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次期族長の呟き。

※クーア族の次期族長、ヴォルフ・クーア・リュッカー視点です。

 


「ヴォルフ様、追加の薬はここに置いていきますね」


「ありがと」


 そちらを見ないまま、礼を言う。慌ただしく出ていったリリーの足音が遠ざかり、少し間をあけて戸が閉まる音がした。


 抱き起こした少年の口に椀を近づける。

 開いた口に、砕いた薬を溶かしたぬるま湯をゆっくりと流し込む。コクンと飲み込んだ少年の眉間に皺が寄った。


「……まず、い」


「味覚が正常で良かったわね」


 拒絶を訴えかけてくる視線を軽くあしらい、もう一度椀を傾ける。

 少年は嫌そうに顔を歪めながらも、渋々口を開いた。

 苦味の強い薬だ。丸薬で飲んでもキツいのに、湯に溶かしたのだから味は更に酷いはず。だが、これを飲まなければ治らないのだと、幼いながらも理解しているのだろう。嫌々ながらも飲んでいる。


「うえぇ……」


 底に淀んでいた粉ごと流し込み、「ハイ終わり」と告げると、少年は舌を出して呻いた。たぶん口の中に苦味が残っているのだろう。

 口直しにと、今度は何も混ぜていない水を近づけると素直に飲んだ。

 一息ついた少年を横たえ、頭を撫でる。


「あとはゆっくり休みなさい」


「うん」


 ウトウトと微睡み始めた少年は、素直に頷く。


「ねぇ、おにーさん……」


「ん?」


「ぼく、なおるの?」


 思わず、撫でる手を止めた。

 濁りのない真っ直ぐな瞳が、縋るようにオレを見つめている。


 病に罹り、思うように動かない体。悲しい顔をした家族。あちこちから聞こえる、苦しげな怨嗟の声。幼い彼にとって、この村で過ごした日々は、どれほど辛く恐ろしかった事だろうか。


 オレは手を握り込んで、歪みそうになる顔を無理やり笑顔に変える。


「……当たり前よ。いつまでもグウタラ寝ていられると思ったら、大間違いなんだから。さっさと治して、ガキは外で元気に遊びなさい」


「……そっかあ」


 少年はそう呟いて、気の抜けた笑みを浮かべる。

 安心したのか目を閉じた少年の頭を、ぽんと軽く叩く。やがて健やかな寝息が聞こえ始めた。


「アンタらは、何者なんだい?」


 少年が眠ったのを見計らったように、声がかかる。

 隣に寝かされている初老の男は、額に載せられた濡れた布をずらしてオレへと視線を向けた。


「ただの薬師よ」


「貴族のお抱えの薬師ですら、手の施しようがないと俺達を見捨てた。そこいらの医者や薬師に、治せるはずがない」


「アンタ達は治るわ。いいえ、治すわ」


 言い切ると、男は軽く目を瞠った。

 次いで、薄く笑みを浮かべる。


「ああ、信じるさ。……だからこそ、不思議なんだ。アンタらは一体、何者でどこから来たんだ?」


「だからただの薬師だって言ってるでしょうが。無理に話すと熱が上がるわよ。大人しく寝てなさい」


 額の布を取って水に浸し、軽く絞ってから戻す。

 近くにあった扇を手に取り、軽く扇ぐと男は気持ち良さげに目を細めた。


「いい匂いがするな」


「お香を焚いているからね。虫除けだけど、好きな匂いなら良かったわ」


 室内を、白い煙と共に柑橘系の香りが漂う。

 量は加減したつもりだが、煙かったら一旦消そうとも思っていたが、この分だと大丈夫そうだ。


「豊富な知識を持ち、死にかけの病人すらも治す奇跡の一族が、どこかの山奥に住んでいると聞いた事があるが……御伽噺のたぐいかと思っていたよ」


「……それは御伽噺ね。私達は奇跡なんて起こせないわ」


 オレは扇ぐ手を止め、苦笑いを浮かべた。


 何度も、目の前で消える命を見送った。

 その度に己の無力さを嘆いた。なにも出来ないなら、なにもしないのと一緒ではないかと、自分の存在意義さえ疑った。でも。


「私達が持っているのは、先祖が残してくれた知識と技術だけ。あとは特に特徴も特技もない頑固者の集団よ。……でも、そんな私達を必要だって頭を下げてくれた子がいたから、ここにいる。それだけの事」


「それは、もしかしてナハト様のことか?」


「はぁ? 誰よ。それ」


 唐突に出てきた知らない名前に、私は眉を顰める。

 誰だ、それは。……どこかで聞いた事がある気もするが。


 オレが知らないと告げると、男の機嫌が悪くなった。


「偏屈王子を知らんのか。あんな素晴らしい方を」


 王子と聞いて、思い出した。森に入る手前であった小柄な子供か。

 確かこの国の二番目の王子だったか。あまり興味がなかったので、名前までは覚えていなかった。素晴らしいと言っているくらいなのだから、慕ってはいるのだろうが……それにしても酷い呼び名だ。


「敬っているとは思えない通り名ね」


「しようがないだろう、本当に偏屈なんだ。でも、優しい御方だよ。俺達の誇りだ」


 男は照れくさそうにそっぽを向いて言った。顔が赤いのは、発熱のせいだけではないだろう。


「あら、奇遇ね。マリーも私達の誇りよ」


 男の額からずり落ちた布を元の位置に戻しながら、オレは言う。

 男の目が、「誰だ、それ」と言いたげに向けられた。


「ローゼマリー・フォン・ヴェルファルト殿下」


 名を告げるだけで、胸が暖かくなる。ぽっとあかりが灯ったように、じんわりと心地よい熱が広がっていく。

 擽ったいような嬉しいような、そんな気持ちのままに微笑みを浮かべ、続けた。


「ネーベル王国の第一王女で、貴方達を助けようと駆けつけた御方。そして、私の唯一の主人」


 男の目が大きく見開かれる。


「貴方達の王子様が如何に素晴らしい人だろうと、関係ない。私達に命令出来るのは、あの子だけ。マリーだけよ」


 確かにあの王子様は、人格者なのだろう。自国の民を救おうと必死になれる王族は、決して多くはない。

 だが他国の民のために命をかける人間は、更に稀だろう。


「……なんで、他国の王女様が俺達のために……?」


 唖然とした男の言葉を聞いて、オレは苦笑した。


「さぁね。私もあの子の事を詳しく知っている訳じゃないし」


 付き合いは決して長くない。

 知っている事よりも知らない事の方が多いくらいだ。この国にきて、それを思い知らされた。

 あんなにも弟と仲が良い事も知らなかったし、それに。


 思い浮かぶのは、頬を染めて恥じらうマリーの横顔。それと長身で逞しい体つきの男。かなりの男前だったが。


「まさかあの子に、好きな人がいるとはねえ……」


 ぼそりと呟く。

 小さな独り言は、誰の耳に届く事もなく、香の煙と共に消えていった。


.




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