第二王子の決断。(2)
※ヨハン・フォン・ヴェルファルト視点です。
「ナハト様……」
「え!? お、王子殿下……!?」
仲間の言葉を聞き、漸く目の前の少年の正体に気付いた若い騎士は、戸惑ったように仲間とナハトとを交互に見た。
事態の重さを理解し始めたのか、顔色が次第に悪くなっていく。
「どうして」
「それはお前達が良く知っているんじゃないか?」
動揺する若い騎士を、ナハトは冷たい目で一瞥した。
「っ……それは……」
「まぁ、いい。話は後でゆっくり聞く。それよりも中へ入れてくれ」
ナハトは短く嘆息すると、村へ向かって一歩踏み出した。途端、マルクスは弾かれたように顔を上げた。
「駄目ですっ!! ……っ」
叫ぶような声だった。唐突に大きな声を出したのが悪かったのか、マルクスは口を手で覆いながら咳き込む。
「副団長……貴方もですか」
レオンハルトに背を擦られているマルクスを見て、若い騎士は呟く。マルクスは肩で息をしながら、苦笑を浮かべた。
「ああ。見ての通り、このザマだ」
若い騎士が辛そうな表情で顔を背けると、マルクスはナハトへと視線を向ける。
「ナハト様、村の中は病人で溢れかえっています。どうか村には入らず、このままお戻りください」
「……私がここにいる理由は、分かっているだろう。それなのに、引き返せと?」
ナハトは眉間に皺を寄せて、マルクスを睥睨する。
ここまで来て、見逃せと言うのかと言外に伝えると、マルクスはゆっくりと頭を振った。
「病を発症した街の人間を、村に監禁していた事について言い逃れするつもりはありません。どのような罰も受けます」
「マルクス」
「証人が必要でしたら、ペーターをお連れください。彼は若く体力もあるので、私達より病に罹り難いはずです」
「マルクス!」
ナハトの呼び掛けを無視する形で、滔々と続けられたマルクスの言葉を、ナハトは苛立たしげに遮った。
「病人を見捨てろと言うのか」
「……そう取って頂いて構いません。貴方様はこんな場所にいていい方ではない」
「ここは私の母国だ。街中だろうと森の中だろうと、国境を超えない限りは私がいてはいけない場所など存在しない」
吐き捨てるように言うなり、ナハトは村に向けて歩き出す。ぎょっと目をむいた騎士達が止めようとするが、お構いなしだ。王子殿下相手に手荒な真似をする事も出来ず、右往左往する騎士達の横をすり抜け、僕はナハトの手を掴む。
物理的に引き止めると、ナハトは苦虫を噛み潰したような顔で僕を睨んだ。
「ナハト」
「君まで邪魔をするつもりか」
「落ち着いて、僕の話を聞いてください」
「私は……っ」
感情的に言い返そうとして、ナハトは口を噤んだ。自分が冷静さを欠いている事を理解したからだろう。
目を伏せた彼は、長く息を吐き出す。
「……なんだ」
「現状を整理しましょう。マルクスさんのお話を信じるならば、村の中には多くの病人がいます。そして、マルクスさんのように、初めは健康だったはずの人達にも移り、病人の数は日を追う毎に増えている」
マルクスさんに視線を向けると、彼は僕の言葉を肯定するように頷いた。
「ここにいても安全とは言い難いですが、村の中に入れば更に危険性は増します。僕達も、病に罹るかもしれません」
「だからなんだ。森を目指すと決めた時に、覚悟はしていた」
「病人が増え続けているという事は、薬が効いていないという事です。おそらく、僕達の手持ちの薬でも望みは薄い」
つまり、打つ手がないのが現状なのだ。
ナハトは僕の言葉を聞いて、渋面を作った。
きっとナハトだって薄々気付いていただろう。だが敢えて言葉にした。目を背けても、現状は好転してはくれないのだから。
「ナハト。看病の経験もない貴方が村に入っても、無駄に高貴な病人を増やすだけの結果になります」
「……言ってくれるな」
「事実です。ここで貴方が出来ることは、ないに等しい」
言い切ると、ナハトはグッと拳を握り締めた。
「なら……ならば! どうすればいい!? どうすれば、民を救えると言うんだ!!」
「ナハトはこのまま引き返してください。ただの少年であるナハトには出来る事はなくとも、王子である貴方には出来る事があるでしょう」
「大局を見ろと言いたいのか。大勢の人間を救うために、今、目の前にある命を見殺しにしろと」
「貴方が動かなければ、この村の人間はいずれ切り捨てられる。どうするのが正解か、賢明な貴方なら分かるはずだ」
「……」
ナハトは唇を噛み締める。
下を向く彼の肩は、微かに震えていた。
「王都に戻って、薬と薬師を掻き集めてきてください。足りないのなら、ネーベルに救援要請を出すのも良い。確実に、民を助ける方法を探し出すのです」
「その間に、どれだけの人間が死ぬ。どれだけの命が、私の手から零れ落ちるんだ……!?」
「僕が、食い止めます」
「……は?」
虚を突かれたように、ナハトは目を丸くする。
呆気にとられた表情で僕を見た。
「幸い僕は薬学の勉強もしています。各地を回っている時に教えてもらったので、応急処置の知識もある。ここに残って貴方の代わりに、一つでも多くの命を繋いでみせます」
ナハトは驚きに数秒動きを止める。
我に返った彼は、珍しくも取り乱していた。
「馬鹿を言うな! 君は自分の立場を忘れたのか!? 同盟国の王子が留学中に流行り病に罹るなど、冗談では済まないぞ」
「放蕩息子が病に罹ろうが死のうが、うちの父は気にもしませんよ」
元々父は、僕には期待していないだろう。王位継承権第一位の兄が優秀なお陰で、好き勝手させてもらっている自覚はある。
「僕がここで病に罹っても、自業自得。僕の行動の結果であって、ヴィント王国に責任はありません」
「駄目だ! それなら私が……」
「ナハト。堂々巡りの問答を続けるつもりですか」
強めの声で呼ぶと、ナハトの顔が歪む。怒りや悔しさが入り混じった表情は、泣きそうにも見えて。初めて見る彼の顔に、罪悪感を覚えた。
だが、絆される訳にはいかない。
「僕が残って、貴方が戻る。これが最善です」
「……っ、」
ナハトは声を詰まらせた。
「死ぬかもしれないんだぞ」
「そうならないように、一刻も早く戻ってきてくださいね」
なるべく深刻にならないよう、笑ったつもりだったが、ナハトの表情は晴れるどころか曇った。
「……君は馬鹿だ」
呟いたナハトの声は、頼りないものだった。
本当にね、と自分の事を嗤ってやりたくなった。
なにを言っているんだろう、僕は。こんなところで善人気取りをしても、得るものなんて何もないと知っているのに。命以上に大事なものなどないのだから、逃げ帰ったって誰も責めないと分かっているのに。
姉様ならばどうするだろうと、そう考えただけで逃げる気持ちは萎えてしまった。
姉様なら、病人を見捨てたりしない。友の大切な人達を見殺しになど、絶対しない。
僕は清廉潔白な人間ではないけれど、姉様に軽蔑されるような生き方だけはしたくないと思うんだ。
「レオンハルト」
「はい」
「ナハトに同行してくれ」
レオンハルトは僕が言い出す事を予想していたのか、驚きはしなかった。ただその表情は、酷く険しい。
「僕の代わりに友を守って欲しい」
こんな言い方をすれば、レオンハルトはきっと拒否できない。分かっていながらその言葉を選ぶ僕は、やっぱり性格が悪いんだろうな。
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