或る密偵の独白。
※ネーベル王国の密偵、カラス視点になります。
「いい加減にして!!」
腕組みをした体勢でウトウトしていたオレの耳に、鋭い怒声が飛び込んできた。チラリと片目を開ける。
大樹の枝に腰掛けたオレが視線を下に向けると、下にある建物の窓から中の様子が覗えた。四、五メートル四方の部屋に、十人以上の人間が集まっているため、圧迫感がある。
年間を通して気温の高いフランメだが、冬である今は、それなりに肌寒い。標高の高い山間部にあるこの村は余計だ。にもかかわらず、室内は熱気に包まれていた。
「つまんない意地はってないで、素直になりなさいよ、素直に!」
部屋の奥、中央では若い男が初老の男に食ってかかっていた。
掴みかからんばかりに身を乗り出す若い男に対し、初老の男は淡々とした態度を崩さない。
「別に意地など張っておらん」
フン、と鼻を鳴らす。初老の男の不遜な態度に、若い男は苛立ったように眉を吊り上げた。
「この頑固親父……!」
「父親に向かって、その口のきき方は何だ」
「敬ってほしかったら、それなりの態度を示してよ!」
若い男――ヴォルフ・クーア・リュッカーは、彼の父親である族長の言葉にブチ切れて叫んだ。
立てた膝の上で頬杖をつく。
いつまで経っても終わりそうにない親子喧嘩を眺めながら、溜息を一つ零した。
「いつになったら戻れるのやら……」
ネーベル王国の間諜であるオレが、フランメの山奥にあるこの村を再び訪れてから、既に三日が経過している。
目的は、建物の中で話し合いをしている連中……クーア族とネーベル王国との連絡役だ。第一王女に仕える事を志願する連中を、無事に王都へと連れ帰る事が、オレに任された務め。
だが荷造りはおろか、話し合いさえもロクに進まない有様に溜息が出る。
確かに彼らの話し合いは、そう簡単に決めて良い内容ではない。
村を二分する……下手をしたらクーア族の存続に関わる問題だ。何も知らない人間ならば三日どころか一月かかっても仕方のない事だと思うだろう。
だが自分は、ネーベル王国のお転婆姫と共に事の顛末を見守ってきたのだ。彼等が今更、伝統がどうの、歴史がどうのと騒ぎ立てるはずがないと知っていた。
姫さんを受け入れた時に、彼等は変化をも受け入れたのだ。
進むも自由、留まるも自由。後は個々の選択に任せるという流れだったはず。
つまりは話し合いという名の報告会。もしくは決意表明。
今まで通り、村で静かに暮らすか。ネーベル王国へ行き、姫さんに仕えるか。選択肢はそれだけ。もしかしたら家族内で選択が別れ、揉める奴らも数人いるかもなどと考えていた訳だが。
誰が予想し得ただろうか。
ほぼ全ての家族で意見が分かれ、村を二分した討論が始まるなんて。
「他の爺共も! 揃いも揃って、自分はこの村に骨を埋める覚悟だとか、本気で言ってる訳!?」
ヴォルフが叫んだ言葉通り。
現在のクーア族は、村に残る組が年寄り連中、ネーベルに渡る組が若者連中と綺麗に分かれている状況だ。
「本気ですとも。もう私も結構な年ですし、今更村を出ろと言われても困ります」
「そうそう。儂等のような年寄りが、外国に行くなんて無理ですよ。余生は村で静かに、ゆっくりと暮らすのが一番です」
茶を啜って一息ついてから、のんびりと告げた爺様の言葉に、別の爺様が同意する。
「私も最近、体の調子が悪うて、歩くのがやっとですわい」
「こないだの病騒動の時、生き生きと走り回って薬の材料を集めていたのは誰だったっけ」
ヴォルフの斜め後ろに座る四十過ぎ位の男は、呆れたように呟く。しかし爺様は「最近、耳も遠くてなー」とすっとぼけている。強い。
「分かっただろう」
族長はヴォルフに短く告げる。
「これが私達の総意だ」
聞き分けのない子供を窘めるような声に、ヴォルフの眉間に深い皺が刻まれた。
「……それがアンタらの本心なら、私だってグダグダと食い下がったりしないわよ」
「本心だと言っている」
「嘘よ、本当は行きたいくせに。アンタらはマリーの重荷になりたくないとか、いらない気遣いしているだけでしょう!?」
ヴォルフの言葉を聞いた爺様達は、虚を衝かれたように目を丸くした後、喉を鳴らして笑った。
「儂等がそんな殊勝な人間に見えるかね?」
「見え……ない、けどっ!!」
勢いのまま、『見える』と言い切るのは流石に難しかったらしい。まるで終わりが見えない会話に、オレは呆れつつ、大きな欠伸をした。
オレの予想は、ヴォルフの意見と大差ない。
おそらく爺様達は、自分達が姫さんの負担になると思っている。
証拠はない。だが、ヴィントの病騒動の時の働きぶりを見れば、彼等が根っからの薬師である事は分かる。それから姫さんを信頼し、可愛がっている事も。
望み通りの職場があり、且つ上司が、信頼している人間。拒絶する理由がない。
今更外国暮らしがどうのとも言っているが、彼等は個々に旅をして世界中を回っていた薬師の一族だ。それこそ今更な話だろう。
先祖代々暮らして来た村を捨てる形になってしまう事を、厭うている可能性はゼロではないが……。
人の命を救うためなら何処へでも行くと言った族長の顔を思い返すと、そういった感傷的な理由ではない気がした。
ならば、何が理由か。
オレが思いついたのは、『姫さんへの遠慮』だった。
姫さんが王女という身分であっても、百人以上の人間を雇うのは容易なことではない。しかもクーア族は他国の民。衣食住を含めた居場所を用意するのは大変だろう。
働き口にしてもそうだ。医療関係は、意外と肉体労働。体力がある若い連中ならばともかく、年寄り連中では難しい。年々体も動かなくなっていく自分達が、姫さんのためにしてやれる事は少ないと、考えたのではないだろうか。
足手まといになるくらいなら、遠くから幸せを願おう。そんな風に。
「ああ、もうっ!」
戸が開く音と苛立たしげな声に、思考を中断される。
視線を向けると、自分の髪をぐしゃぐしゃと掻き混ぜながら、ヴォルフが部屋から出てきた。どうやら一旦、話し合いは中断されたらしい。
木の上にいるオレを見つけた彼は「カラス」とオレを呼ぶ。それから竹の水筒を投げ寄越した。木の根元にどっかりと腰を下ろしたヴォルフは、自分の分の水筒の栓を抜く。
豪快に呷った後、雑な動作で口元を手の甲で拭った。
「……長く待たせちゃって、悪いわね」
目を伏せて長く息を吐き出したヴォルフは、さっきまでとは違う静かな声で言った。
「全くだ」
端的に肯定すると、ヴォルフはオレを見上げて笑う。自嘲めいた笑い方だった。
「ごめんなさい。早くアンタを帰してあげたいんだけどね」
『帰す』と言われて、ネーベル王国の景色を思い出した自分に、オレ自身が驚いた。ネーベルはオレの生まれ故郷ではない。
それどころか、ネーベル国王ランドルフ・フォン・ヴェルファルトに雇われてからまだ数年しか経っていないというのに。
オレが生まれ落ちた場所は、あんなところではない。
あんなにも、綺麗な場所ではなかった。
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