偏屈王子の帰還。
※ヴィント王国第二王子 ナハト・フォン・エルスター視点です。
王都に辿り着いたのは、真夜中だった。
私が到着した頃は寝静まっていた王城が、少しずつ騒がしくなっていく。皆の安眠を妨げるのは不本意だが、朝まで待つという選択肢はなかった。
父上に取り次いでもらい、その間に軽く身なりを整える。用意してもらった湯で汚れを落とし、一息ついた頃に扉が派手な音をたてて開いた。驚きに軽く肩が跳ねる。視線をそちらに向けると、肩で息をする兄上がいた。
いつも浮かべている鬱陶しいまでの爽やかな笑みもなく、怖いくらいに真剣な表情で兄上は私を凝視している。私もなんと言っていいか分からず、室内に奇妙な沈黙が落ちた。
兄上は私を見つめたまま、無言で駆け寄ってきた。そのまま勢いよく、私に抱きつく。正直、なにが起こっているのか分からない。
手加減のない力で抱きしめられ、息が詰まりそうだ。痛い、と苦情を言おうとして、気付いた。兄上の腕が小刻みに震えている事に。
「……はと、ナハト……っ! よかったぁ……」
無事で良かったと、震える声を絞り出す。
そんな兄上を突き放すのは、さすがに出来なかった。引き剥がそうとしていた手を、兄上の背に回し、宥めるように数回叩く。
「ただいま帰りました。心配をおかけして申し訳ありません」
「無事に帰ってきてくれたならいいよ!」
顔を上げた兄上の目は赤く、潤んでいる。嫌われてはいないと知っていたが、こんなにも心配するとは思わなかった。
いや。そういえば、心配性な人だったな。
幼い頃、高熱を出した私の枕元で泣いていた兄上の顔を思い出した。
「お前は相変わらず弟離れが出来ないねえ、リヒト」
ぼんやりと昔を思い返していた私は、呆れた声に引き戻された。
戸口に立っていた男性は、兄に良く似た端正な顔に苦笑いを浮かべている。
「っ、父上。お休みのところを起こしてしまったばかりか、出向かせてしまい、申し訳……」
「ああ、やめなさい。やっと帰ってきてくれた息子に会いに来たんだ。まずは抱きしめさせておくれ」
謝罪の言葉は、やんわりした声に遮られ、兄上ごと抱きしめられた。
「無事で良かった。君になにかあったら、私は天国のアメリーに顔向けできないよ」
幼子でもないのに、父親に抱きしめられるというのは、どうにも恥ずかしい。だが、亡くなった母上の分まで愛情を注いでくれる父上を拒む気にはなれなかった。
それから少し他愛のない話をした後、改めてグレンツェの報告をする事になった。
流行り病と、森の中の村に隔離された病人達。それから辺境伯の息子フィリップの所業、ヨハンの英断。
そして、彼の姉君ローゼマリー王女殿下が齎してくれた希望の光。
出来るだけ客観的に、分かりやすい説明をしようと思っていた。
しかし、気づけば私は、感情的に捲し立てていた。私が短い間に味わった絶望と希望は、あまりにも鮮烈すぎて。冷静に話すなんて土台無理な話だった。ところどころ上擦った声は、かなり聞き辛かったと思うが、父上も兄上も黙って私の話を聞いてくれた。
マホガニーとダークブラウンの革で構成された一人掛けのソファーに、父上は深く身を沈める。長い足の上で手を組み、目を瞑っている父上は、一見転寝でもしているかのようだ。だが、ちゃんと私の話を聞いてくれている事は疑っていない。ちなみに兄上は、背筋の伸びた良い姿勢で私の話を聞いているが、おそらく半分くらいは既に反対側の耳から流れ出ているだろう。
私の話が終わると、父上はゆっくりと目を開ける。
「……なるほど」
呟いた声は、低く硬い。
「私の判断が遅いばかりに、多くの民を苦しめてしまったようだ」
悔いるように告げる父上に、なんと声をかけるべきか分からない。
グレンツェの流行り病と森林伐採は、おそらく因果関係がある。
森が切り崩される前に伐採の制限を設けていれば、もしかしたら病は広がらなかったかもしれない。
しかし、今まで隣国スケルツの脅威に晒されながらも、防衛拠点としての役割を果たし続けてきた辺境の民には負い目があった。やっと手に入れた平和と、豊かな暮らしへの足がかりを奪う事に抵抗があった父上を、私は責められない。
政治に私情は挟むべきではないと、分かっていても。
「父上……」
「だが、今は後悔や反省をしている場合ではないね。早急に対応しよう」
父上はそう言って、立ち上がる。
「まずは食料と物資を手配。あ、医者、薬師を含め医療に詳しい人間もだね。それから、グレンツェを含め、西方の街の民を不安にさせないためにも、暫くの間、ギーアスター家に代わり、西方一帯を任せる事の出来る人を探さなくては。フィリップ・フォン・ギーアスターの処遇や調査は、ひとまず保留に……」
「父上。私は先に、グレンツェに向かいます」
「ナハト?」
父上ではなく兄上が、眉を下げて私を見る。
縋るような目をした兄上を、これ以上不安にさせたくはない。でも駄目なんだ。私は、必ず戻ると約束したのだから。
「友と、恩人を迎えに戻らなくては」
「……でも、ナハトっ!」
「リヒト、やめなさい」
食い下がろうとした兄上の肩に、父上は手を置く。
「ですが、父上。森に近づいて、もし病に罹ったら……」
「その危険な森に、隣国の王子と王女がいるんだよ?」
「っ……、それは」
「自国の民のためだって、中々出来る事ではないのに……彼等は隣国であるヴィントの民を、命をかけて救おうとしてくれている。それが、どれだけ尊く稀有な事か」
いつもは凪いだ湖面のように穏やかな父上の瞳に、強い光が灯る。
「そんな大恩ある人達を、裏切ってはいけない。ね、リヒト。素直で真っ直ぐな君なら、分かるね?」
「……はい」
兄上は一瞬辛そうに顔を顰めたが、ゆっくりと瞬きをした後に顔を上げる。真っ直ぐに目を見て返事をした兄上に、父上は満足そうに瞳を細めて頷いた。
それから父上は外の護衛に宰相と近衛騎士団長を呼ぶよう手配し、もう一度部屋に戻ってきた。
私はそろそろ退室し、グレンツェに向かう用意をしなければ。
そう思い、父上と兄上に挨拶をしようとした。
が、その前に父上が私に近づいてきた。何故か内緒話をするみたいに、耳元に手をあてて顔を寄せる。
「ねえ、ナハト。ちょっと気になっている事があるんだけど、聞いてもいいかい?」
「……? なんでしょうか」
「こんな時に何を考えているんだって怒らないで欲しいんだけど、ね?」
意味不明な前置きに、首を傾げながらも頷く。
「ネーベルの王女殿下に、もしかして恋したのかい?」
「……はあっ!?」
一瞬、何を言われているのか分からなかった。
誰が誰に恋!?
人を馬鹿にするのも大概にしろと怒鳴りつけてやりたかったが、堪えた。一応、こんなのでも一国の君主。我慢をしろ、私。
「だって君が、あまりにも瞳を輝かせて王女殿下の事を語るものだから。それに今だって、顔、赤いよ?」
「これは貴方があまりにも突拍子もない事を言うから、少し驚いただけです。……それに、本当にそういうのじゃない」
赤くなっているらしい頬を手の甲で擦り、ため息を吐き出す。
確かに美しい人だった。
容姿以上に、強い光を宿す瞳が、とても。
だが。いや、だからこそ、か。
恋とか、そんな感情を向けていい人だと思えなかった。夜明けと共に現れた救いの光が、あまりにも眩くて。触れてはいけない、神聖な存在にすら思えた。
「そうかい? 君と王女殿下が結ばれたら、両国にとっても私達にとっても、喜ばしい事だと思うのだけど」
「私のような矮小な男が、あの方のお相手など……おこがましい。それに、……」
「それに?」
途中で言葉を途切れさせた私を、促すように父上は見る。
しかし私は続きを言う事なく、頭を振った。
「いえ、なんでもありません」
思い出すのは、城の手前まで律儀に護衛してくれた彼の事。
私を無事に王都まで届け終えると、休む間も惜しいというように、即座に馬首を返して闇に消えて行った。
森に残してきたヨハンの事が心配なのもあるだろうが、きっと彼が焦る理由は、それだけではない。
彼が言った「オレの希望の光」という言葉を、邪推するつもりはない。
だが、彼を前にした王女殿下の赤い顔を思い出すと、単純に信頼関係という言葉で片付けてしまっていいものかと悩むのも事実だった。
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