
「ない……というのは、誰かに持ち去られたあとだったという事、でしょうか」
緊張で口の中が乾いて、声が上手く出ない。
最悪の想像が頭の中に浮かんで、体が震えてきた。
なんでもっと、急がなかったんだろう。何故もっと、危機感を持たなかった。
間に合わなかったなんて、簡単に済ませていい問題じゃない。人類の、世界の未来がかかっているのに。
絶望が心を黒く塗り潰そうとする。
しかし闇を払うように、レオンハルト様は力強く「いいえ」と告げた。
「そうではありません」
「……? では、どういう」
「隠し部屋自体が、ないのです」
「!?」
私は唖然とした。
隠し部屋がない? つまり、ここもハズレだということ?
候補にあがった三ヶ所は全て回り終えてしまった。他に心当たりはない。ここにきてまさかの、振り出しに戻る、なんて。そんなのアリなのか。
「それから、前回同様、誰かが探った痕跡がありました。それもつい最近」
「なぜ最近だと分かるんです?」
「神殿の周辺に雪が残っていたので、足跡が。あとは中を探すのに、火を使ったんでしょう。油の臭いが微かに残っていました」
やっぱり、別の人間が私達と同じものを探している。
そして、私達と同じ情報を持っている可能性が高い。
「まさか同じ情報を持っているなんて……ラプターには、魔王の封印場所に関する伝承が残っているんでしょうか」
「…………」
私が話しかけても、レオンハルト様から返事はなかった。無視しているのではなく、何かを考え込んでいる様子だ。
「レオン様?」
「っ、すみません。少し、考え事をしておりました」
硬い表情のレオンハルト様が、何を考えていたのか。
私がそれを知るのは、もっと後になってからだった。




