転生王女の帰国。(2)
兄様達と別れた私は、部屋には戻らずに別の場所へと足を向けた。
化粧漆喰の施されたアーチ状の天井も、そこから吊り下がる鋳物で出来た照明器具、それから等間隔に立つ立派な柱も見慣れた景色だ。城と温室とを繋ぐ廊下は、数えきれないほど、何度も通ってきたから。
それなのに、とても懐かしく感じる。
たった半年、されど半年。妙な感慨すら抱きながら、私はゆっくりと廊下を進んだ。
いつもの倍くらいの時間をかけて温室に辿り着くと、護衛騎士には、入り口で待つよう指示をする。初期のクラウスだったら即答でノーだったが、ごく一般的な感覚を持つ彼は、逆らわずに従ってくれた。
温室の扉を押すと、キィと軋む音をたてながら開く。室中から溢れた植物のにおいが、鼻孔を掠めた。
ガラスの天井から差し込む陽光が眩しくて、手で庇をつくる。数歩進むと背の高い木が、光を緩く遮ってくれた。
奥で水やりをしていた人が、私の靴音に気付いて手を止める。振り返る彼の動きに合わせて、絹糸のような銀髪がサラリと揺れた。
私を見つけた藍色の目が、眼の前の光景を理解できないとでも言うように、何度もパチパチと瞬いた。
「…………え」
呆然とした声が、彼の口から洩れる。
力の抜けた手から滑り落ちたブリキのジョウロが、床に落ちて派手な音をたてた。中に入っていた水が撒き散らされ、彼のブーツの爪先部分を濡らす。しかし彼は全く気にも留めず……否、気にする余裕もないようで、大きく見開いた目で私を凝視するばかりだ。
「おい、ルッツ! 靴濡れてるぞ」
駆け寄ってきた彼の相棒が、水溜りの出来た床から避難させるために、彼――ルッツの手を引く。されるがままのルッツは数歩下がるが、気がそぞろなためか、足取りは酷く危なっかしかった。
「なにをボーッとして……」
ルッツの視線を辿るようにして、ルッツの相棒――テオもこちらを向く。ルビーのような瞳が、私の姿を捉えて大きく見開かれた。
「……ひめ、さま?」
ポツリと、テオは小さな声で呟いた。
その後はただ、不思議な沈黙が続く。遠く小鳥の囀りだけが、温室内に響いた。
いつかと立場が逆だ。
あの時は温室にいた私の元に、二人が駆けつけてくれたんだっけ。私もきっと、今の二人のように、驚いた顔をしていたんだろうな。
二人も、こんな風に擽ったい気持ちだったのかな。今の私みたいに、安心してた?
気持ちに呼応するみたいに、表情も緩む。
「ただいま」
満面の笑みを浮かべて言った途端、二人の顔がくしゃりと歪んだ。
駆け出したのは、たぶん二人同時だったと思う。
「ちょっ……」
凄い速度で駆け寄ってくる二人に私は、思わず後退った。
逞しい少年二人に飛びかかられて、受け止められる自信はゼロだ。
でも目前に迫る二人を、今更避けるのは身体能力的に無理であって。
避けるのを諦めた私は、衝突の衝撃に備えて目をキツく瞑った。
「……?」
しかし、いつまで経っても衝撃はやってこない。
恐る恐る私は、薄目を開けた。
「…………なにをしているの?」
二人は私から二メートルほどの間をあけて、止まっていた。二人揃って、両腕を大きく広げた状態のまま。
思わず問うと、二人は両手を所在なさげに下ろした後、互いに顔を見合わせる。
「いや……だって、なぁ?」
「うん、その……ねぇ?」
なんなんだ、一体。
意味が分からなくて、首を傾げる。
「……なんか、姫が姫っぽくなってるから」
頬を薄っすらと赤く染めたルッツが、そっぽを向きながら小さな声で呟いた。
姫が姫っぽく? つまり、私が姫っぽくなったってこと?
えっ……逆に今まで何だと思っていた訳!? パチもん!?
「私は一応、ずっと前から姫だったはずですが」
ショックで思わず丁寧語になってしまった。
一応どころか、生まれた時から正真正銘の王女……のはずだ。確かに王女らしからぬ言動及び行動ばかりするけど!
年頃の女子並みに、繊細な心は持っているんですよ、一応、一応ね!!
「違っ……そ、そうじゃなくてね!?」
ルッツは慌てて首を横に振る。どうやら偽物扱いされていた訳ではないらしい。
だが彼は良い言葉が思い浮かばないのか、自分の髪をぐしゃぐしゃと掻き混ぜながら唸っている。
テオは、そんな彼を見て苦笑いを浮かべた。
「姫様が可愛らしいのは昔からですが、凄く綺麗になったから。オレもルッツも驚いてしまったんです」
「え……」
サラリと臆面もなく告げられた言葉に、面食らう。
驚きすぎて、すぐには反応出来なかった。
凄いな、テオ。年頃の男子が照れもせずに、女の子に向かって『綺麗』とか……中々言えないよ?
「あり、がとう?」
出てきた言葉は、なんとも平凡なもので。しかも疑問形。赤面の一つもしてないし。
誉められた女子としては、完全に反応を間違っている気がする。そして案の定、テオは困った顔で笑った。
「清々しいくらいの空振りですね。少しくらい照れてくれるかと思った」
「だって……びっくりしちゃって。綺麗になったなんて、サラリと言うんですもの。テオって、もしかしてモテるでしょう?」
「赤くなってもくれなかった姫様に言われてもなぁ……」
「だから、驚きすぎて反応出来なかっただけなの。テオが悪いわけじゃないわ。優しいし格好良いし、その上、誉め上手だなんて、女の子が放っておかないと思う」
焦って言い訳めいた言葉を並べるが、テオの表情は変わらない。困っているような、呆れているような微妙な顔だ。
「オレだって、そこそこ顔は良いと思うんだけど?」
放置されていた事が不満だったのか、不貞腐れた表情のルッツが無理やりな形で会話に入ってきた。
というか、絶世の美少年がなんか言いおったぞ。そこそこってなんだ。何処の方面に喧嘩売ってるんだ。
「ルッツは格好良いっていうより、綺麗って感じよね」
「なにそれ……あんまり嬉しくないんだけど。オレも格好良いって言われる方がいい」
誉めたにもかかわらず、ルッツは渋面をつくる。
テオは、そんなルッツの肩に手を置いた。
「どのみち姫様の眼中にない事に変わりないからな」
「じゃあ姫は、どんな男が良いのさ?」
「えっ、私はどちらかというと男らしい人……っていうか、何の話をしているのかしら」
聞かれたから思わず答えてしまったが、私達はいったい、何故こんな場所でこんな話をしているのか。
せっかく半年ぶりに会えたのに、どうして異性の好みの話? 別に恋バナも悪くはないけれど、もっと色んな話があるでしょうよ。
困惑した表情で呟くと、テオが「確かに」と同意した。
「感動の再会を中断して、なんの話してんだって感じですね」
「大事な事だよ……まぁ、帰ってきたばっかりの姫に問い詰める事ではなかったかもしれないけどさ」
頭を振ったルッツだが、最後の方はバツの悪そうな顔でぼそぼそと呟いた。
「いやー。しまらないですね、オレら!」
頭の後ろで手を組んだテオは、破顔する。
その表情が少し嬉しそうに見えるのは、気のせいだろうか?
……ううん、気のせいじゃないと良い。
緩い空気と、他愛のない会話。
それに安心しているのが、私だけだとしたら寂しいから。
目が合うと、テオは優しく瞳を細めた。
「改めて、お帰りなさい。姫様」
「あ、狡っ! おかえり、姫!」
テオを押し退けるように、ルッツが身を乗り出す。
賑やかで、優しい場所。
やっと帰ってこれた嬉しさに、私も表情を緩めた。
「うん。ただいま、二人共」
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