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第二王子の希望。

※ネーベル王国第二王子 ヨハン・フォン・ヴェルファルト視点です。



 真夜中の訪問者は、小柄な少年だった。


 特徴的な黒い肌から、元々この村に住んでいた一族の子だと分かる。彼は泣きそうな顔で、僕の手を掴んだ。


「お願い、一緒に来て! 父さんがっ!」


「!」


 僕はすぐに室内に戻り、鞄を掴む。


「ヨハン様、オレも一緒に行きます!」


「貴方は騎士団の皆さんを見ていてください」


 共に行くと立ち上がったヘルマンに告げ、僕は家を飛び出した。少年に手を引かれるまま、駆ける。

 ほんの少し進んだだけで、異変に気付いた。日の沈まぬ頃には閑散として、静まり返っていた村の中心から人の声がする。それも、争っているような声が。


 暗闇に目を凝らす。篝火で照らされた前方に、人々の背が見えた。


「この疫病神がっ!!」


 人垣の向こうから、罵声が聞こえる。


 この差し迫った状況下で、争い事か。否、差し迫った状況下だからこそか。

 僕は、吐き出そうとした溜息を呑み込む。まずは少年の父親を優先しよう。争いを収めるのは、その後だ。

 そう判断し、少年の家へと急ごうとした。


 だが少年の足は、騒ぎの中心に向かっている。


「君、そっちは……」


「早く! 父さんが殺されちゃう!」


「!?」


 少年の言葉に、僕は驚愕した。死んでしまう、ではなく、殺されると言ったか?

 つまり少年の父親に危害を加えようとしている人間がいるという事。少年が騒ぎの中心を目指している事を合わせて考えれば、答えは自ずと知れる。


「君はここにいなさい」


 僕は少年の手を離すと、人垣を掻き分けて進んだ。


 中心にいたのは、二人の男性だった。一人は血の気の多そうな二十代の若者。もう一人は三十代後半と思われる黒い肌の男。後者が少年の父親だろう。

 若者は男の胸ぐらを掴み、睨みつけている。


「もらった分の薬と食料を、早く寄越せよ! それで許してやるって言ってんだから」


「あれはオレの妻の分だ。渡せない」


 二人の会話を聞いて、舌打ちしたい気持ちになった。

 配った食料と薬が、既に争いの火種になっているとは。想像以上に、この村の現状は切迫しているようだ。


「図々しい! よくそんな事が言えたものだ。お前らが森から出てこなければ、こんなことにならなかった。オレの母親が苦しんでいるのも、オレがこんな場所にいるのも、全部お前らのせいじゃねえか!」


「違う! オレ達のせいじゃない!」


 若者の手を男は振り払った。


「嘘をつくな! お前らが街に来るようになってから、病が流行り始めたんだぞ!?」


「元を正せば、お前らが森の木を切り始めたせいだろう! オレ達だって、街に出たくなどなかった! だが、お前らが森を荒らしたせいで、まともな生活が出来なくなったんだ」


「オレ達のせいだと!?」


「止めてください!」


 再び掴み合いになりそうになった二人の間に、無理やり入った。


「落ち着いて。どちらも頭を冷やしてください」


 刺激しないよう、なるべく穏やかな声で語りかける。だが大した効果はなかったようだ。

 若者は僕を押し退けて、男に掴みかかろうと必死になっている。


「アンタには関係ないだろう! そこを退いてくれ!」


「退きません。この人を責めても、事態はなにも変わらないでしょう」


「だったら、どうすれば変わる!?」


 若者は、苛立ちをぶつけるように叫んだ。


「病に罹った家族ごと、こんな森の奥の村に閉じ込められて、国にまで見放されて! オレ達がこんな目に合っているのは、全部そいつらのせいじゃないか!」


「そ、そうだ。この村の奴らのせいだ」


「こいつ等さえいなければ……」


 若者の言葉に同調するように、周囲にいた人達の間から声があがった。

 血走った目で、人々は黒い肌の男を睨み、殺伐とした空気が流れる。


 マズいな、と僕は胸中で呟いた。村に押し込められた人々の、苛立ちや恐怖、不安の捌け口が村の住民へと向けられ始めている。抑圧された状況での集団心理ほど、厄介なものはない。


「消えろ」


 小さな呟きと共に、小石が転がった。


 触発されるように、再び石が転がる。今度は投げつけたんだろうという、明確な意図を感じた。悪意が膨れ上がっていく。


「オレ達の前から消えろ!」


 小さな石が、黒い肌の男の腕にあたった。

 呻く男を庇うように、僕は立つ。


「っぐ……」


 ガツンと、頭に衝撃を受けた。

 左目の上に、おそらく石がぶつかったのだろう。抉るような痛みの後に、生ぬるい液体が目の縁を辿って頬を滑り落ちる感覚があった。滴り落ちる血のせいで、左目が開けられない。


 片目で、石を手にする人々を端から順に眺めた。オレが流血した事に驚き、気勢を削がれたのか、悪鬼の如き表情は消え失せた。呆然と佇む彼等は、青褪めている。


「落ち着いてください」


 もう一度、同じ言葉を繰り返す。

 今度はちゃんと、届いたようだ。幼子に言い聞かせるように、僕はゆっくりと告げた。


「国は、貴方達を見捨ててなどいない」


 ざわめきが起こる。

 彼等の中ではきっと、信じたいという願いと、信じて裏切られたくないという疑念がせめぎ合っている事だろう。


「第二王子、ナハト・フォン・エルスターは、貴方達を救うために奔走しています」


「ナハト様が……?」


「そんな事信じられるか。王族が、こんな辺境の街の事なんて気にする訳ないだろ」


「でも、偏屈王子だぞ。オレ達のような平民にも声をかけてくださる変わり者の王子様だ」


 ナハトの名は、彼等の心を揺さぶる効果を持つようだ。

 それが己の事のように誇らしい。


「ナハトは僕と共に、村の入り口まで来ていました。貴方達に配った薬や食料は、彼が手配したものです。本当は直接、手渡したかった事でしょう。ですが彼が貴方達の看病をしても、根本的な解決にはならない。それが分かっていたから、ナハトは王都へと引き返しました。もっと多くの薬と薬師を、連れてくるために」


 人々は困惑したような顔で僕を見る。


「アンタ、一体……」


「ちょ、ヨハン様!? その怪我はどうされたんです!?」


 騒ぎを聞きつけたのか、騎士団の一人が人垣を掻き分け現れた。血塗れの僕を見て、慌てて駆け寄ってくる。


「ヨハン様って……まさか隣国の王子……!?」


「そういや、ハインツ様と一緒にいるのを見た事がある……嘘だろ……オレ達、なんてことを……」


 周囲の人達も、僕の正体に気付いたらしい。

 可哀想なくらい青い顔をした彼等は、困惑している。


「僕が……ヨハン・フォン・ヴェルファルトがここにいる事が証です」


 流れる血を手の甲で拭う。無理やり開けた両目で、彼等を真っ直ぐに見た。


「重ねて言います。国は貴方達を見捨ててはいない。ナハトは貴方達、国民を心から愛し、救おうと努力しています」


 沈黙が流れる。しかし、さっきまでの殺伐とした空気は、確かに払拭されていた。


「だから貴方達も、彼が誇りに思う国民であってください」


 息を呑む音がした。

 唇を噛み締めて俯く彼等の顔は、後悔や(ざん)()の念に歪んでいる。己の行いを恥ずかしいと感じ、悔い改める事が出来るのなら、大丈夫だ。まだ取り返しがつく。


 人は弱い。

 だが弱いからこそ、他者の痛みを理解できるはずだ。


「家族が苦しんでいるのを見るのは辛いと思います。不安で、辛くて眠れないかもしれません。ですが、どうかナハトを信じ、もう少しだけ待ってください。僕と共に、ここで持ち堪えて欲しい」


 お願いします。そう締めくくった僕の言葉に、小さく誰かが『はい』と応えた。

 ゆっくりと、順に見回す。泣きそうな顔で頷く人々の顔には、もう悪意も絶望もない。


 背後にいた黒い肌の男を振り返る。彼は苦笑しながらも頷いてくれた。


 ああ、良かった。友の守ろうとしたものを、最悪な形で失わずに済んだ。

 安心した途端、体の力が抜ける。くらりと視界が揺らいだ。


「ヨハン様!?」


 傍にいた騎士が、倒れかけた僕の体を受け止めてくれる。意識を保とうとするが、押し寄せてくる疲労と眠気に勝つのは難しそうだ。

 だが、そういえば言わなければならない事があったと思い出し、途切れかけた意識を必死に繋ぐ。


「そういえば、この怪我は、木の根に躓いたってことで……よろしく」


「ちょっとヨハン様!! しっかりしてください!」


 言いたいことは言ったとばかりに、僕は意識を手放す。

 最後に見たのは、騎士の情けない顔だった。




 閉じた瞼越しに、光を感じる。

 木の葉のざわめきと、鳥の囀りが聞こえた。


 少し休むつもりで、かなりの時間気を失っていたらしい。早く起きなければ。やらなければならない事は沢山ある。


 だが中々起き上がれない。体は鉛のように重く、頭も痛みを訴える。耳の後ろにもう一つ心臓があるかのように、脈打つ鼓動が煩い。締め付けるような頭痛に眉を顰めながら、痛みに耐えていた。


「…………?」


 ふわり、と。

 瞼を何かが覆った。柔らかで暖かな感触は、たぶん誰かの手だ。


 じわりと瞼に、優しい熱が移る。不思議と痛みが、遠ざかった。

 あまりの心地よさに、再び眠気が襲ってくる。


 駄目だ。やるべき事が山のように積み上がっているのに。そう思うのに、抗う事が出来ない。

 僕の意識が再び沈みかけているのに気付いたのか、気付いていないのか。柔らかな手が、目元から浮いた。離れていく感触が惜しくて、咄嗟に捕まえる。


 驚いた気配がした。


「ヨハン、起きたの……?」


 鈴を転がすような、耳に心地よい声がした。


 うっすらと目を開ける。視界に飛び込んできたのは、天使だった。

 淡く輝くプラチナブロンドに、透明度の高い青い、蒼い瞳。高名な画家であっても、稀代の天才彫刻家でも写し取れないであろう、麗しい姿。


「……姉様?」


 僕が呼ぶと、姉様は嬉しそうに顔を綻ばせる。花のような笑み、という表現は、きっと姉様のためにあるのだろう。


 ああ、夢か。

 こんな場所に姉様がいるはずない。幸せな夢を見ているのだと僕は結論づけた。


「良かった。覚えていてくれたのね」


 姉様の事を忘れた日なんて、一日たりともない。こうして夢に見てしまうほどに、焦がれている。

 まさか、成長した姿をここまで鮮明に思い描けるほど、思いつめていたとは自分でも気付けなかったが。芸術面には疎いと思っていたが、姉様に関してのみ、僕の能力は発揮されるらしい。


「色々話したいけれど、もう少し休んでいて。怪我に響くわ」


「ですが、まだやる事が」


 身を起こしかけた僕を、姉様が止めた。引き戻した手が、そっと優しく髪を撫でる。


「もう大丈夫」


「……え?」


 間の抜けた声が洩れた。

 姉様は微笑んで、もう一度同じ言葉を繰り返した。


「特効薬を持って、優秀な薬師の皆さんが来てくれているから、もう大丈夫よ」


 なんて、平和ボケした夢を見ているんだ、僕は。

 そう自分を笑ってやりたいのに、息が詰まる。胸が苦しい。勝手に滲んだ涙のせいで、視界が滲んだ。隠すように柔らかな手が、再び目元を覆う。


「よく頑張ったわね、ヨハン。私は貴方の姉である事を誇りに思うわ」


「……っ」


 もう堪える事は出来なかった。流れ落ちる涙もそのままに、僕は嗚咽を洩らす。


 もし目覚めた時に、また絶望が待っていても。さらなる地獄が待ち受けようとも。


 この幸せな夢を糧に、戦える気がした。


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読み返し組です。 この小説でこの回とこの前の回が一番好きかも。 この回の最後の一文、心に沁みます。
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