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転生王女の看護。

 


 嗚咽混じりだった呼吸が落ち着き、やがて穏やかな寝息が聞こえ始めた。

 目元を覆っていた手をそっとずらす。目元は少し赤く腫れ、涙の跡が残っているが寝顔は安らかだ。

 ヨハンの目尻に残る滴をそっと指で掬い、私は安堵の息を零した。


「……もうちょっと、休んでいてね」


 髪を撫でながら、小さな声で呟く。

 金色の髪は汗や泥で輝きを失い、パサパサだ。端正な顔立ちは相変わらずだが、目元には隈が出来ている。肌は日に焼けた上に、擦り傷だらけ。そして額を覆う白い包帯。綺麗にしていれば、兄様にも匹敵するくらいの完璧な王子様だろうに、ボロボロな有り様だ。

 でも、その姿が私には、とてつもなく格好良く見えた。


「ちょっと見ないうちに、イケメンになっちゃって」


 削げた頬を、そっと指で辿る。

 通った鼻筋や薄い唇、シャープなラインを描く顎も、私の知っているあの子とは違う。筋張った手や首筋、喉仏も見覚えのないものだ。

 さっき少しだけ聞けた声すらも、低くてビックリした。


 でも驚くべき変化を遂げたのは、容姿だけの話ではなかった。


 ヴィント王国の騎士や、村の人達から聞いたヨハンの活躍は、まるで英雄のようで。ヒヨコのように私の後ろをついて回っていた弟とは、中々結び付けられない。でもボロボロになったヨハンを見れば、それが嘘でも誇張でもない事は分かる。

 ああ、頑張ったんだな。水が染み込むようにゆっくり理解すると共に、愛しさと誇らしさが湧き上がってきた。


 泣き虫で我儘で、甘ったれだった弟はもういない。

 私だけしかいらないと言った弟は、もうどこにもいない。

 それがほんの少しだけ寂しい。けれど、それ以上に嬉しかった。


 私の弟、凄いでしょう? 格好いいでしょう?

 そんな風に、自慢して回りたいくらいだ。


「……私も、頑張るからね」


 このまま傍についていたいが、まだやる事は沢山ある。

 今もクーア族の皆は治療に走り回っているだろう。ナハト王子は、救援物資や食料を得るために、王都へと戻った。レオンハルト様は王子の護衛として同行している。皆が必死に働いている時に、一人だけゆっくりはしていられない。


 最後にもう一度頭を撫でてから、ヨハンを起こさないよう静かに立ち上がった。


 そっと扉を開けると、外にいた子供と目が合う。

 何故か家の前には、人が集まっていた。私を見るなり、何かを言おうと口を開いたので、私は慌てて唇に指を押し当てた。ヨハンが起きてしまう。

 私の言いたい事を理解してくれたのか、人々は口を手のひらで覆った。子供が両手で口を塞いでいるのが微笑ましくて、私は相好を崩す。


 扉を静かに閉めてから、しゃがみ込む。子供の顔を覗き込んで、もう話していいよとジェスチャーで伝えた。

 口から手を離した子供は、視線を私から逸らす。ぎゅうっと握りしめた拳や、引き結んだ唇が、言い辛い話だと雄弁に語った。

 しかし子供は意を決したように、顔を上げる。


「……お姉ちゃんは、お兄ちゃんのお姉ちゃんなんでしょ?」


「うん、そうよ。ここで眠っているお兄ちゃんは、私の弟なの」


 肯定すると、子供の顔が泣き出しそうに歪んだ。

 ぎょっと目をむいた私が手を伸ばす前に、子供は勢いよく頭を下げる。


「ごめんなさいっ!」


「えっ?」


「ぼくが、ぼくのせいなんだ。僕がお兄ちゃんに助けてって言ったから……お兄ちゃんは怪我をしちゃった」


 子供は涙を堪えながら、必死に言葉を紡ぐ。


「違う、悪いのはオレなんです! オレが、その子の父親に絡んでたから!」


「いや悪いのはオレだ! オレが石なんか投げたから」


「いいえ、私が!」


 オレが、私が、いや違うオレが。

 人々が争うようにして罪を告白してくる。私は子供の涙を拭いながらも、目を白黒させていた。

 罪を押し付け合って争うなら分かるけれど、奪い合う光景は初めて見た。


 食料も薬も尽きかけた状況で、病が蔓延した村の中で起きた事だ。仕方がない事だったのだと自分を正当化する人がいてもおかしくない。だというのに、彼等は皆、自分の罪と向き合っている。

 これこそが、ヨハンが守ったものなのだとしたら、本当に凄い事だと思う。体だけでなく心も守ったなんて。


 嬉しくて、ムズムズする。心が擽ったい。

 ヨハンが、私の弟が守ったんだと自慢したくてたまらない。さすが私の弟、なんて言ってみたいけれど、それは図々しいか。

 お姉ちゃんは弟の手柄を自分のものみたいに言うほど、落ちぶれていませんよ。


「ごめんなさい、お姉ちゃん。お兄ちゃんを傷つ、んむ?」


 むに、と子供の唇に指を押し付ける。強制的に口を塞がれた子供は、目を瞠った。微笑みかけると、涙の滲むまんまるな瞳が、更に大きく見開かれる。


「お姉ちゃんの弟はね、木の根に躓いたの」


「……っ」


「だからあの怪我は、誰のせいでもないのよ」


 周りにいた人達は、私の言葉に息を呑んだ。その言葉が指し示す意味を、正しく理解してくれたのだと思う。

 騎士団の人達が言うように、ヨハンがネーベルの王子だと伝わっているのなら、この話はここでお仕舞いにしなければならない。

 そうでなければ、ヨハンが『木の根に躓いた』と言った意味がなくなってしまう。


 でも子供だけは違った。真っ直ぐな瞳が、違うのだと訴えかけてくる。その純粋さが、とても尊いものに見えた。


「でもね……もし、あの子の怪我が、誰かを守ろうとして出来たものなら」


 子供の両手を掬い上げる。


「ごめんなさいじゃなくて、ありがとうって言ってあげて」


「!」


 ぱちくりと、大きな目が瞬く。


「その方が、きっと喜ぶわ」


 ね、と笑いかけると、子供は大きく頷いた。

 良い子と頭を撫でてから、立ち上がる。


「皆さんも、あの子を心配して集まってくれてありがとう。あの子は休めば大丈夫ですから、ご家族の元に戻ってあげてください」


 周囲の人達を見回して告げると、何故か呆けた顔をしていた。数秒して我に返った彼等は、不思議そうな表情で私を見る。未知の生命体を観察するような眼差しは、正直居たたまれない。


「……貴方様は」


「はい?」


「本当に王女……いや、いいです。なんでもありません」


 なにかを言いかけた青年は、すぐに言葉を取り下げた。頭を振った彼は、眩しげに目を細めて笑う。

 止めてしまった質問の続きを聞こうとしたが、それよりも少し早く、遠くから呼ばれた。振り返ると、リリーさんが大きく手を振っている。


「マリー様、こちら手伝って頂けますか?」


「はーい!」


 私は彼等に会釈をしてから、リリーさんの元へと走り出した。


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