転生王女の多幸。(3)
「レオン様……?」
そっと、大事そうに手をとられ、私は戸惑う。
「姫君、オレは……」
レオンハルト様は何かを言いかけたが、声は不自然に途切れた。続きの言葉は、はくりと音にならずに消えてゆく。眉間に深くシワを刻んだレオンハルト様は、必死に言葉を探しているように見えた。
だが結局、良い言葉が思い浮かばなかったのか、いつもは姿勢の良い彼が項垂れる。瞳を伏せて、軽く頭を振った。
それを見て私は、レオンハルト様が私を慰めようとしてくれているのだと思った。ボロボロの手を嘆く私を、気遣ってくれているのだと。
優しい人だ。
私の手がボロボロになっても、貴方にはなんの責任もないというのに。
「大丈夫です。実は、あまり気にしていないので……って、気にしないから、こんな残念な感じになってしまったんですけどね」
私はそう言って、苦笑いを浮かべた。でも言ったあとにすぐ、失敗したと気付いた。
笑い飛ばして欲しかったけれど、こんな自虐的な事を言ったら、優しいレオンハルト様はきっと困るのに。
「そうじゃない!」
「……っ?」
レオンハルト様は、声を荒げて否定した。私は、その勢いに気圧されて、ビクリと体を強張らせる。
そんな私を見て、彼は我に返ったように息を詰める。
「っ、申し訳ありません。……貴方を怯えさせたいわけじゃないんだ」
レオンハルト様は悔いるような表情で、苦しげに声を絞り出す。
私は唇を噛み締め、ゆっくりと頭を振った。私も、貴方にそんな顔をさせたいわけじゃない。
「…………」
暫しの沈黙。
ふ、とレオンハルト様は息を吐くように笑った。
眉を下げて、少し自嘲気味に。珍しくも少し緩いその表情に、私も肩の力が抜けた。手を繋いで、顔を見合わせたまま笑い合う。
「オレは情けない男です。貴方を傷つけてしまう事に怯えるあまり、うだうだと悩んで、結局は貴方を不安にさせた。それくらいなら、初めから素直に言ってしまえばよかったんだ。……姫君」
「はい」
「もしオレの言葉に、少しでも傷ついたと感じたら教えてくださいますか?」
「はい」
素直に頷くと、レオンハルト様は安堵の息を洩らす。
ああ、困らせているなあと思いつつも、嬉しい。私の一挙一動に振り回されてくれる貴方が、とっても愛しいの。
レオンハルト様は私の左手を掬い上げ、親指の傷を擦る。
「……新しい傷跡ですね」
「えっと。それは料理中……野菜の皮むき中に、余所見をしてしまいまして」
「こちらは?」
ひっくり返した掌に走る、大きな傷跡。但し浅い傷なので、もう既に消えかけている。
「ああ、それはクーア族の村で、薬の材料を集めている時に。葉っぱが鋭かったんです」
「これは……火傷?」
右手の端っこ、手首に近い位置。少し赤くなっている箇所を、レオンハルト様は目ざとく見つけた。
「薬湯をかき混ぜている時に、少し跳ねたんです。でも、ほんのちょっとですよ」
一つ一つの傷を、レオンハルト様は確認するように指で辿る。
心配そうな顔をされると、申し訳なくなってくるが、彼は確認作業を止めようとはしなかった。
「姫君。オレは、貴方に傷ついて欲しくない」
「レオン様……」
「ですが、オレが傍にいたら怪我なんてさせなかったとは言えないんです」
ここは、格好良く言い切るべきところでしょうけど。そう言ってレオン様は場を和ますように笑う。少しの痛みと苦さを含んだ顔で。
「貴方はきっと、誰が傍にいても同じことをするだろうから」
違う、とは言えなかった。
レオンハルト様が傍にいてくれても、全て任せて大人しくしているなんて出来ない。そんな私を、私自身が許せないだろうから。
「誰かを助けるために奔走する貴方を、オレは止められないし、止めたくもない。……だから姫君。オレが貴方に伝えたい言葉は、これだけです」
「…………」
私は無言で、レオンハルト様の言葉の続きを待った。
怒られる覚悟は出来ている。好き勝手に行動して、無茶ばかりした。結果的に色んな事が良い方向へ流れてくれたからいいものの、一歩間違えば私自身の命さえなかったかもしれない。
私にもしもの事があったら、色んな人に迷惑をかける。自業自得で済ませていい問題じゃないんだ。
……ああ、でも。怒ってくれさえしなくなったら、どうしよう。
もういいですと、突き放されたらどうしたらいい?
嫌な想像が浮かんで、知らず、指先に力がこもる。
ぎゅうっと目を瞑って、唇を噛み締めた。
「よく、頑張りましたね」
「…………え?」
一瞬、何を言われたのか分からなかった。
自分の想像とはあまりに違いすぎて、異国の言語のようにすら感じた。目を開けた私は、思わずレオンハルト様の顔を見上げる。
レオンハルト様は、笑っていた。
諦観や失望など微塵も含まない、どこまでも優しい瞳で。
「貴方の旅路を、オレは詳しく知りません。ですが、この手を見れば分かる」
勤勉な人の手だ。そう言ってレオンハルト様は、大きな両手で私の手を優しく包み込む。
硬い掌から伝わる熱が、強張った私の手を温めてくれた。
じわりと浸透した熱が、体の隅々まで行き渡って私を溶かす。
緊張とか、強がりとか、その他諸々。溶かされて、引き剥がされて、残ったのは素の私だけだ。
情けなくて、格好悪い、引くレベルでレオンハルト様が好きな私だけ。
「女性に傷を誇れというのは、あまりに無神経だと分かっているんですが……どうか、この手を恥じないで欲しい」
「……ぼろぼろ、でも?」
笑って言おうとしたのに、声が震えた。
鼻の奥がつんとする。目頭が痛い。
「……ボロボロでも」
レオンハルト様は、小さく頷く。
「オレには何より尊く、美しい手だ」
「…………っ」
その言葉を聞いた瞬間、私の涙腺が決壊した。
大粒の涙を零す私を見て、レオンハルト様は慌てる。
「姫君……っ、申し訳」
「ちが、……ちがうの」
私は頭を振って、掠れる声を絞り出す。
鼻声でみっともない。でも、これだけは勘違いされたくないから、言わなきゃ。
「嬉しいんです」
涙で滲む視界の中、レオンハルト様が目を丸くしたのが見えた。
それから数度瞬いた後、彼は優しく目を細める。伸びてきた大きな手が、そっと私の頭を撫でた。
ああ、良かった。
この人を好きになって、本当に良かった。
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