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偏屈王子の面会。(2)

※引き続き、ヴィント王国第二王子 ナハト・フォン・エルスター視点です。

 


 その日、グレンツェの街は歓声に包まれた。


 もう二度と生きて会う事は叶わないだろうと、諦めかけていた友が、恋人が、隣人が、元気な姿で帰ってきてくれたのだ。喜ぶなという方が、無理な話だった。


 門が開いて、数台の馬車が入ってくる。止まった馬車の扉が開き、人の姿が見えた途端に走り出した人がいた。それに続くように、一人、また一人と駆け出し、門の周りには人が溢れかえった。喜びの声をあげながら、抱きしめ合う人々。遠くから見守る私の目には、各々の表情までは見えなかったが、きっと輝くような笑みを浮かべているのだろう。その光景を眺める私の口角も緩く吊り上がった。


 暫くすると人混みは二つに割れ、馬に乗った西方騎士団が現れる。そして彼等に守られるようにして、一台の馬車が滑り込んできた。


「ひめさまーっ!」


 子供が大きな声を張り上げる。周りにいた大人達が慌てて止めている様子だが、子供は構わずにもう一度、姫様と繰り返した。

 近くにいた幼い子らは、面白がって真似る。大人たちの制止など、子供の好奇心の前では無意味だった。


 群がる幼子を馬で蹴り飛ばしてしまわないよう、騎士団や馬車が歩みを止める。

 そして馬車の窓を覆うカーテンが引かれ、中から誰かが姿を現した。手を振る仕草が、かろうじて確認できる。

 一拍置いて、ドッと大きな歓声が起こった。


 馬車の中から手を振ったのは、幼子達が一生懸命呼んでいた『姫様』。

 ネーベル王国第一王女、ローゼマリー・フォン・ヴェルファルト殿下。


 この一月の間に、グレンツェの街中で噂されている話題の人だ。

 隣国の危機に颯爽と現れ、尊い身でありながら献身的に病人を看病していた彼女は、民の目には救世主か聖女のように映ったはずだ。

 弟のヨハンと共に、ローゼマリー殿下の人気は、グレンツェの街の中で急上昇している。きっと噂は遠くない未来に、吟遊詩人の歌となって国中へと広がるのだろう。


 そう考えると、不思議な心地になる。

 まるで自分が、物語の一ページに足を踏み入れているかのような高揚感と緊張。自然と背筋が伸びた。


「ナハト殿下」


 考え事をしていた私は、近衛兵の呼び掛けに引き戻された。

 下では、いつの間にか再び馬車が動き出していた。私は出迎える為に、バルコニーから室内へと戻る。


 さして時間を置かずに現れた人は、お伽噺の姫君にしか見えない可憐な姿で微笑む。

 この方が主役の英雄譚は、さぞや異色な仕上がりとなるだろう。だが、もし存在するのなら読んでみたい。私は頭の片隅で、そう思った。




 まずは体をゆっくりと休めて欲しい。

 そう思っていたのだが、ヨハンはギーアスター卿との面会を望んだ。ローゼマリー殿下も薬師と共に、同席したいと申し出てくれた。願ってもない話だ。


 ローゼマリー殿下と共に戻ってきた数十人の薬師は皆、特徴的なアッシュグレーの髪と蜂蜜色の瞳を持つ。『クーア族』と名乗った彼等は、ギーアスター卿が予想した通り、フランメの山奥に住む薬師の一族だった。


 ギーアスター卿の容態は、素人である私の目から見ても深刻に見える。

 だが、奇跡と呼ばれる薬師の一族ならば、なんとかしてくれるかもしれない。そう、一縷の望みを抱いた。


「っ……お久しぶりです。ハインツ様」


 面変わりしたギーアスター卿を見て、目を瞠ったヨハンは、すぐにいつものような柔らかな笑みを浮かべた。

 ギーアスター卿は嬉しそうに相好を崩し、ヨハンの手を取る。


「ずいぶんと大きく……良い男になられましたな」


「ハインツ様よりも?」


 ヨハンが悪戯を企む悪ガキのような顔で言うと、ギーアスター卿は喉を鳴らして笑った。


「それは十年早い」


 親しさを感じさせる気安い会話に、ローゼマリー殿下が表情を緩めた。

 洩れた小さな笑い声を拾ったギーアスター卿の視線が、彼女の方を向く。


「ヨハン殿下。そちらの可憐な姫君は、もしや?」


「私の姉です」


「お目にかかれて光栄です。ローゼマリー・フォン・ヴェルファルトと申します」


「はじめまして、麗しき王女殿下。ハインツ・フォン・ギーアスターと申します。お噂はかねがね、ヨハン殿下から伺っております」


 ギーアスター卿の言葉に、ローゼマリー殿下は困ったように微笑む。


「あまり本気になさらないでくださいね? ヨハンは姉である私を立てようとしてくれるので、少し大袈裟に話していると思うんです」


「大袈裟ではありません。姉様は素晴らしい方です」


「ほら、こんな感じに」


 姉弟の仲の良い遣り取りを見て、ギーアスター卿は目を細める。


 ギーアスター卿の体力や症状を配慮して面会時間は短いものだったが、終始、穏やかな空気が流れていた。ギーアスター卿が、とても楽しそうに笑っていたのが印象的だったように思う。

 ヨハンとローゼマリー殿下を見る彼の目は、孫を愛しむ祖父のようだった。


 こちらまで優しい気持ちになれる暖かな時間に、すっかり私の肩の力も抜けていた。しかし、別室に移ってからは、空気は一瞬で暗く重たいものに変化する。


「苦痛を少しだけ和らげる事は出来る。けれど治す事は――無理よ」


 薬師……ヴォルフと名乗ったクーア族の男性は、苦痛を堪えるような表情で、けれどハッキリと告げた。


「心臓の病は、かなり重症ね。既に、薬や食事療法でどうにかなる段階ではないわ。それに他の臓器にも異常が出ている。年齢的に見ても、回復は難しいでしょうね」


 治せないのだと告げられ、私は動揺した。

 私は勝手に、理想を頭の中に思い描いていたのだ。難しいし、時間もかかるけれど、治してみせる。そう、頼もしく笑ってくれるんじゃないかと思っていた。それがどれ程、楽観的で身勝手な想像なのかを、考えもしないで。


「っ……」


 どうにか、出来ないのか。

 焦燥感から私は、そう詰め寄りそうになった。だが、すんでのところで堪えたのは、ヴォルフ殿の固く握られた拳を見たからだ。

 誰が一番悔しいのか、深く考えずとも分かるはず。薬師である彼が、「治せない」なんて言うのは、どれほど辛い事なのか。


 現実が受け止めきれていない私とは違い、ヨハンは沈痛な面持ちで俯いた。深い海色の瞳に涙は浮かんでいないが、それが余計に痛々しく見える。斜め下に視線を固定したまま動かなくなったヨハンの手を、ローゼマリー殿下がそっと握った。


「……もし……もしも、ハインツ様が望んでくださるのなら、痛みを和らげてあげて欲しい。僕の勝手な望みですが、最期の時間は穏やかに過ごして頂きたいんです」


 姉の手を強く握り返しながら、ヨハンは声を絞り出す。

 掠れ声の嘆願を聞いて、ヴォルフ殿は深く頷いた。


 しかしギーアスター卿は病に体を蝕まれていても、心は変わらず、豪胆な彼のままだった。

 痛みがなければ、自分が生きているのか死んでいるのかも分からない。そう笑い飛ばした。


 ハインツ様らしいな。

 苦笑したヨハンは、辛そうで……けれど少しだけ、嬉しそうだった。


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