転生王女の談判。
目頭がじんわりと熱くなる。
まさか父様が、兄様や私のことを気にかけてくれているなんて思いもしなかった。
父様は国政にしか興味がなくて、私達のことなんか、利用出来るか否かでしか見ていないと、勝手に決めつけていた。
今回も呆れられて、バカにされて、また無理難題をふっかけて終わるんだと、そう思っていたのに。
もしかしたら父様は、私が思うほど、薄情な人ではないのかもしれない。
そう思いながら私は、俯いて目元に滲んだ涙を拭う。しかし、次の瞬間、場の空気を入れ替えるような淡々とした言葉が頭上から降ってきた。
「――さて」
……うん?
嫌な予感がした私は、恐る恐る顔を上げる。
視線がかち合った。薄青の瞳に、さっきまであった柔らかさはない。夢か幻だったのではと疑いたくなるくらい、通常運転の父様だ。
「無駄話はここまでだ」
無駄話!? 無駄話って言った!?
私との交流を、無駄っていいやがった、このひと!!
滲んだ涙は、一瞬で引っ込んだ。寧ろカラッカラな勢いだ。ドライアイを心配するレベルで、私は目を見開いて父様を凝視する。
しかし父様は、まるで気に留めていない。
「本題を話せ。時間を無駄にするな」
とどめのようにもう一度告げられた『無駄』という言葉に、私のこめかみに青筋が浮かぶ。膝の上で握りしめた拳は、プルプルと震えていた。
ああ、そう。そうですか。
やっぱり父様は、父様なのね。
普通の親子関係を、ちょびっとでも期待してしまった私が愚かでしたよ。
「では、お話させて頂きます!」
ヤケ気味の勢いで言うと、父様は頷く。
「話せ」
静かな声と視線に、勢いが削がれた。明らかに変わった空気に背筋が伸びる。
為政者の顔に戻った父様に、こちらも姿勢を正さずにはいられなかった。
こういうところ、本当、狡いと思う。
深く呼吸をしてから、咳払いを一つ。
私は父様の目を真っ直ぐに見て、口を開いた。
「……ヴィント王国の王太子、リヒト・フォン・エルスター殿下が成人するまでに、功績を残せとのお話でしたが、覚えていらっしゃいますか」
忘れるわけがないだろう、と言いたげに父様の片眉があがる。
「ああ」
「では、ヴィント王国の流行り病が広がることを防げた事は、功績と数えて頂けますか」
父様の眉間に、深い皺が刻まれた。
鋭い視線が、真正面から刺さる。
「お前の交渉下手は、一生治る事はなさそうだな」
溜息と共に吐き出された言葉は、呆れを多分に含んでいた。
「交渉相手に価値を決めさせるな。足元を見られるぞ」
ぐっと私は言葉に詰まる。
言質を取るために、先走った自覚はあった。
「まぁ、功績と認めてやらなくもないがな。小娘にしては、良くやったのではないか?」
功績と認めてもらえた事に、私はそっと安堵の息を洩らす。
すると父様の目つきが、更に鋭いものとなった。
「それだ」
どれだ。
指示語で言われても分からず、首を傾げると、理解できないものを見る目で見られた。なんでだ。解せぬ。
認められた途端、気を抜いたのが駄目だったのだろうか。
「早速、足元を見られているのが何故分からない。ここは、お前が成し遂げた事は、その程度のものではないと主張するべきところだ」
ぐうの音も出ない。
謙虚を美徳とする日本人気質が、マイナス方面に作用している。
でも、しょうがないじゃないか。
今回、病の拡大を防げたのは、私一人の功績ではない。まず、クーア族の皆。そしてゲオルクやミハイル、クラウスやビアンカ姐さん、船員さんを含め、沢山の人の協力がなければなし得なかった。間に合ったのは、ヨハンやナハト王子、それにレオンハルト様のお陰でもあるし。
それを私の功績だと胸を張って主張するだけでも、胃がキリキリするのに。これ以上を求められても無理だ。小心者なんです。
成長とともに少しはマシになるかとも期待したが、あと一年足らずで十五歳――つまり成人するのに、全く変わらない。
たぶん父様の言う通り、私の交渉下手は一生治らない気がする。
私は胃の辺りをそっと押さえながら、愚痴めいた言葉を胸中で吐いた。
「ヴィント王国との絆を深めるという意味では、お前はこれ以上ない成果を収めた。貸しを作ったと言っても過言ではない。だがお前の下手くそな交渉の結果、与えられるのは『隣国の王太子との婚姻の拒否』だけだ。満足か?」
あれ!?
もしかして、父様の言い方から察するに、もっと強請ってよかった感じ!?
交渉次第では二、三個もらえるはずだったパンが、一個だけ手のひらにぽんと投げ寄越されたという事だろうか。
すっごい悔しい。
いつもだったら、別に婚姻だけなかった事に出来れば、それでいいからとアッサリ諦めるところだ。でも、今は違う。もっと欲しかった。もう一つ、パンが欲しかったんだ。
「……いいえ」
噛み締めていた唇を解き、否定の言葉を口にする。
おや、と言いたげに父様の目が軽く瞠られた。
「別のお願いが、ございます」
「……別の?」
つまりは、『婚姻の拒否』はしなくても良いのかと言外に聞いてくる。
良くない。全然、良くはない。でも。
「まだ、隣国の王太子殿下が成人するまで、半年ほど猶予が残っております。それまでにもう一つ、功績をあげてみせます。ですから、まずは別の願いを叶えて頂きたいのです」
「もう一つとは、大きく出たな」
私もそう思う。
でもどうせ、絶対にやらなきゃならない事が残っているから。なら、自分を追い詰める条件くらいつけていた方が、より必死になれる。
「面白い、言ってみろ」
父様の目が言葉を体現するように、楽しげに眇められる。
「施設を。医者や薬師が集まる施設を、作ってください」
私はクーア族の皆に、ネーベル王国での居場所を確保すると約束した。
一応、曲がりなりにも私は王女だ。個人の資産で雇うことは、おそらく出来る。でも、それじゃ駄目だ。それじゃあ、あまりにも勿体無い。
なら必要なのは、病院だ。
しかも王侯貴族だけでなく、一般人もかかれるようなやつ。
薬の研究や、新たな人材の育成も出来る大学病院みたいなのが理想。
それを細かく説明すると、父様の眉間の皺が一層深くなる。
語彙が乏しい私の説明は、非常に分かり難いのか、それともまた馬鹿が馬鹿言っていると思われているのか。両方か。両方だな、うん。
「途方もない話を、随分と簡単に言ってくれたものだ」
父様の言う通り、大変なことを言っている自覚はある。
この世界では基本的に、医者は個人営業。薬師も同じ。ひとところに集まって、治療にあたる『病院』という概念がない。
つまり、病院を設立するだけでも、初めての試みだったりする訳だ。
それなのに、一般人も受け入れ可能にしろとか。
薬の研究や人材育成も出来るようにしたいとか。
まあ、無茶振りだよね。でも、それくらいでなきゃ。
そのくらいしなければ、薬師として、長年培ってきた技術と知識を全て、献上すると言ってくれている人達に報いることが出来ない。
俯きそうになる視線を前に固定し、腹に力を入れる。
「途方もないお願いでも、一つは一つ、ですよね?」
引き攣りそうになる表情筋を叱咤し、私はにっこりと父様に微笑みかけた。




