転生王女の再考。
「あったかー……」
温室に隣接された休憩室。
ガラス越しの日差しに暖められた机に伏せて、独り言を呟く。
王女にあるまじきだらしなさだが、どうせ見ている人はいない。護衛の騎士は部屋の外だし、ルッツとテオも留守だ。
イリーネ様も不在だし、ネロは寒いらしく部屋から出てこない。つまりボッチなう。寂しくなんてない。ないったらない。
なんか最近、ルッツとテオが忙しいようで、あまり会えないんだよね……。イリーネ様もお忙しいみたいだし、何かあるんだろうか。
『何か』と考えて、ふと、父様の部屋で見た魔法陣が頭の隅を掠めた。
魔法関係という大雑把な括りでは、確かに当て嵌るが、具体的にどう結びつくのかは分からない。
そもそも、あの魔法陣が何なのかさえ知らないし。考えてもしょうがないか。
溜息を一つ吐き出す。
気持ちを切り替えた私は、机の上に紙を広げた。ネーベル王国の北東部、つまりラプター王国との国境沿いの地図だ。
目的は、魔王の捜索。
先日、久しぶりに会った父様からの無茶振り案件だ。
成人前の小娘に、なんて事を任せるんだと言いたい。
でも断るという選択肢はない。どうせ、いつかは向き合わなければならなかったことだ。復活の恐れがある魔王を、ずっと放置する訳にはいかない。だからこそ、レオンハルト様の伝手を使って探っていたんだから。
でも、持ち帰るべきなのかどうかは迷っていた。
何百年も封印されたままになっているのに、今になって動かして、もし何かあったらどうしよう。安全そうなら、そのままでも良いのでは、と。
要は、先代、先々代の王と同じ。日和っていた。及び腰になっていたんだ。
「相変わらず、痛いところを突くのが上手いなぁ」
前回の、流行病の時と同じ。
父様は絶妙なタイミングで私の逃げ道を塞ぐ。
険しい道を進むか、立ち止まるかの二択しかなくなり、負けず嫌いの私は、怒りながらもガシガシと道を進まざるを得なくなるのだ。
手のひらで踊らされている気がしなくもないが、結果的には私自身のためにもなっているので良しとしよう。
それに今回は、嫌なことばかりではないのだ。
「うふふ……」
一人、不気味な笑いを洩らす。
顔がニヤけるのが止められない。
だって今回のお忍び旅行の同行者は、なんとレオンハルト様なんだから!!
それだけで辛いことの十個や百個、我慢出来る。
もう一つ二つ、追加で無茶振りされても構わない、いや、やっぱ嘘。こんなとんでもない無茶振り、一個で十分だ。
誰もいないのを良いことに、百面相をしていると扉が控え目に鳴った。
レオンハルト様かな!?
これから来る事になっている大好きな人の顔を思い浮かべ、私は椅子に姿勢良く座り直す。緩む頬を押さえ、表情を引き締める。
咳払いを一つ。なんとか平静を装って返事をした。
「はい」
しかし、入室の許可を求める声は別の人のものだった。
私は驚きつつも了承する。扉が開いて姿を表したのは、私付きの護衛騎士。今は療養中の身である筈のクラウスだった。
随分、久しぶりに顔を見た気がする。
実家に戻って静養していたので、会うのは、二、三ヶ月ぶりだろうか。
「クラウス……」
立ち上がって出迎えると、クラウスは私の前に跪いた。
近衛騎士団の制服を纏ったクラウスが、そういう動作をすると、嫌味なくらい絵になる。動きにぎこちなさはなく、顔色も良い。つい先日まで大怪我で療養していた人とは思えないほど、何時も通りの彼だった。
「長らく不在にしてしまい、誠に申し訳ありません。明日より復帰致しますので、本日はご挨拶に参りました」
「怪我はもう良いの?」
「はい、傷はもう完全に塞がりました。大きく腕を動かすと、僅かに引き攣るような違和感がありますが、あとは特に問題ありません」
クラウスは頷いてから、状態を説明してくれた。
「そう、良かった。でも治ったからといって、あまり無理はしないで頂戴」
安堵の息をそっと洩らすと、クラウスの端正な顔が、嬉しげに綻んだ。
「勿体無いお言葉です」
こんな月並みな言葉で喜ばれると、逆に申し訳なくなる。私、いつもどれだけ酷い態度だったんだよと、罪悪感にさいなまれる。
そんなに酷かったっけ……? いや、酷かったな。ごめん。
自分の態度を反省していた私は、立ち上がったクラウスの視線が、机の上の地図へと向けられている事に気付く。
そういえば、明日から復帰するって言っていたけれど……護衛対象の私は、また暫くいなくなっちゃうんだよね。
しかも同行者はレオンハルト様だと既に決まっているので、クラウスは連れて行けない。
「クラウス、その、実は……」
どう切り出したらいいのか思い浮かばず、しどろもどろになる。
しかしクラウスは何かに思い当たったように、頷いた。
「既に聞き及んでおります。視察に向かわれることもですが、同行者が誰であるかも存じております」
予想外の言葉を聞いて、私は目を丸くした。
私の反応を見たクラウスは、きまり悪げな表情になる。
「私がまた、団長に突っかかったりしないかと心配されたのですね」
答え難いが正解です。
その通りなんだけど、肯定するのも躊躇われ、かといって嘘になってしまうので否定も出来ない。
黙り込んだ私だが、どうやら顔に全部出ていたようで、クラウスは苦笑いを浮かべた。
「お気遣いありがとうございます。ですが、ご心配には及びません」
それは、どういう意味だろう。
言葉の意味を計り兼ね、首を傾げる。
「貴方様の旅の同行者が団長だと聞き、私は安心致しました。団長でしたら、どんな不測の事態が起ころうとも、御身を守ってくださる」
「!」
私は限界まで目を見開いた。
えっ……どうした、クラウス!?
熱でもあるの!?
何かある度にレオンハルト様に噛み付いていたクラウスを知っているだけに、彼の変わりように戸惑うしかない。
さっきから紳士的だし、レオンハルト様を敬っているし……どうしたんだ、クラウス。まるで普通の騎士様みたいだよ!?
私の凝視に耐えかねたのか、クラウスが困ったように眉を下げる。
「とても意外だと、お顔にかいてあります。偽物だと疑っておられますか?」
「失礼なのは分かっているけれど、そうね」
正直に頷くと、クラウスは更に困った顔になる。
申し訳ないが、半分本気で偽物説に思考が傾いていた。クラウスの背中にチャックがあった方が、まだ現実感がある。ごめん、言い過ぎた。
「私は前回の旅で、自分の弱さを知りました。私の未熟さ故に貴方様を何度も危険に晒したことは、一生忘れられません」
「クラウス……」
「卑屈になっている訳ではなく、事実として私は弱いのです。ましてや今は、怪我が治ったばかりの身。鍛錬もろくに出来ませんでしたので、まともに体が動くとも思えません。ですから騎士団には復帰いたしますが、暫くの間、護衛の任から外して頂きます」
まるで別人のようだ。
もし今のクラウスのセリフを一年前の彼に聞かせたら、激高しただろう。だが現在の彼は、落ち着いた様子で淡々と語る。
「貴方様が不在の間、鍛錬に励み、必ず強くなった姿をご覧に入れますので……どうか、無事にお戻りください」
頭を垂れるクラウスに、私は呆然とした。
あのクラウスが……まさか、こんなに立派な騎士になるなんて。
剣の腕を疑った事はなかったけれど、人格的にはどうかと思っていた。性格が悪いとかではなく、なんというか変た……ゴホ、ゲフン。変わってるなぁって。
でも、これからは認識を改めなければならないのかもしれない。
クラウスは、誠実で生真面目な騎士だと。
「顔を上げて、クラウス。貴方の誠意は、確かに受け取りました」
顔をあげたクラウスの真摯な瞳を見て、私は確信する。
彼は、クラウスは、確かに変わったのだ。
「私は、貴方のことを誤解していたのかもしれません」
「ローゼマリー様?」
「ずっと、失礼な態度をとっていてごめんなさい。これからは改めるわ」
「えっ」
クラウスは何故か、愕然としていた。
何をそんなに驚いているのだろう。それに気の所為でなければ、少し青褪めているような……?
「丁寧に接するという意味よ?」
誤解を招いてしまったのかと付け加えれば、クラウスの顔色が更に悪くなる。
「いえ、それは……」
嫌です、と小さな声でクラウスは呟いた。
嫌ですって何だ。
まさか冷たい態度の方がいいの!?
勘違いじゃなくて、やっぱり君はそういう方向性が好きってことか!?
今度は私が青褪める番だった。
それに気付いたクラウスは、真っ赤な顔で頭を振る。
「誤解です! そ、そうではなく!」
じゃあ、どういうことだ。
「疚しい意味では決してないのです! 砕けた態度が、気を許して頂けた証のようで嬉しいといいますか、冷たい目で見られるのも、オレ、いえ私だけなのかと思うと、その……」
頬を赤らめた乙女顔で言われても、正直、怖い以外の感想が見当たらない。そして、なにが誤解なのかも分からない。私の認識、ほぼほぼ合ってないか?
一歩後退った私に、クラウスは更に焦っていた。
「ローゼマリー様っ!」
「クラウス」
「は、はい!」
「ちょっと離れてください」
具体的には三メートル下がって頂けませんか。
そう伝えると、私を呼ぶクラウスの情けない声が、休憩室に響き渡った。




