転生王女の親睦。(2)
ぐつぐつ、ぐつぐつ。
煮立つ音と共に、良いにおいが辺りに漂い始める。ぐるりとかき混ぜて、具材の様子を見る。
うん、いい感じ。野菜も肉も、柔らかく煮えてきた。
鍋の縁に浮かんだアクを掬い上げながら、額の汗を拭う。
火の前に立っていると、全身から汗が吹き出してくる。拭うそばから滴り落ちて、まるで一泳ぎしてきたかのような有り様だ。
近くに置いてあった手拭いに、手を伸ばす。
「失礼します」
「うっわ、暑!」
振り返ると丁度、リリーさんとロルフが入って来たところだった。
リリーさんは服の袖が邪魔にならないよう、襷掛けのように紐で纏めている。ロルフは、暑い暑いと騒ぎ立てながら戸を大きく開け放った。人様の家の厨をお借りしているのだから、乱暴に扱わないで欲しい。
「マリー様、お手伝いします」
「ありがとう。じゃあ、鍋を見ていてもらえますか」
「オレは?」
「そこに用意してある生地を伸ばして欲しいわ」
「りょうかーい」
二人共、クーア族の村で、何度も一緒に料理をした仲だ。
詳しく説明しなくても、理解して作業をしてくれる。やりやすくて有り難いし、なにより楽しい。家族で料理しているみたいな気分だ。
「…………」
家族という単語と共に、弟の顔が思い浮かぶ。
無言で鉄板と向き合いながら思い出すのは、数時間前のヨハンのおかしな行動だった。自分の頬を全力で叩いたり、私に詰め寄ったりと奇行を繰り返したヨハンは、顔を真っ赤に染めて脱兎の如く逃げ出した。それ以来、姿は見ていない。
どこかで休んでくれていればいいと思うが、探す勇気が出なかった。
私の顔を見て逃げ出したのかと思うと、会うのが少し怖い。もし追いかけて嫌そうな顔をされたら、心が折れる。そんな子ではないと分かっていても、怖気づいてしまう。
「おい、なにボーッとしてんだ」
考え事をしていたら、いつの間にか横にロルフが立っていた。
手には薄く引き伸ばされたチャパティもどきが数枚。
「生地の量からして、大量に焼くつもりだろ? さっさと焼き始めないと、間に合わないぜ」
ロルフは私を押しのけて、鉄板の前に立つ。温度を確かめるように鉄板に手を翳してから、伸ばした生地を焼き始めた。何度も手伝ってもらっているだけあって、慣れたものである。
「ありがとう」
素直に礼を言うと、ロルフは横目でちらりと私を見た。
眉間にシワが寄っているが、怒っている様子ではない。どちらかというと、呆れているのかもしれない。
「……火の前でぼーっとすんじゃねえよ、ブス」
ああ、心配してくれたのか。そう気づいた。
物凄く可愛くない語尾がついているが、それは気にしない事にする。
「ブス!? 君は目が腐っているのか!?」
バァン、と。
いつの間にか再び閉まりかけていた戸が、大きな音をたてて開いた。
突然、入って来るなり大声で叫んだ少年に、視線が集中する。呆気にとられた表情で固まるリリーさんとロルフ。
「…………誰?」
異口同音。見事に二人の声が重なった。
そういえば、忙しく駆け回っていた二人には、まだ紹介出来ていなかったっけ。
「えーっと、ヨハン……?」
「姉様の何処をどの角度から見て、ブスなんて言っているんだ!? 顔の造作どころか髪の一筋、爪の先……いや、心根まで美しい方を捕まえてブスだと!? 目が悪いのか、それとも感性がおかしいのか、どちらなんだ!」
「ねえさま……?」
興奮気味に捲し立てるヨハンから視線を逸らし、リリーさんは私を見る。
私は額を押さえながら項垂れた。
「はい、弟です。……たぶん」
私は自信なさげに呟いた。
食事を配り終え、私達が休憩する頃には辺りは真っ暗になっていた。
私とリリーさんとロルフ、そしてヨハンというカオスなメンバーだ。沈黙が重い。
「……ヨハン」
「っ、は、はい!?」
そっと小さな声で呼びかけると、ヨハンの肩が大きく揺れた。声も裏返っている。
「スープ、どうぞ。熱いから気をつけてね」
「あ、ありがとうございます」
「私が作ったものだから、城で出る料理には遠く及ばないけれど、不味くはないはずだから」
「姉様の手作り……」
手渡すと、ヨハンはぎこちない手付きで受け取った。頬が赤いのは、ランプの灯に照らされているからだと思いたい。拝む動作をして「尊い……」とか呟いているのも空耳だ、きっと、おそらく、たぶんね!
「……お前の弟、変なやつだな」
それな。
ロルフの言葉に、全力で同意したくなったのは初めてだ。
どうやら嫌われていなかったようだと安心していいのか、頭を抱えた方がいいのか分からない。素直に喜ぶには、聞き捨てならない言葉が多すぎた。
四年会わないうちに、姉離れしたんだと思っていた。男の子の成長は早いなあ、なんて喜びながらも少し感傷的になっていたというのに、だ。
うちの弟、なんかおかしな方向に進んでないかな!?
ていうか、心根まで美しいって誰のこと!? 言っとくけど君の姉様の心根は、割と薄汚れてるよ!!
なんか離れていた間に弟が、勝手に私の事を美化している。
幻想というか、虚像というか。理想の姉像という分厚いフィルター越しに見られている気がするんだよね……。
「マリー様、どうぞ」
炒めた具材を巻いたチャパティが、私の前に差し出される。
リリーさんにお礼を言って、受け取った。
うん、弟が変なのは取り敢えず横においておくとして。まず、ご飯食べよう。明日もいっぱい、動く予定だし。
チャパティを頬張りながらヨハンの様子を見ると、スープを冷ますために息を吹きかけていた。
「……!」
スープを一口飲んだヨハンは、目を丸くする。思わず、といった風に零れた「美味しい……」という一言が嬉しい。
「口にあって良かったわ」
「姉様、料理なんて出来たんですね?」
そういえば、ヨハンに何かを作ってあげた記憶はない。
「マリー様のお料理は、どれも絶品ですよ」
「まあ、不味くはないな」
リリーさんとロルフが言うと、ヨハンは難しげな顔で俯いた。スープの入った椀を両手で持ったまま、じっと視線を落としている。
「ヨハン……?」
「僕は、知らなかった。姉様が料理上手な事とか、薬師の知り合いがいるとか。……どうしてヴィント王国にいるのかも、なにも」
拗ねた子供みたいな声と表情が、幼い頃のヨハンのソレと重なる。
離れていた間に、お互い、知らない事が山程増えた。
でもきっと、変わらないものもあるのだ。
「そうね……じゃあ、少し話しましょうか」
それから食事を終え、お茶をしながら今までの話をした。
ヨハンが留学してからの四年間、私がなにをしていたのか。話が進む度にヨハンの顔色が悪くなり、リリーさんが涙ぐんで、ロルフが呆れていた。
改めて思う。私、王女として規格外だったりするよね……。
跳ねっ返りの自覚はある。うん、一応。
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