偏屈王子の覚悟。
※引き続き、ヴィント王国第二王子 ナハト・フォン・エルスター視点です。
「おはよう、ナハト!」
バンッ、と派手な音をたてて扉が開く。
現れたのは、今日も今日とて元気すぎる兄上だった。なにがそんなにも楽しいのか、満面の笑みを浮かべている。
せめてノックくらいはして欲しかったと心の中でぼやきながら、私は溜息と共に、やる気のない挨拶を吐き出した。
「……おはようございます、兄上」
現在、私は王都へと戻ってきている。
ヨハンは勿論だが、ローゼマリー王女殿下も一緒に。
どうか王都へお越しいただきたいと告げると、ローゼマリー殿下は困った顔をした。曰く、自分は招かれてこの国へ来た訳ではないから、あまり目立ちたくないと。
緊急事態ゆえに、正当な手続きを踏んで入国しなかった事を後ろめたく思っているのだろう。あれだけの偉業を成し遂げておきながら、なんとも謙虚なことだ。
貴方は、私達の救援要請に応えてくださったのだと主張すれば、困り顔は苦笑に変わった。後付けの理由だろうが、こじつけだろうが、通してしまえばそれが真実になる。
それに別に彼女は密入国した訳ではない。ネーベルの商人、ユリウス・ツー・アイゲルの商隊に同行して入国。つまり、単純に王女という身分を明らかにしなかっただけの事。
疚しいことなど何もない。
ローゼマリー殿下が乗り気ではない事を理解しながらも、なんとか同行を了承してもらい、私達は王都に向かう事となった。
そして昨日、ようやく到着したばかり。
ぐっすり眠ったとはいえ、まだ旅の疲れは抜けていない。この状態で元気な兄上に付き合うのは、正直しんどい。
「今日も良い天気だ。素晴らしい一日になりそうだね!」
「……なんで朝から、そんなに無駄に元気なんですか、貴方は」
心底鬱陶しいという気持ちを隠さず、刺々しい口調で呟く。しかし兄上は堪える様子もなく、喜色が滲むような微笑みを浮かべた。
「ナハトが戻ってきてくれたから、嬉しいんだよ」
「…………そうですか」
柔らかな声で告げられ、毒気を抜かれる。
普段は殴りたくなるくらい喧しいくせに、伝えたい言葉はちゃんと、一言、一言を噛みしめるように告げる。この人のこういうところは、本当に狡いと思う。
「それに今日は、姫君に会えるのだろう?」
「はい。くれぐれも、失礼のないようにお願いします」
くれぐれも、に力が籠もってしまった。
兄上の事は嫌いではないが、信用はしていない。もし大恩人に無礼な態度をとったとしたら、容赦なく殴り飛ばし、部屋から追い出そう。
睨み付ける私に、兄上は目を丸くする。
「……お前が、そんな必死な顔をするのは珍しいね?」
「ローゼマリー殿下は、ヴィント王国の恩人というだけでなく、私個人としても大切な方ですから」
「えっ、す、好きなの!?」
「馬鹿ですか」
頬を染めて、身を乗り出した兄上を冷めた目で一瞥した。
父といい兄といい、何故そうも恋愛方面に話を向かわせたがるのか。
「え、違うの? じゃあ、どういう感情?」
そう言われると、少し困る。尊敬や憧れが一番近いが、それだけではない。小柄なあの方が、怯まず困難に立ち向かう姿を見ていると、じっとしていられなくなる。
自分の在り方を、見つめ直したくなるんだ。
「ねえねえ、ナハト! 教えてよ、気になる!」
兄上は、黙って考え事を始めた私の肩を掴んで揺さぶる。
ええい、鬱陶しい!
肩を掴む手を振り払いかけて、動きを止める。
ふと思い出した事を口にした。
「そうだ、兄上。勝負致しませんか?」
「……勝負? なにで? というか、一体なんで?」
兄上は心底不思議そうに、首を傾げる。勝負の種目と理由を問う彼に、私は少し考えてから答える。
「欲しいものがあるので、それをかけて。特に拘りはないので、種目はなんでも」
但し、私が勝てる種目で。
そう躊躇いもなく言い切った私に、兄上の目が大きく見開かれた。長い睫毛が、ぱちぱちと数度瞬く。
「えーっと、ナハトはどうしても欲しいものがあるから、勝ちたいってこと?」
「はい」
「別に勝負しなくても、私があげられるものならあげるけど?」
「勝負して勝ち取ることに意義があります。決意表明みたいなものですね」
堂々と不正を持ちかけておいて、決意表明もクソもないが。
普通ならば、ふざけるなと怒鳴られそうなものだが、兄上は分かったと頷く。「とりあえず、ナハトが勝つまでジャンケンでもする?」と、馬鹿みたいな事を至極真面目な顔で言い放った。「では、それで」と返す私も相当な馬鹿だ。
「じゃあ、いきますよ」
握った拳を振ると、向き合った兄上も同じ動作をする。
「じゃんけん――」
「――ハト、ナハト」
「……ん?」
小さな声で呼ばれ、肩を軽く揺すられる。
今朝の出来事を思い返していた私は、ヨハンの呼びかけに現実に引き戻された。隣に並ぶ彼を見ると、大層不機嫌そうな面持ちだ。私がぼんやりしている間に、一体何が起こった。
視線でヨハンに問うと、彼は同じく視線で方向を示す。そちらを見ると兄のリヒトが、ローゼマリー殿下と向かい合ったまま動きを止めていた。
「…………」
「……あの?」
無言で凝視されているローゼマリー殿下は、戸惑い気味に兄上を見上げた。その声を聞いて我に返ったとでも言うように、兄上は長く息を吐きだす。
「申し訳ありません。……あまりに美しい方なので、つい見惚れてしまいました」
初っ端からこれか。
私は胸中で呟きながら、拳を握りしめた。いつでも殴り倒す準備は出来ている。
挨拶に口説き文句を交えてくる兄上に、ローゼマリー殿下は苦笑いを浮かべている。誰がどう見ても困っているというのに、気づかない兄上に私は頭痛を覚えた。
少しは空気を読んで欲しい。そして、その光景を見守るユリア王女の目が笑っていない事にも気づいて欲しい。ついでに、ヨハンの額に青筋が浮かんでいるのは気づかなくても別にいい。
ピリピリと張り詰めた空気の中、呑気な兄上だけが楽しそうに話している。
やはり、兄上とローゼマリー殿下を会わせたのは間違いだったか。いや、どうせ数日後にある歓迎の宴で、会う事は確定しているが。
宴で暴走させないために、少人数のお茶会の名目で会わせたのだが……疲労の残る顔で笑うローゼマリー殿下を見ると、失敗だったと思う。本当に申し訳ない。
「リヒト様、可愛らしい方を独り占めするのは狡いですわ。私にも紹介してくださいませ」
いつまで経っても終わらない兄上の話に焦れたのか、ユリア王女が割って入る。兄上の隣に立ったユリア王女は、ローゼマリー殿下に視線を移し、微笑みかけた。ローゼマリー殿下の頬が薄っすらと赤らむ。
「なんとも眼福な光景だね……」
互いに自己紹介をする二人の王女を見つめながら、兄上が小さな声で呟く。オヤジ臭い発言に同意するのは癪だが、確かに。
一方は、絹糸の如く滑らかな長い黒髪と黒水晶の瞳を持つ、大人しやかな美少女。
一方は、陽光を紡いだような波打つプラチナブロンドとサファイヤの瞳を持つ、華やかな美少女。
纏うドレスも対照的だ。
ユリア王女は、黒地に暗緑色の糸で花と蔦の模様が描かれている。袖口を飾るレースや胸元のリボン、チョーカーも揃えの黒で、全体的に落ち着いた仕上がりとなっていた。
対するローゼマリー殿下は、アイボリーを基調としたドレスだ。ふわりと膨らんだ袖の刺繍や縁取りは光沢のない落ち着いた金色。袖口の薄く透ける素材のレースや、スカートの前部分を飾るフリルには、真珠色の細かな飾りが縫い付けられているのか、キラキラと淡く輝く。
光と闇、太陽と月、陰と陽。
真逆の印象を受けるのに、並ぶと驚くほどに調和する。まるで対で作られた人形のようだ。
「ヴィント王国を救った勇者はどんな方なんだろうって、ずっとお会いしたかったんですの」
ユリア王女は、ローゼマリー殿下の手をそっと握る。少しユリア王女の方が背が低いので、見上げる形で瞳を覗き込まれ、ローゼマリー殿下は僅かに身を引いた。
「勇者だなんて、とんでもありません。周りの人達の助けがなければ、きっと私個人では何も出来なかったと思います」
「いいえ。貴方だからこそ周囲の人達を動かせたんですわ。今まで誰にも従ったことのない薬師の一族も、貴方に力を貸したのでしょう? 彼等にも一度お会いしたいわ」
「生憎と、彼等はここに来ておりません」
ユリア王女に返事をしたのは、ローゼマリー殿下ではなくヨハンだった。
ローゼマリー殿下を引き寄せる形で、さり気なくユリア王女から引き剥がす。姉を背に隠してから、ユリア王女に向き直った。
「あら、会わせては頂けないの?」
「見世物ではありません。それに彼等は、姉以外には従いませんから」
可愛らしく小首をかしげるユリア王女に、ヨハンは不快そうに目を眇めた。口元だけは弧を描いているが、逆にそれが余計、瞳の冷たさを際立たせている。
おととい来やがれと、顔に書いてあるぞ、ヨハン。
ヨハンは端から、薬師達とユリア王女を会わせるつもりはないのだろう。まぁ、そもそも彼等は本当に、城には来ていないのだが。
クーア族の人達とは、グレンツェを発つ時に別れている。
殆どは村へ帰るため。だが五人は、グレンツェに残ると申し出てくれた。
曰く、流行病は一時的に沈静化しているだけで、また流行る可能性が高いらしい。病の感染経路はまだ特定出来ていないが、虫を媒介としているのではないかと彼等は考えている。
つまり病の流行が沈静化したのも、薬や感染対策の効果が発揮されただけでなく、季節が夏から秋へと移り変わった事が大きな理由の一つ。虫の動きが活発になる時期がくれば、また病は広がりかねない。
落ち着くまでは、数年、様子を見たい。
そう申し出たクーア族の五人に、私は一も二もなく頷いた。寧ろ、こちらからお願いしたいくらいだ。
そうして彼等五人は、グレンツェに留まる事となった。但し、ネーベル王国の薬師として。「ヴィント王国に協力は惜しまない。だが、あくまで自分達の主は、ローゼマリー王女殿下だという事を忘れないで欲しい」そう言ったのは年嵩の男性だった。
村に帰る人達も、心は既に決まっている。
別れ際、涙ぐんでいるローゼマリー殿下を、今生の別れでもあるまいし、と笑い飛ばした彼等は、こう続けた。
話し合いの結果がどうであれ、必ず貴方の元に戻るから、自分達の居場所は確保しておいて欲しいと。
クーア族の心は、もう何があっても変えられないだろう。
彼等の価値に気付いた王侯貴族が、どんな好条件を提示しても、金貨を積み上げたとしても、もう無駄だ。
「そう……そうね。残念だけれど」
ユリア王女は、少し考える素振りを見せてから頷いた。何故か、ヨハンから視線を外し、兄上の方を見てから「諦めるしかなさそうだわ」と呟く。
クーア族と会えなかった事だけを指して言っているのではない、そう考えてしまうのは、私の考え過ぎだろうか。
否、この聡い王女は理解しているのだろう。
今やローゼマリー王女は、ヴィント王国の恩人。ネーベルとヴィントの繋がりは、これから更に強固なものとなる。
兄上一人を掌握しても、両国の仲にヒビを入れる事は難しいと。
それに兄上は女好きだが、女性に溺れるタイプではない。熱烈に愛を囁いておきながら、次の瞬間には、家族である私や父を優先したりする。
兄上の妻になったとしても、掌の上で踊らせるのは至難の業だ。
なにより……。
そこまで考えた時、視線を感じた私は顔を上げる。
射抜くような鋭い眼差しを辿ると、黒水晶とかち合う。底の見えない深淵のような瞳が、値踏みするように私を見ていた。
しかし視線はすぐに逸らされ、ユリア王女はローゼマリー殿下に笑いかける。
「一番会いたかったローゼマリー様にはお会い出来ましたし。母国へのおみやげ話が出来ました」
「ユリア王女? もしかしてラプターに帰るのかい?」
「はい。まだお話しておりませんでしたが、大伯母様の具合がお悪いようですので、国に帰ろうと思っております」
兄上の問いに、ユリア王女は申し訳なさそうに告げた。
「皆様には、いつかまた、お会い出来たら嬉しいですわ」
兄上、ヨハン、ローゼマリー殿下の順に巡らせた視線が、真っ直ぐに私を捉える。それに怯まず口角を吊り上げた。
「ええ、是非に」
その時はお互い、立場も立ち位置も違うかもしれませんが。
胸中でそう呟いた。
覚悟なら今朝、もう決めたのだから。
兄上の開いた掌と、鋏の形をした私の手を見比べて告げる。
『私の勝ちですね』
『うん、ナハトの勝ちだ。で、なにが欲しいの?』
悔しがる素振りも見せず、兄上は頷く。
何故かワクワクと輝く瞳を眺めながら、私は深く呼吸をした。今更ながら、緊張する。この言葉を言うのは、勇気が必要だった。だが、もう引き下がらない。諦めない。面倒だと逃げるのも止めだ。
私は、変わると決めた。
『では、玉座を』
一拍置いて、最大限まで見開かれた兄上の目を見て、言葉を続ける。
『王位継承権、第一位の座を私にください』
私は王になりたい。
愛する民を、この手で守れるように。
そして民を守ってくれた友人らを、今度は私が守れるように。
私は──王になる。
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